特に忘年会シーズンでもないが、久しぶりに同期が集まるという飲み会に顔を出した。転職した者も数人いるものの、部署は違えど残ったメンバーはそれぞれの場所で頑張っている。この仕事に対して特別な思いは無いが、同期には多少の思い入れはある。同じ釜の飯を食ったことはないにしても同じ会社で踏みとどまる仲間として大切に思っているのだ。
仕事の話よりも各々が結婚や恋人の話で盛り上がり始めた頃、「ラストオーダーです!」と若く元気なスタッフが告げに来た。そろそろいい時間になっていたしその場は解散となり、二件目に行くメンバーと帰宅するメンバーに分かれて居酒屋の入り口でたむろしていた時、今になってアルコールがまわってきたのか視界がゆらめき始める。周囲の喧騒がここではない遠くで聞こえるような感覚がして、軒先にぶら下がる赤提灯が揺れているのが見えた。それはすぐ側にあるような気がしたのに手を伸ばすと届かない。酒に酔うとその時は気持ちがいいけれど、後でやってくる吐き気や頭痛を思い出してやめておけばよかったと今になって思う。普段は缶ビール一本程度しか飲めないくせに調子に乗り過ぎたかもしれない。歩き出そうとしたら足元がふらつき、よろけてしまった私を同期の一人が支えてくれた。彼は楽しそうに笑っていて「飲み過ぎだ」と言い私の腕を掴み、本物の酔っ払いを抱えるように肩を貸してくれた。さすがにそこまでじゃない。大丈夫だと断って体勢を立て直したはずが、後ろから誰かに引っ張られ再びよろけてしまった。
「飲みすぎです」
振り返らなくてもわかる。七海だ。先ほど連絡があったのに返事が遅れている事を不審に思い、GPSで私の居場所を探って迎えにきたのだろう。他人の手前かこの時は普段と変わらない穏やかな声だった。
「ちょっと、そう、かも」
「もう少し早く連絡してください。心配しました」
「わかった」
ハハハと笑って誤魔化してみる。そっと様子を伺うと私を見て困ったような表情をしていた。今日は怒ってないのかもしれない。ざわつく同期の声が聞こえる。それはそうだろう。私は交際相手がいることを明かしていなかったし、迎えに来た男はこの出で立ちだ。街ですれ違っただけでも多くの人が振り返る。そもそもベースが目立つのに、仕事着にしているスーツは更に人々の目を引く。七海は皆の反応に慣れているのか気にしていないのか、浮いた話が出たことが無い私を囃し立てる同期達の方を向くことは無い。
「帰りましょう」
「ごめん。ありがと」
「ご迷惑をお掛けしました」
同期達に向かって七海は一礼すると、見せ付ける様に腕を組んでその場を後にした。少し歩くと見覚えのある車が止まっており、助手席の扉が開かれる。礼を言って座ると、大きな音を立てて扉が閉まった。その振る舞いにやはりいつも通り七海の機嫌は良くないことがわかり気分が沈む。また小言が始まる。長くなるかもしれない。飲み会に男がいたことを責められるだろう。よろけた時に助けて貰ったことも言われると思う。
「帰ったら話があります」
ほらきた、と一気に憂鬱な気持ちが押し寄せる。家に帰ったら長い長いお説教が始まるのだ。今日は金曜日。明日は土曜日で仕事は休み。時間はいくらでもある。今日はどうやって許してもらおうか。
車のドアとは違って、ゆっくりと玄関扉が閉まった。こんな時でも私を支え鞄を持ちはするが、まとう空気は不穏さに溢れている。壁に手をついてパンプスのストラップをモタモタしながらはずしていると、七海が屈んで靴を脱がしてくれた。物にはあたるが私に触れるその手は優しく、それが更に不安を煽る。丁寧に並べられた二人の靴を見て、“あれ”さえ無ければ完璧なのに、と考えてしまう。廊下を歩いているとジャケットを脱がされ、洗面所で手を洗っていると袖を捲られた。髪を嗅がれているのがわかる。煙草と揚げ物と汗が入り混じった不快な臭いがするに違いない。トイレに入ったのに七海が立ち去る気配はなく、ドアの外で私が出るのを待っている。中でこれからの作戦を立てている事に気付いているだろう。とにかく何も無いと伝えるしかない。どうせ何を言っても納得しないだろうけど。
リビングへと連れて行かれると、七海はソファを指差した。そこへ座れと指示されている。車内からここまで一切の会話は無い。それでもわかる。彼がとんでもなくへそを曲げているということが。いや、へそを曲げるだとかふてくされているだとか、そんな可愛らしいものではない。今日私は、死体になるのではないか。そんな気さえするのだ。
「ハア。どうなってるんですか」
私が座った事を確認して、七海が隣に座った。同時に発せられる諦めを孕んだ冷たい声に背筋が凍る。
「久しぶりに同期が勢ぞろいして、ちょっとはしゃぎすぎちゃった、かも」
「ちょっとどころではない。服も髪も乱れて一人で立てなくなっていた。私がいないところで酒を飲むな」
「ごめん」
確かに不用心だったかもしれない。七海が来なければあのまま一人で帰るつもりにしていたが、足元はふらついていたし頭もぼんやりしていた。酒に酔った女が夜道を一人でふらふら歩いていい事などないというのはわかる。それでも七海がいないところで飲むなという一言には納得できない。そんな思いが言葉に乗ってしまったんだと思う。口では謝罪したものの不服そうな表情は隠しきれず、私を見つめる七海の視線は鋭さを増す。
「それに男と距離が近すぎると前も注意したのに、また! 誰ですかあの紺のスーツの馴れ馴れしい男は。品が無いですね」
「同期の営業マンでもう結婚してて子どももいるし――」
「そんなこと関係無い。肩を抱かれてたでしょう!」
「ふらっとした時に一瞬支えてくれただけ」
「それが嫌だと言ってる」
「そんなに大きな声出さないで。隣に響くよ」
だんだんと声量は増し、お互いに言葉も刺々しくなっていく。いつも私の事を想って言っているというが、果たして本当だろうか。私の事を本当に好いていてくれるのなら、いつだって信じて欲しいのに。
「アナタが何もわかってないから。どうして他の男に心も身体も許すんですか? 警戒心を持てといつも言ってるのに全く響いてなかったんですね」
「建人が心配するようなこと何もしてないのに。なんでそういう言い方するの?」
七海のあまりにも酷い言い分に私だって腹が立つこともある。矢継ぎ早にまくしたてる七海に怖気づいてしまうが折れるわけにはいかない。普段ならわかったと言って謝り、事を荒立てないよう済ませていたがこの日は違った。まるで私が浮気を繰り返しているかのように言うので、感情のままに言い返したのだ。アルコールが回っているので強気になっているのだと思う。
「私は他の女性には触れません。業務連絡はしますが必要以上の会話はしない」
「そんなこと頼んでない」
決死の覚悟で反論したのに手ごたえは無い。それどころか輪をかけて責めてくる有様だ。とにかく私が悪いらしい。自分はこれだけやっているのに、お前はどうだといわれている。そもそもの前提がおかしいのに、その理不尽さを棚に上げて私を悪者にしようという。
「私はアナタだけでいい。はっきり言いますが嫉妬です。他の男と喋るな。アナタの視界に別の男を入れることさえ嫌だ」
七海が他の女と喋ろうが必身体に触れようが、そこに正当な理由があれば別に構わない。そもそも人類の性別は限られているのに、異性と関わらずに生きていく方が難しい。どうしてこの男がこんなに嫉妬深いのか理解できない。自分に自信が無いのだろうか。あの見た目で、財力もあり、多くの人に慕われているというのに。かつて誰かに酷い裏切りでもされたのかもしれない。しかしそれとこれとは別だ。私を通して何か別の事に気を取られているとすれば誠実さに欠けるし、自信の無さからくるのだとすれば七海は自己の認識を改めるべきだ。
「建人以上に特別な人はいない。信じてよ!」
「では信じさせてください。あんな姿を目の前で見せられて何もありませんと言われ、はいそうですかと引き下がれるわけがない。風呂に入りましょう。あの男が触ったところを洗わないと」
七海の言い分を聞き、結局は私の事を全く信用できないんだと落胆した。七海と会っている以外の時間は会社と家の往復しかない。浮気する時間なんて無いし、そもそも七海以外見ていないのに。言葉にしても伝わらず、プライベートな時間をほとんど割いても理解してもらえない。これ以上どうすればいいというのだ。ここのところずっと、七海と心を通わせることができないでいる。頭の中に終わりがちらつき始めた。
「……一緒に入りたくない」
ついに言ってしまった。
「やはり何かあったんだろう!」
珍しく乱暴な口調で七海が言う。反射的にビクリと身体が跳ねた。
「違う! 建人が怒ってるから――」
「こっちへ来て」
言い終わる前に腕を掴まれ廊下を引き摺られた。力はさほど強くないが、私なんかが抵抗しても勝ち目はない。
「痛い。離して……」
「確認しないと気が済まない。何も無かったとわかるまで風呂から出さない」
「ひどい……」
「どっちが。裏切られた私の気持ちがわかりますか?」
「何も無いのに、いつも、浮気したみたいに疑われる」
「していないとわかれば許します」
脱衣所で手際よく服を脱がされ浴室へと押し込まれた。浴槽にはたっぷりと湯がはられており、私が好きだと言ったハーブの入浴剤が入っている。立ち込める湯気の中で呆然と立っていると七海が服を着たまま入ってきた。裸の私を立たせたまま前から後ろから指を這わせて身体の隅々まで確認している。バスタブに腰掛けるように指示されたので言われたとおりにすると、片足を縁に乗せて陰部へと顔を近づける。シャワーをしていないそこを触られてはいけないと七海の頭を押さえて制止しようとしたのに、手を払いのけられてしまった。やめてと言ったのに聞こえないふりをしている七海は陰唇を左右へ開いてわざとらしく匂いを嗅いだ。それだけで恥ずかしさのあまり死んでしまいそうなのに、鼻先を埋めてそのまま陰部を舐めしゃぶる。七海にすっかり開発された性感帯を刺激され続け気が狂いそうになるが、ここで声を上げてはいけない。感じていることがばれてしまう。わかっているのにどうしようもなく昂ってしまった快感に抗うことが出来ず、結局は背中を反らせて達してしまった。
「大丈夫そうですね」
「やめてって、言ったのに……。ひどい」
「先に酷い事をしたのはアナタですし、結局は気持ちよくなっていたじゃないですか」
「何もない。信じて。もうこんなことして欲しくない」
「今回は信じましょう。後であの男の連絡先を消してもらいます。プライベートで連絡をとる必要が無い」
「……どうして」
「不服そうな顔をしないで。悪いのはどっちですか」
「私、悪くない。何もしてない……」
「まだわからないのか」
言葉とは裏腹に私の卑しい穴はだらだらと蜜を垂れ流し男を誘っていた。今日の七海はすごく怖いのに、今すぐに突っ込んでかき回してほしいと思ってしまう。心と身体がバラバラだ。この男は私をどうしたいというのだろう。
とぼとぼとベッドへ向かうと当然のように七海も着いてきた。布団を被って閉じこもろうとする私のパジャマを無理矢理剥ぎ取り、いつもと変わらず甘い言葉を囁きながら私を抱いた。もう二度とこんなことをしないと約束して欲しいと言われ、気が狂いそうな程感じている私はうわ言のように「ごめんなさい。もうしません」と繰り返しながら更なる快感を与えて貰おうと媚びた。一番好きな後背位で犯してもらおうと尻を高く上げ、入れてくださいお願いしますとねだる。そんな私を見て七海は満足そうに口角を上げるのだ。
この時私は、こんなにぐちゃぐちゃになっても自分を冷静に見つめる視点がどこかにあって、この関係はそう長くないかもしれないと考えていた。
激しい情事の後、七海は私を胸の中に閉じ込めて髪を優しい手つきで撫でながらどれだけ愛しているかを丁寧に諭した。彼から感じるのはいつもと同じ体温なのに心の奥が冷えていく。愛が形を変えると嫉妬になるのかもしれない。彼が嫉妬深いのは深い愛ゆえなのだろう。そう思うことにしてその日は七海と同じベッドで眠りについた。
目が覚めたら七海は朝食を用意しているところで、昨夜の事が嘘のようにまた完璧な彼氏に戻っていた。今日は何をして過ごそうかと相談しながらソファで身体に触れあっていると、少しずつ七海の触り方が変わっていくのを感じる。結局、そのままどこにも行かず家で肌を重ねて過ごした私達は、昨夜のことなど何もなかったかのように仲睦まじいカップルとして一日を終えた。もう大丈夫だと自分に言い聞かせ、再び私は七海を何度も求めた。彼に溺れていることは自覚している。もうどうにも抜け出せない。どこにも行かないし、誰にも触れないから、私の事だけを愛し続けて欲しいと願ってその日の夜も七海の家のベッドで眠った。愛している。そう。間違いない。
それなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。