道を尋ねられただけでキレられる

第12話

 三連休の前日。繁華街は人が多い。待ち合わせスポットでぼんやりしている人間が私以外に大勢いる。誰を待っているのだろう。一人、また一人と待ち人がやってきて楽しそうに街へと消えていく。私はかれこれ十五分ほどここで待っている。七海が遅いのではない。私が早すぎたのだ。時間つぶしにどこかへ行くほどではなく、行き交う人々を眺めながら恋人の到着を待った。

 連絡があるかもしれないと端末を取り出して電源ボタンを押した時、太陽が遮られ手元が暗くなる。私の前に誰かが立ったのだとわかり顔を上げると、見知らぬ若い男が立っていた。観光客なのかスマートフォンを持っており、その画面には地図が表示されている。地下鉄乗り場を聞かれたため、道を教えた。地方から展覧会のために来たと言い、階段へ向かいながら何度も頭を下げた。会釈をして立ち去る男の方を見ていたら、後ろ側から低く太い声が聞こえた。

「何してる」

 振り返ると顔を曇らせた七海が立っていた。不機嫌を隠そうともしない態度にもう驚きはしない。いつものことだ。

「地下鉄の乗り場を聞かれただけだよ」
「人が大勢いるこのような場所で、何故わざわざアナタに狙いを定めて聞くんでしょう。おかしいと思わないんですか」
「私が一人で暇そうにしてたからでしょ」

 言い返されると思わなかったのか、七海の眉間に深い皺が寄る。それともいつものように「ごめんね」がすぐ出てこないことに腹を立てているのかもしれない。ここのところ私たちは頻繁に同じことを繰り返している。その度になんでもないと説明するのに理解されたことは無い。今回も本当に全く何でもない。道案内をしただけだというのに。

「今どき地図検索もすぐできるのに人に道を尋ねる意味がわからない。何話したんですか」
「地下鉄乗り場の入口はどこですか。そこの角を左に曲がった所の階段を降りたらすぐわかりますよ。ありがとう。いえいえ。これだけ」

 私が先ほどの男と喋った内容を説明している間、七海は訝し気に私の頭の先から爪の先までをじっとりと眺めていた。最近では服装にまで口を出してくるようになってしまった。七海が薦めるハイブランドは私には似合わないのに。服装検査が終わったのか七海が口を開く。私の答えに納得したという返答ではないだろう。

「本当に?」

 やはり信じて貰えないらしい。予想通りとはいえうんざりした。倦怠感が一気に押し寄せ気分が沈む。

「私は建人以外の人と喋っちゃだめなの?」
「前科があるから心配になる」
「前科……」

 まるで犯罪者だ。私が一体何をしたというのだ。一から十まで七海の期待通りでいなければならない筋合いはない。

「事実です。すぐに知らない男に気を許す。だから信用できない」
「ひどい。今日は帰る」

 口論の度に言いくるめられて無茶苦茶に抱かれて絆されてきたが、ますます酷くなる束縛に耐えかねている。今日はもう、限界だと思った。立ち上がって駅の方へ身体を向けると、七海が私の肩を掴む。

「なぜそうなる」
「最近一緒にいても楽しくない。何もしてないのに浮気したみたいに疑われる」

 振り返って七海の顔を見ると先ほどよりも更に不機嫌さを増していた。私を睨みつけるその眼はいつもの七海ではない。不気味に濁った緑の瞳が嫉妬の炎で燃えている。

「久しぶりに会えたというのに――」
「しばらく距離を置きたい」

 七海の言葉を遮って言うと、彼の眉がつり上がり瞳孔が開いた。逃がすまいと私の手首を掴み無理矢理歩かせた。ギリギリと締め付けてくる手を振り払おうとしたが、やはり私程度の力では到底かなわない。

「道端でする話ではない。私の家に来てください。そこで話しましょう」

 行き交う人々がこちらを見ていた。あなたたちに聞きたい。私達はどのようにうつっているのですか。愛し合っているように見えますか。私が間違っているのですか。彼についていくべきでしょうか。

 私を引き摺りながら七海が話し続けているが、何を言っているのかわからない。彼の言葉が入ってこない。見たことのない記号と聞いたことのない音が頭の中を通り過ぎるだけだ。きっと七海は、こんな時でも愛の言葉を述べているのだろう。自分がどれだけ私を愛し尽くしているか。私の愛がいかに自分にとって必要なものであるか。この世界で何よりも優先していると、いつかと同じことを延々と言っているに違いない。今、私は自分の意志で歩いているのだろうか。一歩、また一歩と足は前へと出るのに、頭の中は真っ白だ。

 パーキングに停められた七海の車についてしまった。いつものように助手席の扉が開く。今日は押し込まないらしく、七海は「どうぞ」と言ったきり動かない。自分の意思で乗れということらしい。

「……話したくない」
「行きますよ」
「行かない」
「子どもみたいな事を言わないでください」
「嫌だ」

 首を振って動こうとしない私に批判的な視線が浴びせられる。

「……ふざけてないで早く乗って」
「一回冷静になりたい。このままじゃダメになる。また連絡するから今日は帰る」
「聞き分けがないですね。話をしようと言っている。わからないんですか」
「いつも話にならないじゃない」
「そんなことありません。さあ。ほら。早く乗って。これ以上苛つかせないでください」

 言い終わったと同時に七海は私の背中をそっと押した。先ほどまでの押し問答が嘘のように、そのまま呆気なく車に乗り込み助手席へと座ってしまった。頭と身体が別の生き物のようだ。もしかしたら私は、無理矢理にでも押し込まれるのを待っていたのかもしれない。私が従ったのは七海のせいだとでも言うつもりなのだろうか。

「最初から素直に言うことを聞けばいいんです」

 そんな私を見て、目の前にいる私の恋人は美しい絵画でも眺めているかのようにうっとりと笑った。

 ここは七海の家で私は裸でベッドの上。こうなる前に七海は、確か話をしようと言っていたと思う。扉を開けたら鍵が閉められ、そのまま手を引かれ寝室へと連れて行かれた。言葉が出るより先に唇を塞がれ、息つく間もなく舌が入る。反射的に私も舌を追いかけ回してしまい、息が出来ないくらいに嬲られた。酸欠で朦朧としていたらそのまま硬めのマットレスへと身体が横たえられ、目の前には七海の身体があったところまでははっきりと覚えている。しばらく抵抗したように思うが七海の力に敵うはずは無いし、背中や腰をなぞられているうちに脳はいつもの如く快感を求めて麻薬物質を分泌し始める。その後は記憶が曖昧だ。いつのまにか腰の下に敷かれていた吸水シーツが汚れていて、またやってしまったと思った。いつからか私は七海とのセックスでイカされる度、盛大に潮吹きするようになっていた。今まではそんなこと一度も無かったのに、一度覚えたら癖になってしまったのか激しく攻められると吹き出してしまうのだ。汚れるからやめてほしいと言ったのに、やめるどころか更に猛烈に攻められベッドで眠れないほど汚してしまったこともある。次に訪れた時にはマットレスは買い替えられており防水シーツが敷かれ、ペット用と思わしき吸水シーツまで用意されていた。

 朦朧としている私の頭を撫でながら七海は言う。

「わかったでしょう。アナタが一番なんです。どこにも行かせない。愛しています」

 暴力的なまでに与えられ続ける刺激にどうやら気を失っていたらしい。我に返ると一気に恥ずかしさが込み上げてきた。結局、こうなってしまうのかと自分の浅はかさに嫌気がさす。なんとか身体を起こそうと動かすと肩や腰にびりびりと痛みが走った。触るといくつか歯形が付いていて、七海が嚙みついたのだとわかった。

「……もう、痛くしないで」
「暴れて抵抗するからです。力を抜けばいいのに――」
「建人が噛んだり抑えつけたり、無理矢理するから怖い」

 ベッドの下に落ちている服を羽織って立ち上がろうとしたのに、視界が揺れたと思うとまたベッドに引き戻されていた。

「まだわからないようですね」

 首筋に鋭い痛みが走る。血が出たかもしれない。

「や、いやッ……! もうやめて……、うぅ、い、いたァ……離して……痛い……」
「誰にも渡さない。どこにも行かせない」

 後ろから私を抱きしめながら吐息を漏らしている。

 七海のこんな姿を他の人は知っているのだろうか。