今日も洋児が泊まりにきた。今だって勝手に布団を敷いている。自由だなあと思いつつ、二人分の寝床を整える彼を横目で眺めていると、自然と口角が上がってしまう。隙間なくぴったりとくっ付けられた二枚の布団。昔は私が無理を言って泊まってほしいとお願いしていたのに、今は彼のほうが泊まりたがるからおもしろい。洋児にとってここが安らげる場所であるとしたら、とても嬉しく思う。
「そろそろ寝か」
「うん、もう遅いもんね」
綺麗に敷かれた布団に入ると、ふかふかしていて気持ちがいい。昼間干しておいてよかった。お日様の匂いと洋児の匂いは似ているから、なんだか彼に抱かれているときみたいな気分になる。彼が寝る前に必ずやる、襟元をぎゅっと正す癖を見ていると、子どもの頃の夜の匂いまで思い出してきた。小さい頃は二人でこそこそ喋っているうちに、だいたい私が先に眠ってしまっていた。翌朝目が覚めたら、鼻ちょうちんを出していたとか、酷い寝相だったとか、冗談を言って笑いあっていたことを懐かしく思う。
余談だが、うちの電気の紐はやたら長い。寒さに弱い私が布団から出なくてもいいように、継ぎ足しているからだ。祖母の組紐をこんなことに使っているけれど、彼女なら笑って許してくれそうな気がする。幼い私たちを色々な場所へ連れて行ってくれたことを思い出す。今こうやって洋児と一緒に居ることも、きっと喜んでくれるに違いない。
「電気消すぞ」
「いいよ」
カチカチと鳴ったあと、真っ暗になる。明日の朝ごはんについて考えながら、まだ私の温度と馴染みきらないひんやりした布団を楽しんだ。すみっこのほうの、まだ体温で温もっていない場所を足で探して冷たさを感じるのが好き。このあいだそれを洋児に言ったら、私の布団の冷たさを横取りするようになってきた。今日もたぶん私の布団にちょっと入って、こっそり温めているんだと思うと、可愛くて笑ってしまいそうになる。大人になっても戦争に行っても、変わっていない彼の根っこの部分を愛してる。
しばらくして目が慣れてくると、洋児が私のほうを向いているのがわかった。同じく彼のほうへ寝返りを打つと、足先が触れ合った。
ほらやっぱり。足だけ私の布団に入ってた。
「昔は怖いから一緒に寝てって、ビービー泣いてたのにな」
「そんな赤ちゃんのときの話やめてよ……」
「十歳過ぎても言ってたぞ」
「天井のシミは妖怪が舐めた痕だって聞いてから怖くなったの」
「お前泣いてる顔に見えるって言い出したんだろ」
こうは言っているけれど、実際は洋児も怖がっていたと思う。だって泣いてる私を抱えて震えていたし、眠ったあと離れ離れになっていることに気付いたとき、私の布団にこっそり入ってきていたのを知っている。うちの実家は古く、いたるところに何かの痕跡があって、二人して妖怪を想像しては恐怖に震えていた。またこうやって、子どものころから慣れた温もりに触れることができて嬉しい。ずっと一緒にいられたらと願っていたのをようやく神様が叶えてくれた。
「それに実家のトイレ、外だったんだもん! 外のトイレって怖いでしょ」
「冬は寒くて震えながら行ったよな」
「絶対一緒に来てくれたもんね」
貴方が戦争へ行くと知ったとき、もう会えないかもしれないだなんてことが頭を過ぎった。そんなこと考えてはいけないのに、不安で仕方が無かった。いつも通り出て行った背中を追いかけて、行かないでと言いたかった。戦況を聞くたび千切れそうなくらい苦しかった。帰ってきてくれたとき、今までで一番うれしかった。
ぐるぐる考えていると、温かくて大きな手のひらが私の瞼の上を覆う。
「もう目瞑れ」
「そっちが話しかけてきたくせに」
「ゴメンって。おやすみ」
私がおやすみを言うと、手は引っ込んでいった。好きな人の手は特別温かく感じる。ほのかに残る温もりを噛みしめながらまどろむ時間は、この上ない幸せだ。
……zzz
ふと目を覚ますと、まだ真っ暗だった。雨戸を閉めていても朝になるとわずかな隙間から光が入ってくるから、今は間違いなくまだ夜。目覚めついでに寝る前に行ったはずのトイレに行きたい感じがして、どうしようかと悩ましい。布団を出ると寝付くのに時間がかかるから、気が進まない。今、何時だろう。確認しようにも時計が見えず、諦めた。また眠ってしまえば、気にならないかも――。もたもた思案していると、何かが蠢くような音が聞こえた。
――なんか、ごそごそ聞こえる……。
夜の静寂を乱す小さな音。厚い闇はわずかな息づかいさえも拡張させ、恐怖が静かに増す。耳を澄ませると、小さな呻き声のようなものも聞こえた。途端に心臓がぎゅっと縮んで、鼓動を早める。眠気は一気に遠のいて、頭の芯が冷えていく。
――もしかして、ほんとに天井を舐める妖怪、とか……?
そこまで考えたところで、隣で寝ているはずの男の布団がモゾモゾ動いているのに気づく。やっぱり朝なのかもしれない。そうでなくても、起きているならトイレについてきて欲しい。寝る前に子どもの頃の話をしたせいか、懐かしい気持ちになっている。二人で手を繋いで、怖々歩いた実家の縁側。トイレの外で震えながら待ってくれていたっけ。
「ねえ、起きてる……?」
「……ッ⁉」
ぎくりと大きく震えた布団から、息をのむ声が聞こえた。返事はないけれど、これは絶対起きている。
["眠れない? 何か飲む?」
「大丈夫だッ……!」
「もしかして、ずっと起きてた……?」
「いや、そんなことない。ちょっと、便所行ってくる」
「私も行く」
「は⁉ いいって!」
布団から出ようとした洋児は、私も行くといったら慌てて引っ込んでしまった。いいって、じゃない。私も普通にトイレに行きたいだけだ。いまは恐らく深夜なのに、寝起きとは思えない調子はなんだか妙だった。戦地で過ごした眠れない夜を想像し、見えないところの傷を少しでも癒してあげたいと願う。
「ついて行きたいんじゃなくて、ほんとにトイレに行きたいの」
「じゃ、先行けよ」
「……なんで?」
彼の目がどこか遠くを探しているように泳ぐ。思わずその視線を追うと、笑い話の尻尾が急に冷たく落ちたように思えた。灯りの無い暗闇でもわかるほど、布団の端からわずかに出た指先が震えていた。
「なんでも! いいから行けって!」
「変なの」
「そっちがな。早く寝ろよ、まったく」
「洋児がゴソゴソしてたんでしょ」
「ゴソゴソしてない!」
実家とは違ってそんなに広くもないしトイレは外でもないけれど、寝室から出たらうす暗くて、どうしても心細い。それに置き去りにしてきた洋児の様子も気になった。昔みたいに手を繋いだら、闇夜でもきっと、大丈夫。自分自身へ言い聞かせるように寝室へと戻った。驚かせないように注意して、そっと襖を開ける。
「やっぱり怖いから一緒に来て――」
「わーッ! なんで戻ってきた!?」
暗がりの中、胡坐をかいて座る洋児。手元は寝巻きの間に突っ込まれている。そばにはちり紙。数秒の沈滅のあと、猛スピードで布団の中へと隠れてしまった。これって、もしかして――。
「……ひとりエッチしてたの?」
「言うな言うな!」
布団の中から悲痛な叫びが聞こえ、申し訳ない気持ちになってしまう。わざとじゃない。だって、そんなことしてるなんて、思わなかったんだから。
「なんで一人で? 言ってくれたらいいのに」
「そんな毎度付き合わせられねえ……。寝る前まで散々やってたのに……」
目元だけだしてこちらの様子を伺いながら、情けない声を出している。まあたしかに彼の言う通り、朝から晩まで事あるごとに散々身体を重ねていた。会えなかった日々を埋めるみたいに求め、求められ。健康的とは言い難い一日を過ごしたけれど、こういう日があっても別に構わない。それに、したいのは貴方だけじゃない。私もいつだって彼の全部が欲しいと思っている。
「そんなの気にしてたんだ」
「とにかく! 俺のことはいいから、早く行ってこい」
「はァい。なるべくゆっくり戻ってくるね」
「変な気ィ使うなって!」
襖のむこうからぶつくさ聞こえてくるけれど、放っておく。心配してたみたいなことが起こっていたわけじゃないとわかり、胸をなでおろす。たっぷり時間をかけて戻ると、眉間にしわを寄せてふて寝している姿があった。ぎゅっと目を瞑り、何も言ってくれない。だから私から言ってみる。
「……ねえ。したくなっちゃったかも」
「お前なぁ……。こっちは我慢してたんだぞ」
「我慢? 一人でしてたくせに」
「明日起きれなくても知らねえからな」
その言葉に、胸の奥に火がともる。乱暴に聞こえても、甘えているのはいつだって彼のほうだ。身体を重ねて満たされることを知ったなら、一人でするなんて寂しい気がした。
「じゃあ、朝が来るまでずっと抱いてよ」
飛び込んだ胸じっとりと汗ばみ、身体をまさぐる手は熱い。あの頃とは明確に違う要求はとどまるところを知らず、二人してずぶずぶと沈んでゆく。息つぎさえ忘れて互いを貪り、ほしいままに求めて混じる。
私はずっと貴方だけ。欲しいものなんて、それだけでいい。貴方もきっと、そうでしょう。