朝早くに目覚めたので共同のダイニングへと行くと、オーナー夫婦はすでに朝食の準備を始めていた。彼女が何か手伝う事は無いかと声をかけたとき、寝室から二人の子らが目を擦りながら起きてきた。お気に入りのガーゼタオルを持って毛足の長い絨毯に二人して寝ころぶと、母を何度も呼んだ。妻は子らの支度をし始め、夫は食事の準備をすすめ、彼女は配膳を手伝った。
にぎやかな朝食を終え、民宿を後にする。家族四人に見送られ、彼女は旅の相棒である電動自転車に乗って手を振ると港町へと向かう。そこで愛車を乗り捨てフェリーへ乗車し、島々の旅も終わりだ。今日は移動時間が多くなるが船に乗るのは楽しみだった。
海道の終着駅である街を少し見て回ると、タオルが名産らしく至る所で売られている。おだやかな人々が行き交う静かな街だった。そこから電車とバスを乗り継いで港町へ行き、レストランで海を眺めながらランチを食べることに決めた。カジュアルなコースだと聞いていたが、美しい食器に芸術作品のように盛り付けられた食材たちに胸が躍る。まるで絵画のようだ。
食事を終えポートターミナルでフェリーを待つ。早朝に出発したがもう正午を過ぎている。今日は曇り空でやや風が強く肌寒かった。フェリーに乗るとさらに風を感じたが、せっかく乗ったのだからとデッキに出たものの薄手の上着だけでは凍えそうだ。自転車に乗っていると暑くて脱いでしまうことも多かったのに、やはりまだこの季節はもう少し厚手の上着が必要だったのかもしれない。この五日間幸いにも天候に恵まれていたのでここまで寒さを感じることは無かったが、曇り空と強風、船の上ということも相まって指先が冷たくなってきたので船内に入ってガラス越しに海を眺めた。海道の旅は寄り道をしない限りほとんどの人が一本道のコースを行き、各々の目的地へと散っていく。そのまま帰る者もあれば陸続きの県へと行く者もいる。彼女のように船に乗って本州へ戻る者もあった。ふと七海はどうしているだろうと思い出す。この先きっともう二度と会うことは無いだろうに、あの日もう少し気の利いた事でも言えばよかった。せめて一言、この旅であなたに会えてよかったと伝えることが出来ていれば。その一言をあの時、言えたら今頃どうなっていたのだろう。
船は途中一駅停車して本州へと着いた。そこから船を乗り換えて最後は世界遺産にも登録されている有名な観光地で一泊する。船を降りて最後の地へとたどり着くと小腹が空く時間になっていた。ロープウェイに乗るため遊歩道を歩いていくとレトロなカフェがあったので休憩がてら入り、テラス席でチーズケーキを食べる。海が見渡せ素晴らしい景観だった。山頂からの眺めもよく寺院を巡りながらその景色を楽しんだ後、最後も少し贅沢をしようといい宿をとったので予定よりも早めにチェックインをするため向かうことにした。
一人で宿泊するには十分すぎるくらいの広さの客室は想像を超える美しさだった。大きくとられた窓から紅葉と海が眺められる贅沢な造りだ。食事の時間になる前に温泉に入って旅の疲れを癒す。浴衣に着替えて身体の火照りを冷まそうと休憩所で雑誌を読んでいると、他の観光客が何やら黄色い声で話しているのが聞こえてきた。昼間に出合った外国人観光客がかっこよかったという話だ。学生が泊まるには少し高価な宿だが、賑やかな歓声を微笑ましく思った。若者の楽しげなおしゃべりをバックミュージックにしながらサービスのフレッシュハーブティーに手を伸ばすと、何者かに照明が遮られて一気に手元が暗くなる。顔を上げるとそこには一人の女性が立っていた。その女性は照明を遮った事を詫びると近くのソファに腰掛けてゆったりとくつろいだ。彼女は顔を上げた時、もしかしたらと思ったが想像していた人物ではなく少しだけ残念に思った。きっと映画や小説だったらここで七海と再開していただろうと雑誌を閉じて目を瞑ってドラマチックな展開を夢想した。
この日はやはり七海に会うことは無かった。きっと海道を出た時点で彼とは道を違えたのだろう。彼女は寂しく思ったが、心の中で素敵な思い出をくれた七海に感謝の言葉を述べると布団に入って目を閉じる。日中自転車移動をしなかったせいか、この日はすぐに眠ることができなかった。スマートフォンの画面を眺めながらしばらく布団の中でごろごろしていると、うとうとしてきたのでそのまま眠った。