七海に聞きたいことがあると呼び出された日。私達は駅前のよくあるチェーン店のカフェで落ち合いくだんの件について話した。結局原因はよくわからず、現地を見てみないと何とも言えない。七海は後日私が派遣されるのではないかと言い、また有休が減ると愚痴を溢したら彼はふっと吹き出して笑った。久しぶりに見る七海の笑顔にほっと気持ちが緩み、私もつられて笑った。そこで私たちのわだかまりが一気に解けたのか、七海は私が出て行ってからの事を少しずつ話し始めた。呆然と数日過ごし、徐々に現実を受け入れたのだと言う。一人になって深く反省したらしく、私に謝罪と礼を述べた。ろくに話し合いもせずに逃げ出したあの時の事が許されたような気がして、実は私も生きた屍のように過ごしたんだと言うと七海はまた笑った。付き合っていた時のような親密さはないが、職場の同僚としてはやっていけそうに感じた。ほんの少しの仕事の話と、たくさんの近況報告を終えて私達は「またね」と挨拶をして別れた。これからは友人としてよい付き合いができるかもしれない。その時はそう思った。
それから数日後。飲み会に誘われて顔だけ出しに行ったら七海がいて、ちょうどよく空いていた彼の隣に座って軽く飲んだ後は、家まで送ると申し出た七海を断って一人で帰った。また数日後、高専で七海と会って仕事の愚痴を聞いてもらった。ここのところ忙しく残業続きでろくなものを食べていないと言うと今度何かごちそうすると言われ、社交辞令として魚料理が食べたいとリクエストだけはしておいた。更に数日後、廃ビルの巡視と保全任務の帰りに偶然七海と出会った。独り暮らしとは思えない量の食材が入った袋を二つも下げた彼は、今から帰って作り置きをしておくのだと言った。相変わらずまめに家事をしていることを知り、変わらないでいる七海を懐かしく思った。
そして今日。金曜日の夜だというのに今週は予定が入らず一人寂しく宅飲みだとテレビで話題のスーパーに立ち寄った。たまには発泡酒ではなくビールを買って帰ろうと考えていると、良く知る人物がアルコールのコーナーを物色しているのを発見した。七海は私に気づいておらず、真剣な表情で海外のビールを手に取りカゴに何本も放り込んだ。考えていることが同じだと思い一人でくすくすと笑っていると、突然振り返った七海に見つかってしまった。彼はばつが悪そうに笑って「お疲れ様です」と挨拶をして、何本か棚に返した。
「なんで返すの?」
「また馬鹿みたいに買っているとアナタの顔に書いてあります」
「さすがに馬鹿とは書いてないと思うな」
「でも買い過ぎだとは書いてある。前もそうでした」
ペタペタと顔を触って確かめてみる。確かに前も今日も、たくさん買っているなとは思ったがまさか顔に書いてあるとは思わなかった。七海が恥ずかしそうにしながらビールやらワインやらを更に返却するのを見て、今夜予定がないのならば、魚料理を食べに行こうと声を掛けた。七海は一瞬動きを止めたがすぐに頷き、少し歩いた先に旨い日本料理屋があると言って、かごの中にある酒をすべて棚に戻した。
別れてから徐々に七海への警戒心は薄れていたし、その時の彼からは交際していた時のような狂愛は微塵も感じなかった。食事のあてが無いもの同士が偶然出会って、食べたら帰るつもりだった。関係のぎこちなさが薄れ友人に戻れるだろうと思ったというのもある。
それなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
『うゥ……いくいく、おっ、いくっ、だめ、いく、いってる、からァ…!』
七海が私に向けて見せている端末にはいつ撮られたのかわからない私たちのセックスの様子が映し出されていた。カメラが動かないので盗撮しただろうと言ったが、七海は私に許可を得たと言う。そんな覚えは全く無いのに、この日のセックスはいつも以上に最高で朝から晩までグズグズに溶かされた日であった事を思い出す。その途中で私が撮影を許可したのかもしれない。そう思ってしまった。慌てて画面を手で覆い電源ボタンを押そうとするが、七海は力づくで私を振り払って更にボリュームを上げた。
『もう少し、頑張ってッ……ハア、気持ちいいです、中、締め付けてきて、最高……』
『も、ゆるしてぇ……また、いく、あ、おっ……あ、あ、う……いくっ』
上品な店の個室の中で聞こえてはいけない音が響く。パンパンと七海が私に腰を打ち付ける音、グチュグチュと粘液がかき混ぜられる音、ケダモノのような私の喘ぎ声。客観的に自分のセックスを見ると不思議だ。誰か知らない人のように感じる。まさか自分が、あんなに夢中になり腰を押し付け、舌を出して涎を垂れ流し、もっとしてくれと媚びていただなんて。確かに七海のセックスは最高に良かった。いつも何度も達して足腰が立たなくなるくらい交わっていたのだ。あの強烈な快感を忘れられるはずがない。身体の相性などというものが実在するならば、七海と私の相性は最高だったといえる。今まで付き合ったどの男よりも良かった。これは嘘偽りのない事実なのだ。
画面を見せつけるようにこちらに端末を向けた七海は怖いくらいの無表情だ。動画の中の私は身体中をビクビクと痙攣させて絶頂の余韻に浸っている。耳まで真っ赤になり肩で息をしながら、七海の下敷きになっているというのに、まだ腰をくねらせて更なる刺激を望むその卑しさが恥ずかしく目を逸らした。確かこの時七海はまだ射精してなくて、この後も散々責め立てられ潮まで吹いたのだ。それを七海は掬って舐めながら奥を何度も突いてきて、最後には気絶してしまった事を思い出す。そして裸のまま二人で夕方まで寝て、夜は手を繋いで新しくできたカジュアルなフレンチのディナーに出掛けたのだ。あの日の七海はいつも以上に優しくて完璧だった。
『いやぁ、止まらないでっ、うごいてっ、いきたいっ!』
「もう止めて……。お願い……」
画面の中の私は動きを止めた七海に向かって何やら抗議している。現実の私は、画面から目を背けて俯き、絶望的な気持ちになっている。もう運ばれてくる料理は無いだろうか。今、この部屋の前を誰か通ったらどうしよう。隣の部屋に響いているかもしれない。頭の中をぐるぐると駆け巡るのは、今、この場をどうやって切り抜けようか。そればかりだ。
『もう沢山しました。少し休んだ方がいい』
「これを見て毎夜アナタを思い出しているんです。この日のアナタは、すごく可愛いんですよ。あっ、ほら。またたくさんお漏らしをして……。覚えていますか」
画面の中の七海は穏やかな声で私の額に滲んだ汗を拭っている。現実の七海は、画面を自分の方へと向けて動画を見ながら冷酒グラスに口を付けた。相変わらず何杯飲んでも顔色は変わらない。私はというと、一気に酔いが醒めて青ざめている。
『もっと、奥、して! 子宮突いてっ! 壊れるくらいしてっ』
「消して……。なんで、そんなもの……」
動きを止めたままの七海に焦れたかつての私は、泣きそうな声を出して懇願していた。画面はもう見えない。七海は端末と私を交互に見ながら頬を緩ませている。
『ハァ、どうしたんですか今日は。少し休憩です。さあ水を飲んで』
「嫌です。これが無いとアナタを忘れてしまう」
『だめ! まだいきたいっ、いかせてくださいっ。やめないで……!』
「……犯罪だよ」
七海が画面をスワイプすると早送りになった。そして再びこちらへと端末を向ける。ゆっくりとペニスを引き抜いてキスを落とす七海の腰に足を絡ませ下になったまま腰を振り、半狂乱になっている私の姿が映っている。これは本当に自分なのだろうか。信じられないほど下品に男に媚びようとする姿に吐き気を催す。
『今日はいつも以上にぐちゃぐちゃになって、可哀想に。何か嫌な事があったんですね』
「ただのプライベートな動画を一人で見ているだけですが、何か問題ありますか」
『これ、きもちくて、ねえ、お願い、もっとちょうだい……動いてよぉ』
「私が嫌だって言ってるんだから、消して」
あの日、仕事で大きな失敗をした私は何もかも忘れてしまいたくて、七海のセックスに縋った。快楽に溺れているときは何も考えなくていいし、多幸感に包まれ最高に気持ちがいい。そうだとしても正気ではないとしか思えない情事の様子に目を背けると、七海は端末のボリュームをいくつか下げて私の目を真っ直ぐに見つめた。どうやらこの行為には何か目的があるらしい。
『一度休憩しないと、また倒れてしまう』
「では今日だけまた、セックスさせてください。それから消します」
『いいのっ、してっ、してくださいっ! お願いっ』
「……バカにしてるの?」
七海の信じられない言葉を聞いて目の前が真っ白になった。私は今、自らの卑猥な動画をネタに脅されている。ここで弱みを見せてはいけないと思い言い返してみたものの、七海の表情は変わらなかった。端末からは相変わらず過去の私たちの営みが流れていて耳を塞いで逃げ出したい。七海を食事に誘った時、完全に油断していたわけでは無い。男女が二人で食事へ行くということが、どういう意味を持つのかくらいはわかっていた。それに元恋人で決して穏やかではない別れ方をした相手だ。やはりどこか、私自身に甘い考えがあったのだ。食事くらいまあいいか。個室だが大丈夫だろう。一杯だけなら酒を飲んでも問題ない。小さな油断が積み重なってこうなった。私の緩みを見透かされていた。
『水を持ってくるからいい子で待ってるんですよ。こら。もう足を離しなさい』
「馬鹿になんてしてません。一回だけ。アナタも絶対、気持ちいいですよ。思い出してるんでしょう? 耳が真っ赤になってる」
『やだ抜いちゃだめ、いかないでっ! だめ、いやだっ』
「先に消して。それ止めてよ!」
『本当にどうしたんですか。どこにも行かない。すぐ戻ります』
「後で絶対に消します。行きましょう。もし良かったら、付き合っていた時のように腕を組んで貰えませんか。今日だけでいいんです」
『行っちゃだめ……お願い、行かないで……』
「……嫌だ。できない」
七海は大きなため息を吐いて動画を停止した。ベッドに一人横たわり鼻を鳴らして泣いていた私の静止画が映っている。裸で寂しく転がる姿は我ながら情けない。全身の力がゆっくりと抜けていく。とんでもないことになってしまったと思うのに、仕方ないと諦めようとする自分もいた。だって今日は私から誘った。すべての落ち度は自分にあるということが痛いくらいにわかっていたのだ。
「残念です。でもセックスはさせてくださいね。これが最後です」
話が纏まったと言わんばかりにさっさと身支度を一人整える七海を見ながら呆然と考える。なぜこんなことになってしまったのだろう。七海があの時とは変わって、やり直せるかもしれないという期待がほんの少しだけがあったことは認めよう。でもそれは間違いだった。一回だけ。これで終わり。そう自分に言い聞かせながら。
「ここは私が払います。元とはいえ、アナタの恋人だったんですから。男は未練たらしい生き物なんです。初恋の人を忘れられない。でもアナタが忘れてくれと望むならそうします。悲しいですが、仕方がない。嫌われるよりマシです」
「今日の事が終わったら、その動画消して私のことは忘れて。もう二度と会わない」
「善処します」
七海が私の上着を取って手渡してきた。先週通勤用に購入した、私にしては高めのジャケットだ。受け取って羽織るがこれから向かう場所は職場ではない。誰か止めて欲しいと思って辺りを見回したが、会計を終えて店を出る私達をニコニコと愛想よく見つめて誰も何も言わなかった。嫌だと言ったのに七海は私の手を取って腕を組ませ、木製の引き戸を開けた。抵抗すれば振り払えるはずのその手を払えないのはなぜだろう。七海の体温が布越しに伝わってくる。その温度を感じてしまうと少しずつ昂っていく自分に気づかされ、もう後には戻れないのかもしれないと思った。