斉廷戦争終結から数週間。世間には安堵の空気が広がっていた。両国共に多大なる犠牲を出し、その爪痕はすぐに癒えることはないだろう。古い付き合いの友人も戦地に駆り出され、今や英雄と言われ讃えられている。テレビやラジオで旧友の名を耳にするたび、息が詰まりそうになり耳を塞ぐ。
彼は今、どんな気持ちで立っているのだろう。
午後三時。夕飯の買い出しを終え、買い物袋を玄関に下ろしたとき。あとで閉めようと開けっ放しになっていた玄関扉が閉まる音がして、息を吞む。途端に空気が張り詰め、しんと静まり、胸の奥に冷たいものが流れたような気がした。
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは、幼友達の漆羽洋児だった。
「あ、よ、洋児……! おかえり……! おかえりっ……」
驚きのあまり声がうわずる。再び会えた嬉しさで、身体が勝手に動いて駆け寄った。
思わず抱きしめてしまいそうになり、慌てて自分の胸の前で手を合わせる。近くに寄ると皺ひとつない整った衣類から、ふと土埃と血が匂う。緑がかった瞳も見慣れた目元も彼のままなのに、纏う空気は硬く冷たい。別人のような雰囲気を滲ませる彼の手を取ろうとした瞬間、強い力で抱き寄せられた。より濃く匂いたつ戦争の痕跡に戸惑っていると、深く彼の胸に沈んでいく。骨が軋むほど強い力が込められて、苦しさと共に不安が募る。
「わ、っと……。あはは。ちょっと、痛いよ……」
「今、帰った」
「無事でなにより……。ほんとに良かった……!」
ぽつりと漏れた声は掠れていた。なんだかそれが、長いあいだ誰とも口をきいていなかったみたいに思えた。
少し力が緩んだとき、洋児の背中に腕を回す。温かくて広い背中だった。それに、こんなに背が高かったなんて知らなかった。いつも私に合わせてくれていたんだ。そばで存在を感ると彼との何気ない日常が巡り、堰を切ったように涙があふれる。もう一度おかえりを言おうと洋児を見上げる。逆光で顔が良く見えないと思ったとき、唐突に口を塞がれた。生温かい唇の感触が直接伝わってきて、咄嗟に彼を押し返す。構わず口の端からぬるりと舌が入ってきたのを感じ、血の気が引いて身がすくむ。
「んっ……ム……!? ぅ……! ゃ、なんで……?」
無遠慮に口蓋をなぞる舌先が恐ろしく、奥歯を噛みしめた。口の中にじわじわと血の味が広がっていく。糸を引いて離れていく口元から、彼の眼もとへと視線を移す。開いた瞳孔には、私が小さく映っていた。
「抱かせてくれ」
「えっ、……。どういう――」
「いいって言えよ」
乾いた声で洋児が言う。短い会話の中から命が削られるような鋭さを感じ、逃げ場はないと悟る。黙っていることでやり過ごそうとしても、身体も口も痺れたみたいに動かない。問答無用で押し通そうとする重圧を感じ、戦争が彼から余裕を削ぎ取ってしまったのだと思うと、やり場のない虚しさを覚えた。
「いいだろ。言えって」
「……洋児、あの……」
「言ってくれ。頼む」
それは段々と懇願に変わっていった。ついに視線が外され、彼の顔が私の首もとに埋まった。浅い呼吸をするたび、ぬるい吐息がかかる。どんどん早くなっていく心臓の拍動から、焦燥を感じとる。
「……いい、よ」
戦争のことはよくわからない。でも、こんなになるまで耐え抜いてきたんだと思うと、私の身体が一時の慰めになれば、それでもいいだろうと思えた。
言い終わる前に担ぎ上げられ、そのまま玄関に寝かされた。硬く冷たい板の間を背にして、思わず悲鳴が漏れる。
「ぎゃ! ぃ、いやっ……!」
「いいって言いたろ」
「言えって、言うから!」
「取り消しはナシだ」
早速脇腹から滑り込んできた手を制止したら、ムスッと唇をゆがめて目を細めた。この瞬間だけ、前の洋児に戻ったみたいだった。いつも愉快で、人間愛を持つ人だ。なにも別人になったわけじゃない。私の初恋の人の根底は、きっと変わっていないんだ。
「ここじゃあ、誰か、来ちゃうよ……!」
「奥へ行こう」
まるで自分の家のように私の手を引き足早に寝室へと進む、幼馴染の後ろをついて行く。切羽詰まって彷徨ったとき、私のことを想ったのだろうか。貴方が帰ってくる場所でありたいとずっと願っていたから、そんなに苦しそうな顔をしないでいい。
締め切っていた寝室の扉が開くと、外はまだ明るく障子から日差しが漏れていた。畳んだ布団の山に私を放り投げるみたいに寝かせると、雨戸を閉めてさっさと上着を脱ぎはじめた。肌が見えたら、薄暗いなかでも傷だらけだとわかる。思わず駆け寄り、まだ痛ましく赤い傷口に触れてしまった。
「怪我してる……!」
「こんなもの、もう痛くない」
私の手を払いのけ、そのまま畳に組み敷かれる。再び唇同士が重なったと思えば、強引に舌が入ってきた。反射的に逃げても執拗に追われ、押しても引いても逃れられそうにない。唇を甘噛みされて背が浮いたとき、器用に下着のホックが外された。そのまま胸を掴むみたいに揉みしだかれ、乳房に鈍い痛みが走る。随分乱暴に抱くんだな、なんて呆然としていると、視界が潤んでぼやけてきた。頭が働かない。酸欠になっているんだと思う。
「んむぅ……、ん……。く、くるしい……」
「……泣くなよ。怖いか」
空を漂っているみたいにふわふわ気持ちよく、夢見心地だ。このまま何も考えなければ楽になれるかも、と思ったところで、身体をまさぐる手がぴたりと止まった。離れゆく口元から銀糸が光り、酸素が血液に流れ込む。少しずつ意識が戻ってくる。
泣いてない。怖くないよ。大丈夫。
「こわくない、平気……」
「優しくできない。痛くても、止めない」
「うん、分かった……」
困ったみたいに眉をひそめて、泣いてるのはどっちだろう。洋児のそんな顔、初めて見た。優しくしなくてもいい。痛くても止めないで。これは声に出せただろうか。頭の中と、胸の奥。ぐちゃぐちゃになってしまっている。彼の頬に手を寄せると、しっとり濡れていた。存在を確かめるみたいに、額、目、鼻、口をなぞってみる。顔だけじゃわからなくて、腕やら胸、背中も撫でた。どこもかしこも大小の傷があって痛々しい。下着も剥いで、おざなりの全身を確かめ合う。皮膚をなぞっているだけなのに、身体の中側からじりじりと熱くなる。彼の中心に触れるとひどく熱を持ち、張り裂けそうになっていた。
目に映る人と同じ形がそこにあって、これは夢や幻ではないと、自分に言い聞かせる。
もう一度傷を撫でた。そこはもう、痛くないんだと彼は言う。どこが痛いのかと聞くと、わからないと答えた。
「愛してる。許してくれ」
私の真ん中に熱が集まってくる。彼のものが触れると、やっぱり怖気づいて目を瞑った。あまり受け入れる準備はできていなさそうで、申し訳ない気持ちになる。少しほぐそうとしてくれたが、どうしても上手くいかない。私のせいだ。本当は怖いし、痛いのは嫌だ。でも何があっても許せる覚悟だけはできているから、どうなってもいい。私を舐めようとした彼を止めて、自分自身の手のひらに唾液をなじませた。それをそのまま彼のものに撫でつけ、導いていく。きつく狭いところをなんとか進めると、半分くらいのところで、じわじわ溢れるものを感じた。異物で内臓を傷つけないよう、防衛として出てくるのだろう。この先に快感があるのだろうが、まだそこまでたどり着けそうにない。それでも、なんとか行為としては成り立ちそうで良かったと、胸をなでおろす。
ゆっくりとした律動を繰り返すうち、ナカのほうが馴染んでいく感覚がした。洋児もほっとしたのか、私の身体を支えるように抱きしめてくれた。人間はこんなに近づけるんだ。彼の吐息から出る空気だけで生きていけたら、他には何もいらないのに。
繋がっているところから境界が曖昧になり、まるで一つに溶け合ったみたいだ。こういうとき、何か話したほうがいいのかもしれない。好きだとか、気持ちいいとか、言ってあげるべきなんだろう。バカなこと言わなくても、全部わかった気になっている。きっと彼もそうだと思う。
動きが早まって、一瞬止まったと思ったら、ナカがからっぽになってしまった。おへその辺りに温かいものがぼたぼた落ちてきて、私を汚す。洋児を見ると少し慌てていて、なんだか可愛らしく思えた。
私のお腹に出された精液を掬って眺めてみる。汚れてもいい。彼の痕跡なら。指にまとわりつくドロリとした白濁に舌を伸ばすと、彼が手首を掴んだ。てっきり止められるかと思ったのに、そのまま私の口に突っ込んできた。そんなことされなくても、もとより舐めてみるつもりだった。洋児は、変な趣味をしていると思う。
「も、いっかい」
「……うん」
結局全部掬って飲まされて、口の中がまずいし気持ち悪い。そんな私を見ても、まだやるのだと言う。目が据わっていて、さっきよりも興奮しているみたいだ。
仰向けの私をひっくり返し、腰を掴む。脇腹の肉に洋児の手が食い込んで、わざとらしく揉んでくる。それは少し、意地悪だ。それに後ろからだと、一番見たいものが見えなくなってしまう。
「見えない……」
「そのほうがいいだろ。こっち、尻向けろ」
「顔、見たい」
「くそっ。黙ってろッ……!」
一生忘れたくないから、網膜に焼き付けておきたいのに。私の主張はおかまいなしにお腹を抱えて無理矢理膝を立たせると、そのまま一気に奥まで貫かれた。
「ひッ、ぅ、ぃた……、や、ヤダっ……!」
「は、キツっ……」
さっきは口元やら胸やらいろいろ気をやるところがあったのに、今は繋がっている部分だけに刺激が集中している。そこばかりに意識がいくから突かれて奥に当たったときも、抜けそうなくらい引かれたときも、どちらも痺れるみたいな感覚が腹の底に鈍く響く。向かい合っているときは愛を錯覚したけれど、これはただの交尾みたいだ。そのくせ快感を自覚し始めているから、人間の営みとして正しくないように感じる。
しばらく四つ幾だったが、突かれ続けていると姿勢を保つことが難しくなってきた。肩と腰を力任せにグイグイ押されて上半身は崩れ落ち、お尻の穴が丸見えになってしまった。そのまま押し潰すみたいにのしかかられ、腰を上げているのがもっと辛くなってくる。
「……ぁ、うぁ……、も、おわりっ……?」
「……はァ、中に……、このまま……」
のしかかって拘束され、逃げ切れない。
「あっ、えっ……? だ、だめだよ……! 赤ちゃん、できちゃう……!」
やっぱり怖いと叫んだとき、背中に温かい液体が飛んできた。もうおしまいかな、と思ったら、だらりと尻の肉に精液が垂れた。二人とも一気に力が抜けて、その場に倒れ込む。目が合ったのに、何も言ってくれない。何か言ってよ。さようならでもいいから、最後に貴方の言葉が聞きたかった。
「洋児、起きて」
「……寝てない」
あれから何分経っただろう。裸のままでは肌寒くて、適当に身体を拭いて布団に包まった。洋児も入れてやろうとしたのに頑なに入って来ず、素っ裸で倒れている。いつまでこのままでいるつもりなんだと、若干腹立たしく思う。汗だくで畳に寝ないでよ。
「お風呂行こ。ご飯も――」
「おまえ……、もっと怒れよ」
むくりと身体を起こして、胡坐をかいた。一丁前に股間を隠している。それも、私の服で。それに対しては怒りたいけど、それ以外には怒る気になれない。
「怒るもなにも、私がいいって言ったんだから」
「俺が無理矢理言わせたんだろ……」
はあ、と大きな溜息を吐いて頭を抱えている。結っていた髪がいつの間にか解けていた。肩くらいまでしかないのに、器用に結んでいるものだ。
「愛してるって言ってたの、あれ、嘘?」
「嘘じゃないって!」
叫びながらまた寝転び、うつ伏せになってジタバタした。せめて下着は着けて欲しい。
「もう。はやく。起きてってば。ねえ」
「ぅー。俺は最低だ……」
「はぁ……。お風呂、先行くね」
独りで自己嫌悪に陥っているらしく、ぐずぐず言いながらも寝たままズボンをはいた。いつまでも感傷に浸ってないで気持ちを切り替えて欲しい反面、ずっと私のことだけ考えて欲しいとも思ってしまう。
「待ってくれ……! 俺も行く」
「だったら早く起きてよ」
呆れた声を出しながら、私は心の奥底で安堵していた。まだ私を追いかけてくれることに。勝手に解決しないで、悩んでくれていることに。
畳にへばりついている洋児を引っ張り起こす。もたもたしながら起きてきたと思ったら、ちらりと時計を確認して青ざめた。どこからか夕餉の匂いが漂ってきた。もうみんな戦争なんて忘れようとしていて、生活を取り戻しはじめている。でも私に残る痛みも、彼の傷の痕も、全部過去のものなんかじゃない。この部屋ではなにもかも、まだ終わっていない。これからだってその爪痕は、生涯消えないだろう。
たっぷりの湯に二人で浸かると、ざあざあ溢れて流れ出た。一人のときだとこうはならない。私を後ろから優しく包み込むように抱きしめる彼は、やっぱり顔を見せてくれない。それでもこうして裸で抱き合っていると、今日二人で踏み越えた一線は正しかったとんだと思えた。所在なさげに湯船を揺蕩う洋児の骨ばった手を取り、指先へ唇を寄せる。すると形を確かめるみたいに唇が弄ばれた。背もたれにしている男から、心底申し訳なさそうに紡ぎ出された謝罪の言葉が聞こえてくる。でもさっきみたいに張りつめた様子は、もう無かった。
「大丈夫って私、言ったよ」
「じゃあまた抱くからな」
「それで気が済むんだったら、私がなんでも叶えてあげる」
振り返らずに答えたら、後ろで小さく笑っている気配がした。
傷だらけでも、罪を背負っても、それでも生きて帰ってきてくれた。どうしようもないときは私が貴方を繋ぎとめるから、もう二度と一人で逝かないで。