夜の闇に溺れ、思考が霞む。熱に浮かされたようにまどろみながら、漆羽は己の身体が淫らに脈打つのを感じていた。泥土に首まで浸かって抜け出せぬ今、最早この生温い快楽に身を任せるほかない。そうやって自分自身に言い訳をしながら、己の股座に顔を埋める吐き気を催すほど美しい妖を睨みつける。心底愛おしそうに肉棒をしゃぶるその顔は、密かに思い続けるあの女ひとと瓜二つだ。愛おしそうに目を細め、妖艶な笑みを浮かべながら彼の名を呼ぶ。はたしてこれは、夢か、幻か――。
「ん、ぅ……、漆羽さん、気持ちいいですか」
「ゃ、やめ、ろッ……! 淫魔め、こん、な……、こと、許されないッ……!」
じゅぼじゅぼと下品な音をわざとらしく立てて、淫魔は漆羽を上目遣いで見上げた。苦悶の涙か悦びの涙か判別もつかぬほど滲む雫を流しながらも、猛り切った陰茎に絡めた舌は決してその動きを止めることは無い。顔や声はあの女ひとそのものなのに、頭には角を生やし、蝙蝠のような翼を背中に携え、尾骨から生えた尻尾を揺らしているのだから、明らかにこの世のモノではないとわかる。それなのにその顔も, 声も, 匂いも全部、いつも横目で追いかける女と寸分たがわぬ造りをしていて、漆羽をますます混乱させた。
「全部、曝け出していいんです。だってここは、誰も知りえない、夢の中……。本当は、私のことどうしたいんですか? 教えてください……」
「バカなっ……、あいつは、こんなことしないッ……!」
本当のところ、脳内でこういった行為を想像しないわけではない。けれど彼女に話しかけられるたび、罪の意識に苛まれる。だから漆羽は昂った欲を鎮める作業をするとき、あの女ひととは正反対の偶像で処理をした。そうでなければまともに顔を見ることさえままならない。
「素真実になりましょう。私のこと、もっと滅茶苦茶に犯して、壊したいんでしょ……」
「……ッ、ハァ……、くそっ……! も、いいだろッ……! オマエが満足したら、終わりだッ……」
必死で抵抗を試みるが手足は痺れて動かせず、なんとか目を逸らすことがやっとだった。自由の利かない身体とは裏腹に、意識だけは妙にはっきりしているからタチが悪い。意に反して猛り狂う下半身をなんとか鎮めようと目を瞑ってみても、ぬめぬめとした舌が雁首をねぶる感触が確かになるだけで逆効果だ。漆羽が目を開けると、頬を朱色に染めた淫魔は愛おしそうに陰嚢を撫でまわしながら、裏筋に舌を走らせ涎を垂らしていた。うっとりと陰茎に頬ずりし、これがナカに欲しいのだとねだる妖に、もう、抗えなかった。罪悪感という棘が胸を貫きながらも、しびれるような快感が背筋をぞわぞわと走上がり、漆羽の理性は音を立てて崩れていく。淫魔の言う通り、ここは恐らく夢の中。起きたらきっと今まで通りで、現実世界は何も変わらないだろう。漆羽は自分自身に言い聞かせるように何度も夢の中であることを頭の中で繰り返し確認し、淫魔のぬめる舌の動きに合わせて腰を突き出した。蕩けるような愛撫を享受し、じりじりと迫りくる快感の波に攫われながらも、彼女を穢す罪の意識に苛まれ、ざらつく感情のやり場を探す。そうこうしているうちに淫魔の猛攻に耐えかね、ついには腰を震わせて吐精し、ゆっくりと意識を手放したのだった――。
それから淫魔は毎日のように皆が寝静まったころ現れ、漆羽を弄んだ。最初はただ抗うばかりだったが、次第に夢の中で彼女を待つようになっていた。四肢の自由を奪われたまま執拗に口淫され、気が付けば明け方に汗びっしょりで目が覚める。夢の中では確かに達したのに、現実では解き放たれぬままに苦悶する己の分身を一人で慰め、義務のように無様に精を吐き出す。あの女ひとそっくりな妖の淫らな姿を思い出しながら陰茎をごしごしと扱き上げ、手のひらに出した精液を見て、漆羽は肩を落とす。こんなつもりじゃない、と言い訳をしても、結局やっていることは愛しい女をおかずに抜いているただの変態だ。以前にも増して女の目を直視することが出来ず、罪の意識が胸の内に滓重なっていく。辛く苦しいはずなのに、夢の中では肉欲に溺れ快楽を貪る自分自身は、淫魔となんら変わりない性欲に呑まれた化け物のようだ。
今日もまた現れた淫魔は、緩く結ばれた帯を解きながら漆羽に迫る。いつも始まりのときは曖昧だ。ここは夢か、現実か。確かめる術はなく、されるがままになるしかない。
「漆羽さん……。お願いが、あります」
「……な、どうした!? お願いって……、今何時だと――」
「抱いて頂けませんか」
「ダッ……!? 抱いてって!? 何言ってんだ!」
この日の淫魔は角も羽も尻尾も隠していたから、どこからどうみても彼女にしか見えなかった。淡い藤色の寝間着の帯を解き、なまめかしい姿態を晒す。薄い綿紗生地から障子越しに月明かりが透けて見え、女の身体を浮き上がらせた。女性特有のなだらかな曲線美。匂い立つ色香にむらむらと情欲が煽られる。見てはいけないと思えば思うほど、意識が女の裸に向いてしまい、漆羽は目を瞑った。
「漆羽さんのことを想うと苦しくて、疼いて、どうしようもないんです……」
「い、いや、ちょ、待て! 落ち着け! とにかく一回、深呼吸して――」
「大丈夫ですよ。これは夢。だから、私に何したっていいんです」
「夢ってそんな、俺はさっきまで、起きて、て……? え、え……? どういうことだ!?」
畳の上を歩いてくる女の足音が近づいてくる。酒に酔ったみたいに頭の中がくるぐると回り、平衡感覚が麻痺して倒れ込みそうになり、漆羽は思わず目を開けた。すると何度も妄想しては掻き消した想い人の裸体が視界に飛び込んできて、咄嗟に目を逸らす。――見てはいけない。これはきっと、何かの間違いだ。
「夢の世界で起きたことは、誰にもわからないんです」
「そうは言っても、お前にそんなこと……」
「……それじゃあ、私にさせてください」
「させてって、いや、え……? ちょ, オイッ! どこ触って――」
のけぞって逃げる漆羽を追い詰めるように女が迫り、彼の胸元に手を這わせた。布越しにもわかるくらい確かな体温があり、ここは本当に夢の世界なのかと疑いたくもなる。目の前の悪戯っぽく笑う表情は、いつもの彼女で間違いない。けれどこんなに淫らに男を誘うはずはないと、否定して顔を背けた。
「うふふ。真っ赤になってかわいい。私のも触ってください」
「ぁ……、やッ、おいッ! オンナノコが、こんなことしちゃ駄目だろッ!」
女に手を取られ、柔らかくて温もりのある乳房に触れてしまう。しっとりと濡れた皮膚が手に吸い付いてくるみたいに感じ、一気に嫌な汗が噴き出してくる。思わず力を入れたら意図せず揉んだように指が肉にめりこんでいき、形容しがたい柔い感触に思わず呻き声をあげた。漆羽の反応を楽しむように女がしとやかに笑い、濡れた唇から吐息を漏らす。
「……ぁ、……でも漆羽さん、もっと、触りたいって顔してる……」
「いやいやッ、こういうことは、想い合って、将来を約束した二人が――」
「漆羽さんが好き。愛してます。だから、抱いてください。お願いします。ねえ、いいでしょ……?」
「ぇ……、バ、バカッ、そんな……!」
「私のここ、もうこんなに濡れてる……。ねえ、欲しいの……」
潤んだ秘部を掻き回す水音が耳に入り、もうどうにも堪らず、女の身体を掻き抱く。悩ましい嬌声をあげる女が漆羽の腕の中に埋まり、満足そうに口角を上げた。林檎や桃のような甘い香りが鼻腔を抜けていき、身体の奥から煮え滾る情動をもう抑えることはできなかった。貪るように唇を吸い、舌を差し入れようとすると女もそれに応えた。夢の世界での出来事ならば、誰に迷惑がかかるというのか。これが全て妄想だとしても、決して知られることはないのだから――。
***
「……るはさん! 漆羽さんってば!」
「な、なんだよ……!」
明るくはつらつとした声に現実世界に引き戻されたような気がして、漆羽ははっと息をのんだ。ここ最近は夢以外でも女の痴態を思い浮かべてしまうようになり、昼夜問わず淫らな妄想に耽ることが増えている。それもこれも、あの淫魔のせいに他ならない。毎夜現れては、淫猥な夢を見せて漆羽を惑わせる。
「もー、ジロジロ見てなんですか? 私の顔になにか付いてます!?」
「いや、何も……」
「最近、ぼーっとしすぎじゃないですか?」
「……ぼんやり、してる、か。いや、してない」
そんな夜のことは露知らず、女はずかずかと漆羽に近づいて顔を覗き込んだ。まるで生気がない無気力な表情をしていて、さすがに心配になる。肌も青白く、少しやつれて見えた。憂いを帯びた視線の先にあるものを探ってみようと試みても、瞳は揺れており焦点が合わない。虚ろな表情で四肢も力なく垂れている様は、まるで羽をもがれた鳥のようだ。生きる希望を持って元気良くとまでは言わないが、せめてもう少し明るく気楽に過ごして欲しい。そんな気持ちで女は、また一歩、漆羽に近づいた。冷たそうな指先を温めてやろうと手を伸ばす。
「してます! 何か悩み事でもあるんですか? 聞くことしかできないけど、私でよければ――」
「ダァッ! やめろッ! なんでもない! 俺に触るなって……!」
指先が触れた途端、凄い剣幕で払いのけられてしまい、さすがにただ事ではないとわかる。かつての英雄をこんなにまで追い詰めたあの事件を思うと胸が痛み、彼の重荷を分けて欲しいと願う。ほんの僅かでも心身ともに軽くなればと日々接してきたつもりだったが、何の慰めにもなっていなかったのだと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。それでも従者が諦めてしまっては彼も救われないと、女は努めて明るい声を出してにこにこと笑った。
「でもその、心配なんです。無理しないでくださいね。私にできることなら、なんでもしますから」
「……なんでもって、例えば、何をしてくれるっていうんだ」
「そう言われると、困るんですけど……。漆羽さんのお力になれるなら、剣技のお相手だってやりますよ!」
見てください、と言って腕をまくり、力こぶを作るような素振りを見せる。確かに慚箱守護の任に就くだけはあって、そこらの女よりは鍛えられているようだ。しかし男のそれとは明確に違う白く細い腕は柔らかく肉付いて、腰はしなやかにくびれ、尻はむっちりとふくよかだ。そんな女の身体と夢の淫魔の肉体とが重なり、漆羽は大きな溜息を吐いた。ここは夢の中なのか、それとも現実世界なのか。確かめる術は、要望のようにもう彼女の言動しかない。
「お相手、ねえ。……剣以外もできんのかよ」
「妖術の心得はありますから、お任せ下さい!」
「調子いいことばっかり言ってたら、本当にあれこれ頼んじまうぞ……」
にやつく口元を押さえながら冗談めかして言う漆羽を見て、女はとても嬉しい気持ちになった。楽しいとき、少年のように照れ笑いするところが好きだった。やはり彼には笑顔が似合う。
「大丈夫です! 私、漆羽さんのためにここに居るんですよ」
「言ったな」
「言いました! 私に二言はありません」
それじゃあ今夜俺の部屋に来い、と言いかけて、漆羽はここが夢裏ではないことに気付いて小さな悲鳴をあげ、頭を抱えてうずくまった。ここのところ、虚構と現実の区別がつかなくなってきている。
女は真っ赤になってのた打ち回る漆羽を不思議そうに眺め、くすくすと笑った。己を見つめる男の視線の湿度には、まだ気付いていない。結局何も言い出さない男に呆れたのか、そっとしておいた方がいいと考えたのか、女はその場を立ち去った。
夜でなくとも女を晒して淫らに誘う、彼女にも責任の一端があるのではないか。なんでもするというのならば、その言葉に責任を持つべきだ。次第に遠のく女の後ろ姿をねっとりと見つめながら、漆羽の思考が霞んでいく。もう後戻りはできそうにない。