二絨毛膜二羊膜双胎

 とある善良な夫婦が男女の双子を授かった。世の人々の殆どは善人でも悪人でも無い中、この夫婦は間違いなく善人と言えるだろう。そんな両親の間にとても可愛らしい双子が生まれた。その双子は二つの受精卵がそれぞれの胎盤から栄養され別々の袋の中で育つ、いわゆる二卵性双生児だ。そのせいか二人の容姿はあまり似ていない。男児の方は何でも素直に言うことを聞く子で、女児の方は活発でユーモアに溢れた子だった。

 二人が成長するにつれてその容姿は更に異なるものへと変貌を遂げる。男女の違いはもちろんあったが、そもそも同じ父と母の遺伝子を持っているはずなのにどちらの子も両親には全く似ていなかった。それに、二人は誰が見ても不自然なほど仲が良すぎた。中学生になろうという歳になっても同じ布団で眠り、片時も離れようとしないのだ。友人がいない訳では無いようだがほとんどの時間を二人きりで過ごしていた。毎日手を繋いで登下校し、放課後も二人で遊び、共に風呂へ入って一つの布団で眠る。そんな双子を両親は少し心配していた。

 双子が高校の入学式を目前に控えたある日、下着一枚の二人がベッドで抱き合っているところを母親に見つかってしまった。両親の帰りは遅いと聞いていたので油断していたのだが、全く慌てることなく更に強くお互いの身体に腕を巻き付けて離れようとしない。

「何をしているの。離れなさい」

 二人の異様な雰囲気に圧倒され、母はそれ以上言えないでいた。

「何もしてません」

 男児の方が歳不相応に落ち着いた声で答える。母は別人のような双子の様子を見て、やはりこの子達はなにか普通とは違うと思った。少し気味悪さを感じたが、それでも自分が腹を痛めた我が子なので愛情を籠めて言う。

「身体のプライベートなところは、たとえあなた達がどんなに仲良しでも簡単に触らせてはいけないのよ」
「わかりました。お母さん、ごめんなさい」

 男児も女児も素直に母の言う事に従い、それから双子は話し合って性的な遊びを禁じた。二人が自立して家を出るまで身体を繋ぐのは危険だと感じたからだ。入浴も寝室も別々になったし、世間一般の仲の良い双子と同じになった。一緒に出掛けたり、本を読んだり、ゲームをしたりするただの姉と弟だ。ここでなにかあって引き離されでもしたら、再び世界がばらばらになるほどの絶望に突き落とされる。それだけは避けたかった。

 それから何事も無く高校を卒業し二人は別々の大学へ進学した。両親はさぞかし安心したことだろう。そもそもこの二人、容姿はもちろん性格や能力も全く違う。二卵性双生児だからかもしれない。それともこの双子には何か秘め事があるのだろうか。

 大学卒業を目前に控えた二人が別々のアルバイトを終えて帰宅した時、両親は既に就寝していた。どちらも就職が決まり友人との卒業旅行の資金を貯めるという名目で同居資金を稼ぐ為に夜遅くまで働いているのだ。両親はお金に困っているわけでは無かったが、自分の交際費は自分で稼ぎたいという二人の言い分を聞いて働くことに同意した。二人を引き離す時間が少しでも長い方がいいと思ったのかもしれない。父と母は二人の関係について具体的に何か言うことは無かったものの、裸に近い姿でくっついていたあの日以降は二人でいると監視されている気がした。二人きりの静かなリビングで肩を並べ双子はひそひそと話し合う。

「はあ。いつになったら君と結ばれるんだろう。なぜ双子なんだ」
「七海が前に変なことしてたからでしょ。神様が怒ってるんだよ」

 双子の姉は弟を違う名で呼ぶ。弟もまた、二人きりの時は姉を違う名で呼んだ。誰にも知られてはいけない二人だけの秘密だった。

「あの時は仕方なかった。二人とも早死しましたし、不幸になる未来しか無かった。そんな世界を生き抜いたのに何故またこんな苦痛を与えられないといけない? 理不尽だ」

 入浴後の清潔な石鹸の香りが二人から漂う。同じ屋根の下に暮らしているので当然だった。ましてや姉弟なのだから同じ家のシャンプーやボディソープを使うのは何ら不思議ではない。それなのになぜか不安な気持ちになる。この世界で無ければ、自分たちは違った形で同じ香りを纏っていたのではないかと。

「好きだって一回でも言ってくれたら違う未来があったかも」

 くすくす笑いながら姉が言う。弟はそんな姿を見て下唇を突き出して目を細め、むっとした表情を作った。

「今更遅い。さっさと家を出て二人で暮らしたい。そうしたらもう誰にも邪魔されない」
「……血が繋がってるのに、いいのかな」

 弟の悲痛な想いは知っているが、今世で双子に生まれて姉弟である以上婚姻関係を結ぶことは不可能だ。もちろん彼がそんなことを望んでいるのではないとわかっている。それでも二人で暮らしたり一緒にいたりするところを見られると、また誰かに咎められるのではないかと姉は不安だった。男女の関係を疑った母親が弟に責めるような視線を向ける事が多いせいもある。確かに誰の目から見ても弟の方が姉をより慕っているように見えるのだ。

「肉体的にはそうですが中身は違うんだから問題無い。妊娠しなければいいんです」
「そういう事ばっかり考えてるんだ」
「生身の君を感じたい。今度親がいない時にこっそりしませんか。もう我慢の限界だ」

 じりじりと迫ってくる弟に姉はたじろぎ、冗談めかして笑いながらその肩を押しこれ以上を拒否した。ふざけているとわかっていても彼の眼にはずっと消えることのない炎が燃え続けているのを知っている。

「中身が私だったらいいんだって言ってたよね?」

 ソファに座って膝を抱え、じろりと弟を横目で睨む。

「それは何と言うか、言葉では言い表せないんですが、好きだったらしたくなるんです、としか言いようがない。君が欲しい。私だけのものにしたい」

 弟は深い深い溜息を吐いて頭を抱えた。男と女では何か違うらしい。明らかに本能的に求めているのに、その気持ちを抑えることがどんなに辛く苦しい事か。抑圧され続けた彼の願いは一体いつ叶うのだろう。もちろん姉も嫌だとは言っていない。叶えてやりたい気持ちが姉に無いわけではないがどうしても今の関係上二の足を踏んでしまう。弟の方もその気持ちをわかっているから無理強いできないでいた。この運命を二人に授けた神を何度恨んだことか。

「じゃあ尚更前の方がよかったね。今は魂ごとくっついてる感じがする。七海と本当にひとつになってるみたい。境界線がわからないよ。本当に、いいのかな……」
「いいって言ったらいいんです。触るだけで耐えているのに。双子じゃなかったらとっくにセックスしてる。誰も私を褒めてくれない。前も今も、ずっと耐えてる」

 姉の不安の訴えに弟が間髪入れずに答える。弟は手を強く握って拳を震わせ、どうやっても取り消すことが出来ない血縁関係に心の底から腹を立てているらしい。血の涙を流しそうなほど血管を浮き上がらせ怒っていた。そんな彼を見ていたたまれなくなった姉は、彼の震える手にそっと口付けを落として慰めた。

「七海はずっと前から、私の為にすっごく頑張ってる」

 姉の目から零れた涙が拳に落ちた。弟はそれを舐めとると姉の手を強い力で掴み身体を胸の中へと引き寄せる。慌てた姉は小さな声で「離して」と言ったが弟は決して力を緩めなかった。そっと耳元で囁く。

「それじゃあ何か、特別なご褒美をください」
「ここじゃ無理だよ。できない」

 青ざめた姉は首を振るが弟は身体を離そうとはしない。こんなところを両親に見られたらと思うと、大きな不安が押しては引いて波のように姉に襲い掛かる。それでも、弟の胸の中は温かく居心地が良かった。ずっと前から求めていたものがすぐ側にあるのにそれを受け入れることができない苦しさは姉も同じだった。誰にも見られないところであれば身体を重ねてもいいかもしれない。そう思ってしまう程に彼の腕の中は安らぐのだ。咎められ引き離される不安と、このまま溶けて一つになれそうな程の安心。どちらを選択しても現時点では破滅しかない気がして胸が引き裂かれたように痛い。

「別々に家を出て待ち合わせをして、外のホテルでセックスしましょう。私達を見て双子だと思う人間はいない。大丈夫。絶対ばれない」
「自立するまで我慢だって約束したのに……」

 弟はこのまま言いくるめようと必死になって抱きしめる。姉も弟もどちらも決壊してしまいそうだった。なぜ双子に産まれ、同じ遺伝子を持ち、個別の存在としていられないのか。煮え滾る感情のやり場が無く苦しい。

「この歳の男の性欲をナメないでください。ビルの一つや二つぶっ壊してもいいんですよ」
「前も、今も、ずっと辛いね……」
「あの時は個室だったので好き勝手出来たから不自由は無かった。今は違う。禁じられてる。余計に辛い。君がずっと、生まれた時からこんなに近くにいるのに」
「去勢する?」
「いっそその方が楽になれるかもしれない。君が欲しい。本物の肉体の隅々まで触れたい」
「もう少し待って、卒業してから」
「もう長い間ずっと、ずっと、待ってる……」

 そういって男が女の顎を掬ってその唇に指を這わせる。人差し指で左右になぞり、摘まんだり引っ張ったりして口唇を弄ぶ。そのままそこへ自分の唇を押し当てたかったがそれはできない。唇と唇が合わさり、その中の粘膜同士が触れると後には戻れないと解っていたのだろう。若さと勢いに流されてしまいたいのに必死で我慢する弟を見て姉は不憫だと思い、彼の頭を撫でてやった。弟は姉の肩口に顔を埋めてぐりぐりと顔を押し付けながら、「早く君の中に入れてください」と呟いて静かになった。

 二人が大学を卒業して就職を決めた時、両親の元を離れ遠い土地に家を借りて二人で暮らし始めることに決めていた。両親は双子が地元から遠く離れた同じ土地の違う会社に就職したことで何かに気づいていたかもしれないが、もう二人の行く先について何も言わなかった。

 二人がこれから暮らす所は都市部からは少し離れているものの、落ち着いた暮らしが続けていけそうな静かな街だった。この土地では二人の事を誰も知らない。

 荷物の搬入がようやく終わり、近くの小さな喫茶店で軽食を取り終えた二人は新居へと戻った。築浅で設備が充実した小綺麗なマンションの角部屋だ。七海が鍵を開けると実家とは違う匂いがした。張り替えられたばかりのクロスの匂いだろう。続いて彼女が家の中に入り使い古したスニーカーを脱ごうとしたら、七海が後ろから抱きついて悩ましい吐息を吐いた。

「やっと二人きりになれた。長すぎる。苦しかった。もう離さない。どこにもいかないで。キスしますよ。いいですよね。唇に触れたい。それから……」
「ついにこの日が来たんだね」

 体重をかけてのしかかる七海を制することなく受け入れ、口元に手を当てくすくすと笑っている。七海を背中にくっつけたまま靴を脱いで室内へと入る。玄関マットも何もない廊下で七海が彼女を振り向かせた。彼女が七海を見て目に涙を溜めているなと考えた途端、それはぽろぽろと流れ出た。とめどなく溢れてくる液体を拭うことなく彼女の手を取り握りしめる。

「見てください。震えてる。嬉しいからです。泣けてきた。嬉しいのに。君が愛おしい。産まれる前から愛してた」
「知ってるよ。七海って沼みたい。底が見えない」

 彼女が持っていたハンカチで七海の涙を拭ってやるとぐずぐずと鼻を啜りながら彼女に抱き着いて更に涙をこぼす。

「温かい。やっとこの日が来た。愛してます」
「ほんとに、長かったね……」

 首筋に垂れる七海の涙は温かい。呻吟しながら涙を流し続ける男の広い背中を彼女がとんとんと叩いて慰める。徐々に呼吸が落ち着いてきたと思うと、熱く長い溜息を吐き強い力で抱きしめた。何かに怒っているような、呆れているような、そんな七海の強い感情が流れ込んでくるようで彼女の目にも涙が浮かぶ。

「何度も神に悪態をついた。今日で許します。だから次の世界でもまた君と共にありたい。ずっと一緒にいる。もうどこにも行かないで……」
「まだ先は長いよ」

 アハハと声を上げて笑ってみせたが七海の反応は無い。鼻を啜りながら絶対に逃すまいと彼女を腕の中に閉じ込めたままじっとしている。逃げるわけなど無いのに必死な様子を見て彼女は母に縋る小さな子どものようだと思った。そんな七海の熱っぽい背中を再び抱きしめ撫でてやると震える声でこう言った。

「永遠を約束してください。この先も、この次も、ずっと一緒じゃないと駄目です」
「わかってる。ずっと七海と一緒にいる。すごく落ち着く匂いがするね。姉弟だからかな」

 七海は野良犬が威嚇する時のような唸り声を漏らし腕の力を強めた。もう何も言うなと言われているようだった。

「……意地悪だ」
「冗談だって。まだ玄関だよ。早く私たちの家の中に入ろう」

 二人は手を繋いで家の中に入っていった。未開封のダンボールに七海が腰掛け、その大腿に彼女が跨り頬に優しく口付けを落とす。誰にも咎められることの無い安全な空間の中で、二人は抱き合い頬をくっつけた。

 離れなさいと言う者は誰もいない。好奇の目で見るクラスメイトも、噂話をするご近所さんも、両親に告げ口する教員も過去の事になった。二人は自由を手に入れたのだ。

 しばらく抱き合った二人は辺りを見回す。大型家具は先に搬入されていたので片付けは後回しにすることに決め寝室へと向かう。そこには大きなベッドが一つ。今日からここで抱き合って眠る。ようやく手に入れた安息地。姉弟としてではなく恋人同士として暮らすことができる、ささやかだが安心を約束された2LDKの愛の巣だ。七海が抱えた彼女をベッドに座らせた。緊張した面持ちで身を固くしている。

「優しくします。避妊は絶対に。後日精管結紮術を受ける予定です。君が不安に思うことはしない。急ぎません。怖かったら無理をしないで。誰にも邪魔されずに過ごせるだけで嬉しいんですから」
「せいかん……? 何? そうじゃなくて、あのね、私ね……」

 上目遣いで気まずそうにもじもじする彼女を見て、七海は前世でもやはり処女だったのだと直感的に確信する。

「実は、恥ずかしいんだけど、前も、したことなくて……」

 七海の想像していた通りの彼女がそこにあった。誰にも汚されていない美しいままの彼女とひとつになれることが嬉しくて仕方が無い。一世一代の告白を真剣な面持ちで受け取った七海は口角を緩める。

「私も同じです。まあ私は、ある意味素人童貞というやつですが」
「素人童貞ってどういうこと?」
「……忘れて」
「変なの。……やっぱり、初めては痛いのかな」

 七海の既に膨らんだ股間を見つめながら彼女が言う。眉を下げ不安そうな声だった。身体にフィットする伸縮性のあるズボンがペニスの形をもっこりと浮き上がらせてしまっている。着衣の状態で勃起しているところは何度も見られているはずだったが、こんなに心配そうな表情は初めてだった。やはり怖いのだろう。

「後日にしましょう」
「嘘だもん。もう我慢できないんでしょ」
「はい。でも……耐えてみせる」

 七海は額に手を当て俯いた。全て彼女の言う通りだった。我慢できない。でもしなければ。彼女を絶対に怖がらせたくないのに更にペニスはどんどんと硬さを増していく。長年耐え抜いてきた今、爆発してしまいそうだった。この行為をするためだけに二人で暮らすわけではない。彼女を怖がらせたくない。身体だけを求めているわけではない。なんども頭の中で反芻しながら本能からくる慄きに必死で抵抗する。

 そんな七海を見て彼女は穏やかな笑みを浮かべながら語りかけた。

「いいよ。きて」

 七海はそっと彼女の手を取ってみる。前世では生きている間に触れることが出来なかった手だ。今世でも同じ細胞で出来ているのだろうか。あの時は固く冷たかったが、今は柔らかくて温かい。言葉では許しを得たものの、触れることで彼女がまだ怖がっているのがわかる。緊張で肩を張っているし、指先は冷たい。

「電気を、消しましょう」
「消さないで」

 すぐに彼女が首を振って答えた。

「……恥ずかしいかと」
「消したくないって思ってるくせに」

 悪戯っぽく笑って見せてはいるが漂わせている緊張感は誤魔化せない。彼女のそんな姿を見ていると少しずつ興奮が落ち着いてきた七海はやはり日を改めようと思った。諦めがつくと途端に力が抜けていく。

「私のことはなんでもわかるんですね」
「双子だからね」

 彼女が七海の手をぎゅっと握ってにやりと笑った。おどけてみせることで自身の緊張を緩めようとしているのだろう。

「遺伝子と戸籍上はそうですが、中身は全然違う。次またその事を言ったら怒りますよ」

 七海は彼女に握られた手をそっとほどくと、その人差し指に優しく歯を立てて言った。すると彼女はしゅんと項垂れて目を伏せる。当たり前だがやはり恐怖や羞恥があるようだ。それさえも愛おしい。

「ごめんなさい。やっぱりちょっと、怖いし恥ずかしい。けどもう決めたからいいの」

 そう言って七海の首に腕を回して抱きしめた。肌と肌が直接触れ合ったところがどんどん熱を持っていく。一度は落ち着いたはずなのに七海は再び抗えぬ衝動に支配されてしまった。だが、それでいいと彼女が言っている。

「途中でも君が嫌だと言ったら絶対に止める。服を脱がせてもいいですか」

 彼女が静かに頷く。不慣れな手付きで彼女の服を一枚ずつ脱がせると七海の思い描いていた身体がそこにあった。控えめな乳房と色素の薄い少し埋もれた小さな乳首。きゅっとくびれた腰部と縦に割れた臍。手入れはなされていない筈なのにふわふわとした薄めの陰毛。いつかの想像と全く同じだった。

「……七海も脱いでよ」
「既に勃ってしまっているので目を瞑っていてください」
「自分だけ、ずるい。私にも見せて」
「怖かったらすぐに止めると誓います」

 上着を脱ぐと筋肉質な上半身が剥き出しになる。前世とは違うがスポーツをしているのでそれなりに鍛えられている。ズボンと下着を下ろすと二人とも一糸まとわぬ生まれたままの姿になった。母の腹の中で命が宿った時と同じ、何も持たない自分自身そのままの肉体を曝け出す。

 彼女は身を乗り出し七海のペニスに近づいてまじまじと見つめながらボソリと呟く。

「こんなに大きくなるんだね……。生で初めて見た。血管が浮いてる。お腹にくっついてるよ。あっ、動いた」
「解説されるとさすがに恥ずかしい。君の事が愛おしくて堪らないからこうなる」
「そっか。早くひとつになりたいな」

 彼女のその言葉を聞いて驚嘆した七海は腹の底から湧き上がる感情を隠すことなく顕にした。ボロボロと涙を零し貪るように彼女の唇を吸い続ける。頬を撫で、頭を押さえつけ、息をするのも忘れて夢中で口付けた。強烈な衝迫を必死に押さえつけているはずなのに、勃ち上がったペニスをグイグイと彼女の太腿に擦り付けながらこのまま精を吐き出してしまいそうな衝動に駆られる。彼女は口の端から必死で酸素を取り込みながらそっと目を開けて七海を見てみた。瞑った目の端からとめどなく溢れる涙で濡れた睫毛が輝いている。緩く弧を描く眉を見ると彼が苦しんでいるのでは無いとわかった。流れ落ちる涙はぬるく塩気がある。何度も味わってきた彼の涙が今日は特別に思えた。この美しい涙を小瓶に集めて残しておきたい。口角から漏れ出る吐息を吸い込むと甘い香りがしたので、彼女は残らず自身の肺の中に入れた。体液だけでなく吸気も呼気も共有して酸欠になりそうなほど苦しいのに、唇を離すことが出来ない。

 普段は青白い肌が火照り吐息を漏らす彼女を見て七海は幸福の意味を生まれて初めて理解した。長きにわたる孤独と決別した二人は心も身体も結ばれ文字通りひとつになったのだ。一度一線を超えると際限なく求めてしまう自分を窘めながら七海は、とても優しく、丁寧に、海よりも深い底なしの愛を込めて彼女を何度も抱いた。

 彼女は夢を見ているかのような気分でぼんやりしながら彼の愛をその一身で受け入れる。こんな世界があったこと身をもって知り、幸せと快感に溺れて息ができない。産まれる前にも感じたことがない充足感に包まれ、彼女も七海の身体を何度も何度も、飽きることなく撫で続けた。

 それから数年して二人の仕事が落ち着いた時、同じ市内の端にある新規分譲地に土地面積は狭いが二人で暮らすには十分な平屋を建てた。そこへ二人をよく知る旧友だけを招待して控えめなパーティーを開く。真に結ばれた者達が着る純白の衣装を身に纏い、幸せそうに笑う二人を数人の友人が囲み祝福した。長きにわたる苦しみから解放されようやく一緒になった二人は、いつまでも本当に仲が良い夫婦であった。

 更に時が流れ、老いた二人の肉体が限界を迎えた時。まるでもともと一つだったとでもいうように抱き合い、質の良いベッドの中で穏やかに微笑んでこと切れていたという。サイドテーブルには「生まれ変わってもまた一緒になります」と震える文字で書かれた戸籍上の名と異なる二人の署名が入った手紙が残されていた。二人より随分若いが一番付き合いの長い友人がその手紙を燃やして天へと昇らせた。

 この願いは再び神のもとへと届けられるだろう。