いっそ嘘だと言ってやる





 慚箱国獄の昼下がり。ぽかぽかと暖かい日差しが障子越しに射しこみ、またウトウトと眠くなる。昨晩夜更かししすぎたせいか、目が覚めたときにはもう十一時を回っていた。またやってしまった、と思いながらも、布団にもぐり込み惰性的な時間を過ごす。これが彼の日常だ。

 もう起きなくてはと何度も決意を繰り返し、漆羽はようやくその半身を布団から出した。枕もとには寝るまえまで読んでいた本が散らばっていて、そのジャンル雑多ぶりにふっと口元を緩ませた。

 ここ国獄温泉に漆羽洋児が幽閉されて約一年。漆羽は己の立場を理解しているが、何もかも心底納得したのではない。だからってこんなふうに無気力に過ごし、皆に心配をかけている現状も気が咎める。もうなにをやっても結局どうにもならないと、半ばあきらめながらもがくことしかできない。

「漆羽さん。入りますよ」

 グズグズしながらたいして興味もない雑誌をめくる漆羽の耳に、聞きなれた声が響く。自身と同じくここに縛られている、慚箱守護者の一人だ。声に向かって「んー」と返事をすると、スパンと勢いよく襖が開き、女がずかずかと入ってきた。途端に淀んだ空気が浄化されたみたいに、清潔な石鹸の匂いが風に乗ってゆれる。騒ぎだす心臓に静まるよう言い聞かせ、熱をもつ顔を見せまいと下を向く。うら若い女に無遠慮に部屋へ入られようが、知ったこっちゃない。そんな雰囲気をうまく出せているだろうか。

「もう。まだ寝間着ですか? お昼過ぎてますよ。着替えてください」
「今日は日曜だろ。休みだからいいんだよ」
「今週ずっとお昼まで寝てるじゃないですか」
「わかってるって」

 女がお説教をしながら抱えた洗濯物を箪笥にしまうあいだ、漆羽はこっそり自身の寝間着のにおいを確認した。温泉地に囚われながら、昨夜はめんどうになって風呂に入っていない。だらしないところを幾度となく見られているが、一応、恥ずかしいと感じる気持ちがまだあることに、漆羽は少し安堵した。同時に、こんなことを気にかけても、なにかが始まるわけじゃないとも言い聞かせておく。

 用を終えた女が漆羽のほうへと向く。眉間にはしわを寄せ、視線はじっとり湿り、責めるように寝間着姿の男を捕らえていた。

「わかってたらちゃんとしてください。って、聞いてます? なに読んでるんですか?」
「エロ本」
「なッ⁉ 馬鹿なこと言ってないで――」

 漆羽の返答を聞いた女が、呆れた顔で本を覗き込む。目に飛び込んできたのは、見知らぬ女性のあられもない姿だった。途端に漫画さながらの反応で後ずさりして、茹だったみたいに真っ赤になり、口元を覆って騒ぎだす。

「う、うわァ!? ちょっと、やめてください! そんな堂々と!」
「勝手に入ってきたのも聞いたのもそっちだろ」

 見開き二ページに佇むその女性は、下着を身に着けているもののほとんど裸に等しい。恥ずかしそうに頬を染め、悩ましげにこちらを見つめている。そういった本の存在は知っているし、別に読んではいけないという決まりはない。けれど、こんなにも当たり前のように存在されても困る。こういったものは、こっそり見るべきではないか。

「どうせ伏見さんでしょ。男子ってホント馬鹿ですね。そんなことより、基礎訓練くらい出てくださいよ」
「俺の好みじゃないから、いらねえ」

 女が大きなため息を吐くと、漆羽はむっと口を尖らせて本を閉じた。乱暴に投げ出されたそれを拾って、まじまじと見てみる。今どきっぽいアイドルの水着グラビアが表紙だ。やわらかそうな胸元が印象的で、男性でなくとも触ってみたくなってしまう。きっと、触れたら柔らかくて温かいのだろう。世間一般ではこの子みたいな、守ってあげたくなるような可愛い子が好まれる。それはこの国を救った英雄でさえ、例外ではないはずだ。

「表紙の子、けっこう可愛いと思いますけど」
「こういうんじゃないって、伏見に言っといてくれ」
「自分で言ってください!」

 くりくりの瞳を潤ませたアイドルを見つめながら、ほんの少しだけ悲しくなった。慚箱守護の任に就く自分にはない、女性特有の可憐さがある。別に女として見られたいとか、ここで恋を見つけようだなんて思っていない。けれど男の人はみんな、こういう子が好きなんだろうということがわかってしまった。そして自分が世間一般の〝かわいい〟から相当かけ離れていることを知らしめられたみたいで、惨めな気持ちになる。好きなひとを目の前にしているから、よけいにこんな感情がわくのだろう。ぜんぶ諦めて志願したのに、いまだ捨てきれない往生際の悪さが恥ずかしく、女はうつむいて唇を噛んだ。

「女子もこういうの読むのか?」
「読むわけないでしょ! 本部に報告しますからね」
「好きにしろ」

 寝間着の胸元を大きくはだけさせ、あくびをしながら再び布団に寝転んだ。気だるげに目を細める漆羽に「今日はもう剣の稽古もしないんですか」と問うてみる。元気いっぱいの返答は期待していなかったけれど、はっきりしない返事しか返ってこなかった。

「……一応確認なんですけど、漆羽さんの好きなタイプって、なんですか?」

 襖の引き手に触れたとき、ふと女は聞いてみた。さっきの子が好みじゃないというのなら、いったいどんな女が好みなのか。別に知ったところで何がかわるわけじゃない。けれど下心をはらんだ期待が、ほんの少し。そんな終わりも始まりもない、ただの戯れのつもりだった。

女の唐突な質問に、漆羽は一瞬だけ目を丸くした。そしてすぐにニヤリとほくそ笑み、言ってのける。

「好きになった人がタイプだよ」

 キラリと効果音がつきそうなほどのキメ顔は、くやしいけれどかっこいい。否定できない邪な気持ちがあるせいで、よけいにそう見えてしまうのだろう。それとも見目好い己を完全に理解している、勝ち組の余裕を感じるからか。とにかくうまくかわそうとしていることだけはわかるから、素直に「かっこいい」だなんて言いたくない。

「なーんか……、こなれた言いかた、ちょっとイヤです。見る目変わっちゃいますね」

 女はツンとそっぽをむいて、言ってやった。あきれたみたいな返事がおかしくて、漆羽は声を出して笑った。なんだか合コンの駆け引きみたいだと言いながら、女もお腹を抱えてうずくまった。

 二人でケラケラしばらく笑っていると、目尻の涙をぬぐいながら、漆羽が問う。

「そういうお前は、どんなタイプが好きなんだ?」

 好きなタイプはどうだと聞かれ、すぐに答えられない自分に女は戸惑った。きゅっと喉が締まるみたいに苦しくなって、次の言葉が見つからない。なんとか絞り出すみたいに、答えをつむぐ。

「えーっと、同い年か、どっちかというと年上、かな」
「おっ、俺か」
「ポジティブすぎます」

 さっきと同じように得意げな顔をしながら、漆羽は女を真っ直ぐに見据えた。少し見えた動揺はすぐにひっこんでしまい、いつもの軽口に変わった。それでも少し耳が赤いだとか、わずかな声の震えだとか、そういった些細なことから、自分にとって都合のいいことを期待せずにはいられない。

「ほかには?」
「一生懸命に打ち込むものがあると素敵だなって思います」
「ひたむきに剣に打ち込む。つまり俺だな」
「漆羽さんは毎日ゴロゴロしてるでしょ。昨日なんて深夜まで灯りついてましたよ。昼夜逆転、ダメです」
「小言はいいから、まだあるだろ。教えろよ」

 当たり障りのない模範解答だと言われればそれまでだ。けれど女がもじもじと手遊びをしながら頬を染める姿から、何か言いたげにしているのではないかと勘繰ってしまう。例えばここで、想いが通じたとして。その先の未来を約束できないなんてことは、双方わかりきっている。それでも諦められるほどぬるいものではないうえに、突き放そうにも心の深くに根を張っているから一筋縄ではいかなかった。

「責任感が強くて、仲間想いでユーモアもあって」
「俺のことだ」

 そう信じたいから、それは自分だと言ってみる。冗談めかして軽く言えば、想いの重さも減るはずだ。本気じゃないと言いながら張った予防線は、いったい誰のためだろう。

 はあ、と諦めたみたいなため息を吐いた女が、悲しそうに眉をさげて漆羽のほうをむいた。観念したのか、捨て鉢なのか。そう思ったが、やはり誰にでも当てはまりそうなことでもある。それでも無理矢理こじつけて、自分のことだと言い張って、それが事実になればいい。こんなことを願ってしまうなんて、ずいぶん平和ボケしてしまったものだ。

 そんな漆羽の邪な気持ちを見透かしたように、女は清々しい表情で言う。

「幽閉されても理不尽な扱いを受けても、自分の立場をわきまえて、調和を大切にする忍耐強いひと」
「まさしく俺だろ」

 好きな人はあなたです、と言われたわけではない。けれど当てはまる人間は、おそらくこの世にただ一人。ここまで確信を突くくせに、それが誰だとは決して言わない。言えない理屈はわかっていても、隠し通すこともできそうにない。ずるい言いかたで匂わせて、ゆるく繋いで留め置くだけだ。

「……だったら、なんですか」
「たまたまお前の好みのタイプにバッチリ当てはまっててラッキーだ、って思ってる」
「ほんと。偶然ってすごいですね。私の好きなタイプ、ドンピシャの人がこの世にいるなんて」

 これは閉ざされた空間の限られた人間関係で生まれた、偽りの恋慕かもしれない。無意味だと遠ざけても、必要ないと捨て置いても、気付けば目で追い気配を感じ、高鳴る鼓動を誤魔化せない。これ以上を望めないからこそ燃え上がるのだろうと、この感情にそれらしい理由をつけて弄ぶ。もしもこれが運命だとしたら、存在するはずのない神を恨むしかない。

「好きだと思ってもらえるのは、素直にうれしいよ」
「私、漆羽さんのこと好きだなんて、一言も言ってないです」
「言いたくなったら、いつでも言っていいぞ」
「絶対言うわけないでしょ。この気持ちは、墓まで持っていくんです」

 吐き捨てた言葉のあまりの重さに、女は視線を床に落とした。耐えかねたように漆羽の笑みが音もなく凪いで、ほんの一瞬、その瞳に静かな諦念が宿る。けれど、すぐにいつもの柔らかな表情が戻ってきた。物分かりのよい二人は、これ以上を口にしない。

「仕方ないな。それじゃあ生まれ変わったら、改めて聞かせてくれよ」
「生まれ変わって、また漆羽さんと会えたらね」

 答えは返ってこなかった。今度こそ、漆羽の部屋をあとにする。ピシャリと締まった襖の向こうから、乾いた自嘲が小さく聞こえた。女は空を仰ぎ、ひとつ静かに息を吐いた。

 こうやって二人で逃げ道を作りながら、形だけの恋愛ごっこを楽しんでいる。本当に叶うなんて思っていない。

 そう。これは、ただのおふざけだ。始まったときから終わっている。

 取り返しのつかない恋を芽吹かせ気ままに愛でたら、このまま育てず枯らして捨てて、あの世で会えたらそれでいい。