上を向くと私をベッドに組み敷いてにやついている七海の顔が見える。ここは安いラブホテルだ。中に入って入口の扉が閉まったら最後、何もありませんでしたという言い訳など通じない。脅されたとはいえ、やはり最初からきっぱりと断わるべきだった。でももう遅い。来てしまった。それも、大した抵抗もせずに。どう考えても合意とみなされる。七海は私のことを馬鹿な女だと思っているだろう。
私に触れる手つきは付き合っていたあの時と同じなのに、愛の言葉は囁かない。息を荒らげて何も言わずに身体中をまさぐっている。もっと抵抗しなければ。そう思うのに身体も口も動かない。なにか盛られたにしてはやけに意識がはっきしりしている。おかしな術をかけられているのかも。でも妙な呪力は感じないし呪具の類も見当たらない。
そうだ。私は、自分の意思でここまで来てしまったんだ。またあの快感を求めて、動画で脅された事を口実に、自らの足で赴いた。こうやって触れられてしまったら思い出す。頭の芯まで痺れるような強烈な快感を。どうやら消したと思っていた炎は、腹の奥底で燻っていたらしい。
「うぅ……」
身体の芯から熱くなってきて、堪らず呻き声をあげてしまった。咄嗟に口元を押さえたが一度発した言葉を取り消すことはできない。
「全然変わっていない」
前をはだけさせブラジャー越しにやわやわと胸を揉みしだきながら七海が顔を上げた。目を細め口元を緩めて赤くぬめる舌を出し私の皮膚をなぞる。
「一回だけでいいんです。すぐに終わります」
そう言うとまた顔を下ろして胸の辺りでゴソゴソし始めた。一回だけならと小さくため息をついたとき、七海が私の背中に手を回してホックを外した。締め付けから解放され胸が露出すると、七海は両脇に流れようとする脂肪の塊を寄せ集めて両方の突起をまとめて口に含み転がし始める。まるで赤子のように口先を尖らせ唇全体で乳首を覆うと、わざとらしくちゅうちゅう音を立てて吸った。
「甘い」
「そんな訳ないでしょ……」
「本当です。確かめてみますか」
「いらない。やめて」
舌を突き出した七海の顔が迫ってきたと思うと、そのまま私の唇を割って入ってきた。ズルズルと下品な音を立てて私の口の中をじっくりと犯すように舐め回す。目を開けたまま私を至近距離で見つめながら唇に噛みつき味わうように何度も舌を出入りさせてくる。前はこんな汚らしいキスはしなかった。わざとらしい。吐き気がする。
「ほら、甘い」
「……どこが」
口の周りにべたつく唾液をシーツで拭っているところを見られている。以前と同じように抱かれることを想像していたのに、全く異なる七海のやり方に戸惑っている。ねっとりとした七海の視線が絡みつき、私は何か彼に悪いことをしてしまったのかもしれないと考えた。再び七海の顔が近づいてきた時、反射的に目を瞑って顔を背けてしまった。そんな私の反応を見て七海はなぜか嬉しそうに笑った。
「嫌ですか」
「嫌だ。気持ち悪いことしないで」
「ふふ。では、やめましょう。アナタが嫌がることをするつもりはありませんから」
以前の七海は身体を密着させることが好きだった。家でも外でも私にくっついて離れなかった。セックスの時はもちろんその大きな体をぴたりとつけて皮膚と皮膚の合わさる感触を確かめているようだった。普通にしている時も、後ろからの時も、寝ながらする時も、ピッタリとくっついて全身で愛情を伝えてくれていた。前はそうだったのに、今は何か違う。私に跨っているが、触れているのは七海の舌が這うところだけ。舌先だけで私の身体をなぞっている。触れられる場所が部分的なせいか異常に感度を増した私の身体はびくびくと震えて反応を示す。首筋をしつこく舐めたかと思うと鎖骨の凹凸を唇で挟み左右に揺れて形を確かめ始めた。それからそっと歯を立て少しずつ力を込めていく。痛みが増していくのが怖くなり「痛い」と言うと「すみません」と謝りはしたが、反対側へ移動して同じことを繰り返した。血が出るのではないかと思うほど力を入れられた時、さすがに耐えきれず七海の肩に爪を立てた。
「すみません。痛いですね」
「やめて」
「ここにアナタの骨がありました。鎖骨は細いので、折れやすい」
自分のつけた歯型を舌でなぞり満足そうに笑った。狂気を感じる。ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んでしまった。私の動揺を察知したのか、七海はすぐに顔を離してがっくりと肩を落としてみせる。その反応がわざとらしい。
「アナタが怖がることはもうしません。これ以上嫌われたくありませんから」
「痛いことはしないで」
「わかってます。気持ちいいことだけにしましょうね」
それから七海は長い時間をかけて私の身体中を舐め指でなぞりながら刺激し続けた。いとも容易く達する私を見て笑っている。私の弱い所をすべて把握しているのだと言って執拗に愛撫を続け、なかなかその先に進もうとしない。早く終わらせるために何度も入れて欲しいと言ったのに返事は一度も無い。ようやく希望が叶えられたのは私が何度目かの絶頂で派手に潮を吹いてしまった後だった。全身を震わせて立ち上がれない程の快楽に抗おうとしていると、七海は口元を押さえながら笑っていた。笑われても仕方がない。口ではやめろと言っているくせに、腰をくねらせ七海を求めてしまっていたのだから。情けないくらいに快感に支配された私は数え切れないくらいイカされまくり、最後には抵抗の言葉さえ出てこなくなり卑しく七海のセックスを懇願した。
「も、いれて、奥まで、してっ……」
言い終わってすぐ、ようやく七海が入ってきたのがわかった。しかし以前と違う隔たりのない感覚にゾッとして挿入部を見ると、七海はコンドームをつけずに私の穴の奥深くに差し込もうと腰を落としていた。今まで一度もされたことが無いその行為に恐怖を感じて胸を押し返す。力が入らない。
「うあ、だめっ! ナマはやめてっ!」
「奥まで突っ込んで掻き回してくれと言ったのはアナタでしょう」
「だめっ、ゴムしてっ、ゴムして入れてっ」
そう。確かに私はそう言った。別れた男に脅さたとはいえ身体を許し、しばらくぶりの快感に支配され、何度も何度もお願いしたのだ。
「自分勝手ですね。つけたらいいんですか。別れた男に抱かれても」
「良くない、です……。けど、もう、我慢できないんです……」
こんなことは間違っている。そんなことはわかっている。それなのに我慢できない。セックスをするのは七海と別れて以来初めてだ。一人で慰めていても思い出すのは七海とのセックスのことばかりで、自分でもどうかしていると思う。でも事実だった。七海が怖くてもう駄目だと思って別れたのに、身体は彼を求め続けた。手を伸ばせば届きそうなところにエサをぶら下げられた動物のように、今それを強烈に望んでいる。最低だが身体だけでもいい。この疼きを静めて欲しい。
「期待を持たせるようなことをして私を傷つけたくせになんですかその言いぐさは。罰として今日は生ハメです。いいですね。大丈夫。出すときは抜きますから」
「ちょっと、やだッ、離して!」
七海に押さえつけられて身動きが取れない。男と女には圧倒的な力の差があって到底叶わないことなど理解したいる。それでも抵抗をやめるとこのまま受け入れたがっていると思われてしまいそうで、なんとか抗う素振りをした。
「力で勝てるわけがない。これでわかりましたか。自分のやってること」
「わかった、わかりました……。私が悪いから、お願い、つけて……」
もう頭の中はすでに、どうやって罪悪感を誤魔化してセックスするかというところまで来ている。七海の力が緩んでも押し返す手に力を入れることはない。このままそのたくましい腕に抱きしめて欲しい。鍛えられた身体に貪りつきたい。力強く勃起したそのペニスを疼いて震える穴にねじ込んで欲しい。そう思っているからだ。わずかに残った理性が避妊だけはするように訴えている。もうそれさえどうでもよくなり始めていた。これほどまでに七海を求めてしまうのはなぜだろう。彼に会うと反射的に脳内麻薬が分泌されてしまう。原始的な本能に直接作用するそれに抵抗は無意味だ。もしかしたら、七海は私のすべてわかっているのかもしれない。
「セックスをやめるとは言わないんですね」
「うぅ……、ひどい。やめる、セックスやめます……」
「ひどいのはどっちですか? 期待させるな。もう絶対やめません。グズグズにして、私じゃないと駄目だとわからせてやるからな」
七海の言葉が降ってくる。怒気を孕んだ声だが、待ち望んだ快感を与えて貰えることがわかり背筋が歓喜でぞくぞくと震えた。七海でないと駄目な身体だということなどとうに理解している。別れた男に縋ってはいけないと見て見ぬふりをしてなんとか誤魔化してきたのに、久しぶりに会ってその香りを嗅ぐと一気に全部が蘇える。
ネチネチと音を立てている私の穴と七海の肉棒がくっついているところを食い入るように見ていると、そんな私を見て彼は薄ら笑いを浮かべた。もう軽蔑してくれていい。あれが奥まできたら、絶対、馬鹿になるくらい気持ちがいい。はやくちょうだい。もうどうなってもかまわない。きもちよくなりたい。それしか考えられない。
じわじわと肉の輪を広げて七海のものが入ってくるのを感じる。やっと、入れてもらえた。その安堵で力が緩み、一気に奥まで差し込まれ途端に気をやってしまいそうになる。
「うッ、あッ、うごいちゃ、だめ、い、いく、うぅ……」
「無理矢理生でハメられて奥少し突いただけですぐいって。羞恥心というものは無いのか」
「ごめん、なさい……でも、また、いきますっ……」
「ハハ。私たち、どうしてこうなってしまったんでしょうね」
知らぬ間に涙が流れてシーツに染みを作っていた。七海の言う通り、どうしてこうなってしまったのだろう。私達はどこかで少しずつずれてしまって、取り返しのつかないところまできて、それから――。
もう今は与えられる快感を逃がさず得ることしかできない。私の奥を穿ち続けるものを感じながら考えることをやめた。
「も、やだ、また、いくっ……い、いくぅ……あ……」
「人の話を何も聞いてない。アナタの悪いところです」
「ごめ、なさい……あっ、あっ、またッ……」
腰は跳ねて背中を反らしびくびくと震える私を見て七海は満足そうに笑った。彼に似つかわしくないごてごてと派手なラブホテルの内装をぼんやりと見つめながら、私は次の波を待つ。
「大きな声を出してしまいすみませんでした。気持ちが昂ってつい言ってしまった。本心ではありません」
「……帰る」
全てが終わった後、冷静になるととんでもない事をしたと後悔が襲ってきた。結局快楽には抗えず身体を許してしまった。自分でも最低だと思うが一度のみならず二度、三度と要求したのだ。二回目も欲しくなり七海のものを再び大きくしようと自分から必死になって舐めて、上に乗っかってまで求めてしまった。最低だ。七海はそんな私を見てなんと思ったのだろう。浅はかな女だと思ったに違いない。認めたくないが、私は七海のセックスに依存している。彼と出会うまでセックスは男女交際にはどうしても外すことができない作業のようなものだった。気持ちよくないわけではないが、自ら積極的にするものでもない。そんな認識だったのに。だって、こんな快感知らなかった。入れて欲しくてお願いするなんて考えたことも無い。それほどにまで七海から与えられる刺激は凄まじい。もう死ぬまで他の男とセックスする気にはなれないとさえ思ってしまう。
散々達した後で動くことができずにベッドに倒れていると七海は私にそっと布団をかけた。自分だけ下着を履いてベッドに腰掛け、こちらに背を向けて口を開く。
「私と別れた後、誰かとセックスしましたか」
「……してない」
本当だ。そもそも男と付き合おうという気になれなかった。七海の束縛に心底疲れていたのだ。自分のためだけの時間が欲しかったから、誰かに時間を割きたくなかった。会社には仕事をしに行くだけで、定時退社後は家でぼんやり映画を見る。七海を自分から振って以降、突如からっぽになった私の生活を埋めるものは動画配信サービスだけだった。虚しいと思わない事も無かったが、誰にも気にかけて欲しくなかった。もう放っておいて欲しい。一人になりたかったのだ。ぼんやり思い返していると私が不服そうにしていると思ったのか、七海はにやにやと笑いながらこちらを向いて口を開く。
「私はあれから五人の女性を試してみたんですが、アナタと全然違うので驚きました。恋人でない女性の裸でも、見ると一応勃つんです。しかし、穴に突っ込んで動いてもなかなか射精できない。全く気持ち良くない。締め付けが緩いのかと思ったがそうでもない。そんな時、ある一人の女性がこっちを試せと言って尻の穴を私に向かって広げてきた。ゾッとしました。アナタと全然違う。恥じらいなくあんな行為を見ず知らずの男となぜ易々とできるのか理解できない。だからどうしてもまたアナタに会いと思ってしまいました。今日は誘ってくれて嬉しかった。ありがとうございます」
「……何が言いたいの?」
「私たちは身体の相性も最高だった」
「だからやらせろってこと? 最低」
最低なのは自分の方だということはわかっている。あんなに乱れていたくせに、今更被害者ヅラをしている自分はクズだと思う。それでも、七海から告げられた内容も最低だ。交際関係を解消していたので浮気ではないとわかっているが、わざわざ報告する内容ではない。私に聞かせてどうしたいというのだ。
「品の無い言い方をすればそうですね。先程アナタ以外を試したと言いましたが、誤解しないで欲しいのは性欲を発散するためにやったのではありません。どうしてもアナタを忘れたくない。私の初めての恋人ですから。別の女性を抱いてみることでアナタの素晴らしさを再確認したかったんです。実験みたいなもので――」
「そう。でももう私達終わったんだよね」
「残念ですが、そうなんです。本当に悲しい。先程は気持ちよすぎて頭が溶けてしまいそうだった。やはりアナタは素晴らしい」
七海が私の方へと寄り頬を撫でた。前はそれが嬉しくて私もすり寄っていったのを覚えている。でも今は違う。七海が怖い。何を考えているのかわからない。彼の手を振り払い身体を起こす。床に落ちている下着を拾って素早く着替えた。身体中ベタベタしていてシャワーを浴びたいと思ったが、七海を一人にしておくと何をされるかわからない。スマートフォンのロックはしていないし、バッグの中には手帳も入っている。
「七海はきちんと恋人を作った方がいいと思う」
横目で七海の反応を見てみる。ずっと私を見ていたようで視線が合ってしまった。すると口元を緩めてにこりと微笑み、再び私の頬へと手を伸ばす。触れられてはいけないと手首を掴んで制止すると、両手を軽く上げて降参のポーズをとった。
「そのようですね。身体だけではない、心の触れ合いが重要なのだと気づきました。だからセックスは気持ちがいい。アナタとするからいいんだと」
「私と七海の間に気持ちの繋がりがまだあるって言いたいの?」
きっと彼にはもっとふさわしい人がいる。すぐ恋人はできるだろう。七海は私が初めての恋人だったというが、誰にでも初めてはあるし終わりもある。私は七海のように何か特別なものを持っているわけでは無いし、彼に何かを与えてあげられるわけではない。
「かつてはありました。今はもう無い。一方通行です。それなのにあの快感です。なぜでしょう。わからない。一回だけと言いましたが、撤回します。また会って下さい」
「嫌。無理。会わない」
「身体だけの割り切った関係でいいんですが、それでも駄目ですか」
「駄目」
「どうして? あんなに気持ちよさそうだったのに。既に決まった相手がいますか。いないならできるまで、一ヶ月に一回だけ。お願いします」
執拗に関係を迫る七海はやはり恐ろしい。変わったと思ったが結局何も変わっておらず、私の気持ちは関係ない。やはりこれ以上七海と関わることはできないと再確認した。自分の欲望に負けて関係を持ってしまったが、もう二度とこんなことをしてはいけないと自戒する。私達はお互いに離れるべきだ。
「恋人はいない。他の人あたって。元カノに頼むことじゃないでしょ」
「復縁したいわけではない。アナタを束縛して傷付けたことは深く反省しています。でも身体がアナタを求めるんです。この疼きを鎮めるためにはアナタじゃないと駄目なんです」
「今日の事は忘れて。期待持たせるようなことしてごめん。私、もう七海とは無理だよ」
「誘っても断られると思っていました。でもアナタから誘ってくれた。正直な気持ちを言うと、アナタの事がまだ好きです。忘れられない。お願いします」
「話が通じないんだね。私の事が好きなら、私の事を想うなら、もうやめて。会わない」
「忘れるために、会いたい。もう二度とこの手に戻ることは無いんだと理解できるまでアナタを抱きたい」
「……もう出よう」
今日の七海はよく喋る。聞いてもいないことを勝手にベラベラ捲し立て、こちらの話は聞こうともしない。何を言っても理解してくれず途方に暮れた。再び関係を持ってしまったことはどう考えても間違いだった。脅されたとか、断れなかったとか、それは自分にとって都合のいい言い訳に過ぎない。今日は何があってもついて行くべきではなかったし、そもそも二人きりで食事に行くことさえしてはいけなかったのだ。当たり前だが自分がすべて悪い。してはいけない期待を持ち、その通りになれば後悔する。自分の行いがあまりに酷く汚らわしい。
着替え終わった私はバッグを手に取り七海にも着替えるよう促した。しかし動く気配はなく、ベッドに腰掛け下着一枚のままだ。
「また連絡します。それくらいいいでしょう。返事は無くてもいいです」
「一体何がしたいの」
「アナタを諦めたい。私を拒絶してください。そうじゃないと納得できない。本当は今日も来ないで欲しかった。あんなに簡単にのこのこ付いて来るから私は――」
「わかった。さようなら。一人で帰れます。部屋代渡しておくね。二度と連絡してこないで」
立ち去る時振り返って七海を見るとホテルのパジャマに袖を通していた。一人でこの安ホテルに泊まるつもりなのだとわかってぞっとした。下着が再び盛り上がっているのに気付いてしまい鳥肌が立つ。これからあのベッドで、一人、朝まで、何をするつもりなのだ。
ホテルを出て駅に着いた時、いつもの癖で左手首を見ると時計を忘れてしまったことに気づく。でも七海に連絡する気は起きなかった。あの時計は彼からプレゼントされたものだったが、デザインが気に入っていたので別れてからも使ってしまっていた。これを機にまた新しいものを買えばいいと自分に言い聞かせ、発車間際の終電に飛び乗った。