何度も同じ夢を見る。不出来な部下に組み敷かれ、身体を暴かれるという内容だ。夢のくせに、現実の感覚器官を通ってきたみたいな強烈な刺激が全身を駆け巡るから不気味だった。息も絶え絶え目覚めたときには、皮膚は粟立ち、下着がじっとりと濡れてしまっている。軍家に生まれ寄り道なく歩んできたから、男性経験が乏しい自覚はあった。しかし、あの夢の中の行為がどういったものかはさすがに理解している。けれどその淫夢の相手が、なぜ、よりにもよって、柴なのか理解できない。やけにリアルな内容も相まって、もしかしたら現実に起こった出来事なのかもしれないとさえ思い、勘違いしてしまいそうになる。
夢から覚めてもなお、腹の奥底でのた打つ甘い疼きに耐え兼ね、己の股座に手を伸ばす。
――あれは、本当に夢だったのだろうか。
態度も悪ければ素行も悪い問題児、柴登吾をやたらと気にかけている女は、ここのところよく眠れないでいた。とある仕事でどうやら持続性のある妖術にかかってしまっていたようで、毎夜悪夢に苛まれているからだ。治療を受けてようやく最近その効力が弱くなってきているらしく、過去のあやふやだった出来事を思い出しかけていた。断片的に蘇る記憶のなかで、女は柴に激しく抱かれていた。わけもわからないまま貞操を犯される場面が繰り返し脳内で反芻されて、頭の中はぐちゃぐちゃに混乱しているにも関わらず、信じられないことに、最期には自ら望んで受け入れてしまうのだ。
朧気ながら記憶が部分的に戻りつつある今、頭の中は靄がかかったようにどんよりと沈み、重く、怠い。なぜそんなことになったのか。そもそもこれは、現実に起こった出来事なのか。はっきりしないことが多すぎるが、部下に突き上げられ快楽を貪る己の姿だけは異様に鮮明だ。淫夢から目覚めたとき、腹の底から湧き上がる情欲を抑え切れない。結局欲望に負け、情けない姿で自らを慰めてしまう。
今日も目を閉じると、空想と現実の区別が曖昧になる。腹の奥底でくすぶっている甘い疼き。逃れようと身を捩れば、頭の先から足の先まで電気が走ったみたいに駆け巡る快感。もはや理性では抗いきれず、本能の赴くまま己の身体を弄ぶ。
今宵もまた、明け方まで眠ることができないのだろう。
――頭の中が曇っている。何か大切なことを忘れているみたいだ……。
今日も治療のため医務室を訪れていた女は、真っ白いシーツがかかったベッドに横たわりながら考え事をしていた。治療中は頭をからっぽにしろと言われているが、思考は止まらず眉間に深い皺を寄せる。様子を見に来た救護員に注意を受け、女は深呼吸をした。意識的に力を抜くということ。それは、女にとって苦手なことだった。大きく息を吸うと、肺が空気で満たされているのに、なぜか苦しい。ゆっくり長く吐いていくと、気持ちが緩むのかわずかに楽になる。何度か繰り返していいたら、うとうと眠くなってくる。夜眠れば、悪夢を見る。起きたら性欲に負け、自慰をしてしまう。自分でも情けないと思っているが、どうしようもなかった。不覚にも敵の攻撃をくらった上に、業務に支障が出ているこの現状を受け入れて、治療に専念するほかない。
「すいませェん! ココ怪我したんでバンドエイドくださーァい!」
女が目を閉じた瞬間、医務室の扉が無遠慮に開いた。部屋中に響き渡るほどやかましい声。見なくても誰かわかる。頭の中の靄が広がる感覚がして、女は強く目を瞑った。
柴はズカズカと診察台まで進み、勝手に無影灯を付けた。無意味にごろりと横になり、救護員に左手の薬指を差し出した。神奈備で怪我の部類には入らないような、小さな擦り傷を大袈裟に見せる。痛いから優しくしてほしいと言ったところで、呆れた救護員がバンドエイドを柴に投げつけた。
「柴登吾さんですね。怪我には気を付けてください」
「おっ。君はハジメマシテやね。明日も出勤? 怪我したらまた会える?」
「はぁ……。貴方、ここじゃ有名ですよ。私は引っ掛かりませんからね」
薄いカーテン越しに救護員がしっしと手を払う影が見える。パチンという音と共に無影灯の光が消えると、診察台がギシリと音を立てた。もう来るなという救護員に向かってまた来るわと答える、柴のちぐはぐさに呆れてしまう。
女は二人の会話を聞きながら、沸々と沸き上がる苛立ちを抑え切れずにいた。どこでも誰にでもあの態度であるとすれば、組織の風紀を乱していると言わざるを得ない。口うるさいだのパワハラだのと言われるが、己の行動を振り返ってみろと言いたい。だからこれからも、私があいつを正さねば。
治療を終えた女が持ち場へと戻ろうと歩いていると、先ほどの救護員と柴が立ち話をしていた。どこに住んでいるのか。彼氏はいるのか。休みはいつか。一見柴がしつこく言い寄っているように見えるが、救護員はというとツンとそっぽを向いていながらも無視はしておらず、律儀に柴の質問へ答えていた。嫌なら放っておけばいいものをご丁寧に返答しているということは、満更でもないと思われても仕方がないだろう。それに二人の距離は近く、親密そうに見えた。
女の頭の中で、さきほどの救護員との会話が反芻された。『ここじゃ有名』『私は引っ掛かりません』柴の日々の行いを意味するその言葉は、普段から大した用もないのに医務室に出入りし、ナンパまがいの言動をしていることを表していた。部下の問題行動を矯正するのが務めだと思っていたが、相手が嫌がっていないのだとすれば、止める必要もない。いつもなら柴を呼び止め起立させ叱責していたところだが、もう放っておいても良いだろうと、女は二人を素通りした。柴は反射的に女へ視線を向けたが、一瞥もくれず立ち去る様をちらりと見送っただけだった。
一瞬口をつぐんだ柴の軽口が背中のほうから聞こえてくる。聞きたくないのに無視できない。
――柴登吾。素行は悪いが、性根まで腐っているわけではない。それなのに、あいつを感じるたび、心がざわつくのは何故なんだ。
そもそも、部下が業務外で何をしていようと関係ない。へらへら笑う顔が容易に想像できたが、短く息を吐いて頭から追い出そうと努力する。
それから幾度も同じような場面に遭遇すれど、女はもう柴に何も言わなかった。見るたび胸が苦しいのは、毎夜見る淫夢のせいであってほしい。いっそ何もかも思い出さなければ楽になるのかもしれない。そうは思っても治療を進めれば進めるほど、女の記憶は鮮明になっていった。ばらばらになっていた点と点が繋がるたび、忘れてしまいたい光景がまざまざと浮かんでくる。記憶が戻れば戻るほど、部下への気持ちが色づいてゆく。失っていたものが元に戻ったとき、一体どうなってしまうのだろう。