画面に表示された名前を見てゴクリと喉が鳴った。用件など決まっている。七海が私に求めているものは一つしかない。通話ボタンをタップすると挨拶も無く七海が話しだす。
『今夜予定が無ければ会いたいのですが』
私は何も無いと返事をして、指定された待ち合わせ場所へと足を向けた。会いたい。単語は同じだが意味は以前と全く違う。それなのに今日何をするか想像しただけで覚えのある甘い痺れが身体を駆け巡り、頭の中は性的な考えで支配された。一方でこんな関係は間違っている、考え直せと責める自分もいた。七海と復縁したいわけではないのに、冷たくされると傷ついている自分が想像できる。身体の関係を続けながら前と同じように優しくしてほしいなんて言えるわけが無いのに、甘い言葉を望んでしまう。七海は私の事をどう思っているのだろう。どんな気持ちで今夜誘ったのだろう。私は一体どうしたいのだろう。
待ち合わせ場所に向かうと既に七海がついていた。普段着であるところを見れば今日は休みだったようだ。恋人同士であればこれから映画や食事にでも行くのだろう。私たちは違う。目的の場所に早々と行き、目的の行いを終えたら、さようならと別れてお互い帰宅する。そういう関係なのだ。
こちらに気付いた七海に向かって手を上げると頬を緩ませた。その表情が交際を始めた時の初々しさを思い出させて胸がちくりと痛む。あんな表情をするくせに、これから向かう先はホテルだ。こうやって私に会っているという事は、まだ特定の相手はいないのだろう。そう考えるとなぜか安堵した。七海の言う通り、つくづく自分勝手だと思う。
自然と手を差し出され、振りほどけばいいのに応えてしまう。私たちの事を知らない人が見たら恋人同士だと思うだろう。そのまま連れられて行くとやはりそこはホテル街で、まだ早い時間だというのに私たち同様に仲の良さそうな男女がふらふらと歩いていた。七海が選びそうにないと思って眺めていたお城みたいな外観のホテルを指されたので頷き、怪しい照明が輝くスクリーンを二人でくぐった。
目的の部屋に着くと扉の前で立ち止まり手のひらを上に向けて「どうぞ」と合図される。自分で開けて入れということだろう。
「素直でいいですね」
「終わったら帰る」
私がドアを開けると口元に手を当てながら七海が言った。私の振る舞いがちぐはぐで笑っているのだろう。ドアが自動ロックされ、中に入ると二人きり。豪華な内装と大きなベッド。ベッドサイドにはティッシュボックスとコンドームが備えてあり、ここが普通のホテルではないと静かに主張している。
「いつも最後は立てなくなっていますが、どうやって帰るつもりですか」
「タクシー呼ぶから……」
「別れた男と我を忘れてセックスしてイキまくって、足腰立たないので送ってくださいとお願いするんですか」
「意地悪言わないで」
「私が意地悪なんですか? 未練を知っておきながら身体の関係だけを続けようとしているアナタの方では?」
七海の言う通りだ。それ以上言い返せず下を向いて立っていると、そのまま服を脱がされベッドへ連れて行かれた。シャワーを浴びたいと言ったが聞き入れてもらえず、そのまま陰部に触れられる。一応抵抗してみるがこれはただのポーズだ。本当は、触って欲しい。
「嫌がる割にはぬるぬるさせて」
期待で既に潤んでいることを知られてしまった。
「入口ゆるゆるで」
前戯もなく七海のものが私の穴を擦る。
「ほら、すぐ入っちゃいましたね」
たまらず足を大きく広げて受け入れる姿勢をとるとすぐに入ってきた。
「はぁ……、溶けそう……」
虚ろな表情で七海が言う。そのまま奥へと進んでほしい。途中の壁を擦るばかりで焦らされている。これをしばらく続けられて、一気に奥まで来られると失神しそうなくらいに気持ちがいい。罪の意識や背徳感に浸かりながらするセックスの快感は格別だ。
「こっちを向いて顔を見せて。キスしたい。戻りたい。もう無理ですか。諦められない」
背けていた顔を正面に戻され、熱の篭った眼差しが向けられる。
「だめ、やめて」
「本当に、私はもうアナタの恋人ではないんですね。では何故こんなことを?」
「誰でもいいって、身体だけって、七海が言った……」
よりを戻すとどうなるのだろう。私が言った酷い言葉や、私がとった冷たい態度を忘れてもらえるのだろうか。今までのすべてが無かったことになって、またゼロから始められるかもしれない。そんなわけはないのに、甘い考えばかりが浮かぶ。性的な欲求に翻弄され自分を見失っている。七海とどうなりたいのかわからないのに、このままでいいとも思えない。身体だけだと言われたら胸が痛む。戻りたいと言われたら躊躇する。
触れ合いが終わり、普通の恋人たちであれば愛を囁き合い眠りにつくだろう。私たちは、お互い昇り詰めることだけを目的としているのでそんな必要はないのだ。言葉を交わすことなく背中合わせになり、着衣を整える。
「もう今日で終わりにしましょう」
床に向かって七海が言う。心の揺れを全く感じさせない平坦な声だった。
「やはり、想像以上に辛い」
関係を切ろうとされている。最中によりを戻したいと言った同じ口で言っている。内容は理解できるがそれをすんなり受け入れられない自分がいる。まるで他人事のように聞く私と、行かないでまだ愛して欲しいと叫ぶ私。七海の未練に漬け込んで彼を利用していることはわかっている。私が悪いとわかっているのに、七海から切り出された手切れ話に心を乱された。それはかつて、私が七海にやった行いと同じだ。
「ごめんなさい、私――」
「身体だけでもいいと、最初はそうだった。そのうちアナタの気が変わるかもと、縋った私が馬鹿でした。私の事は本当に身体だけなんですね」
関係を続けることで何を望んでいたのだろう。七海が私に復縁を乞う姿を見て優越感に浸りたかったのだろうか。本当はこれほど愛されているのだと、この歪な関係を俯瞰するもう一人の私に示したかったのかもしれない。
「こうして会ってしまったらアナタがまた振り向いてくれるかもしれないと、好きだと言ってくれるのではないかと期待してしまう。辛いです」
シャツのボタンが上まで閉められた。美しい所作だ。彼には無駄がない。あったとしたら、それは私だったのだ。完璧だった七海を歪ませ、腐し、地に落としてしまった。七海は私を愛したのだろうか。そうだとしたら、その大いなる愛で縛り動けない私を見て何を感じたのだろう。
「わかった。ごめん。ごめんなさい……」
「着替えたら帰りましょう。送ります」
一度も振り返らない七海の後をとぼとぼ着いていくと自宅だった。さようならと別れの挨拶をして、今日で私達は本当に終わったのだ。心に刺さった棘が化膿し私が腐り落ちようとも彼のせいではない。私が自分で、こんなにしてしまったのだから。