二人暮しで食べきれるわけがない量の果物を消費するためのサングリア

第9話

 ある日の夕方。スーツケースに荷物を詰める女をねっとり眺めていた七海が、我慢できずについに口を開く。

「また出張。しかも連泊。おかしい」
「もともとやってた仕事があって、しばらくはしゃあないかな」

 呪術師とはいえ社会人。高専所属の術師である以上、自己都合で仕事を選べる立場に無い。更に最近突然結婚して引っ越した身である。場所や内容にとやかく言えるわけなどないことは明白だ。それでも七海は面白くない。いつになったら二人で落ち着いた暮らしができるのだろうと、つい口に出してしまう。

「あちらの仕事は関西勢に引き継いだのでは。しょっちゅう戻ってる」
「急なことやったし迷惑かけてるんは私やねんから。……そんなん言うけど七海だって、先週も先々週もどっか行ってたやん」

 かく言う七海もやれ青森だの北海道だのと日本の上のほうと自宅を行ったり来たりしている。毎回ご丁寧に地方銘菓を買ってきては女に食べさせ、美味しそうにしているところを肴に地酒を一杯やるのが最近の楽しみだ。確かに仕事柄、出張が多くなってしまうのは仕方がないことなのかもしれない。それにしても、とても結婚しているとはいえない頻度でしか顔合わせられないだなんて、一体なんのための仕事なんだと思ってしまう。それに、七海は女に文句の一つも言いたくなる理由があった。

「予定より早く切り上げて一泊二日で帰ってきました。アナタ絶対に三日は帰ってこない。何してるんですか一体」
「し・ご・と! 呪霊がおるのは東京周辺だけちゃうねんで! 南は沖縄、北は北海道まで日本は広いの知らん?」

 いつもの如く明確な理由を述べることなく、女は基礎化粧品のトラベルセットを乱雑に突っ込んで小さなボストンバッグを閉めた。寝巻きは宿泊先で借りるしその他に不足があればコンビニで買えばいいと、荷物は最小限にしているらしい。腕を組んで不遜な態度をとっている七海の横を女がすり抜けようとしたとき、一段と不機嫌な声を出して七海が言う。

「報告書見せて」
「嘘ついてへん!」

 もうええかげんにして、と呆れた口調で女が言う。それ以上何か言うことは無かったが、トイレの前まで着いてきては不満そうな顔をしたり、風呂の外で待ち伏せしてじっとりと眺めたり、とにかく拗ねていることはよくわかった。出発直前まで女を付け回し、抱きしめてみたりキスをねだってみたりと名残惜しそうにしていたのを多少可愛らしいと思わないでもない。それでも行くなだとか、寂しいだとかは口に出さないところは、外野が言う大人オブ大人というやつなのだろう。



***



 数日後。予定を一日繰り下げて女が帰宅した。

「ただいまあ~。荷物届いた?」
「おかえり。どういうことですかこれ。うちは果物屋じゃない」

 三日ぶりに聞く愛する人の声は一段と低く不機嫌そうだ、と女は思った。玄関で仁王立ちになった七海の足元にはダンボールが積み上げられている。今回は中国地方への出張だと聞いていた。確かにあちらにも名産品はたくさんある。しかし、これほどまでに大量に送られてくるとは誰が想像できよう。果物の絵が描かれていて、そのすべてに朱色の【秀】の印が押されたその箱に、ぎっしりと詰まっている中身とは─。

「いやあ、行く先々でオッチャンオバチャンらがアレももっていけ、コレも持っていけ言うて……」
「さすがに貰いすぎです。しかも高級品ばかり。きちんとお礼してるんでしょうね」
「何も受け取ってくれへんねん。来年もまたよろしく〜ってな。前は誰かしらに配りまくってなんとか消費できたんやけどなあ」
「シャインマスカット美味しいですけど六房も食べられません。レモンもみかんもその他諸々箱で送られてくるしどうするつもりなんだ……」

 あきれ顔の七海に臆することなく女が言う。七海がダンボールを開けると、甘い香りが漂った。見た目からして美しく、品のある匂いがする。七海は行儀が悪いと思いながらも、大粒のシャインマスカットを一粒口に入れてみた。薄い皮が弾けるとたっぷりの果汁があふれ出す。鼻を抜ける華やかな芳香に心奪われた。七海が静かに味わっている様子をみて、女もどれどれとシャインマスカットに手を伸ばす。弾けんばかりの実に触れようというとき、七海が女を制した。次の瞬間深々と口付けられ、口移しでシャインマスカットを味わった。なるほど、甘くて瑞々しい。翡翠色の果実の美味しさは十分わかった。ただ、普通に食べさせて欲しい。七海は女の唇を貪り、なんとか口をこじあけようと躍起になっている。いつの間にかジリジリと壁際に追い詰められてしまい、身動きがとれない。出張に次ぐ出張で拗ねているこの男、かなり面倒なことになっている。

「うーん。一通り配ったあとは、サングリアにでもする?」
「……たまにはいいことを言う」

 しつこく舌を入れようとしてくる七海を引き剥がしながら女が言うと、納得いかない表情で七海が答えた。久しぶりに会うというのに、キスの一つや二つゆっくりさせてくれたっていいではないか。キスだけじゃない。ハグも、セックスも、今すぐに始めたい。しかしまあ、少しばかりは待ってやってもいいだろう。女の提案は素晴らしく、それには乗ることにした。シャインマスカットの甘みと久しぶりに会えた喜びで色々なところが元気いっぱいになった七海は、そのままひょいと女を横抱きにしてリビングへと連れて行く。まんざらでもなさそうな表情をした女が得意げに言う。

「たまにちゃうで。毎日やで。もっと褒めてもええんやで~」
「割と頻繁にいいことを言う」
「せやろ~?」
「それに可愛いし好きです。帰ってきてくれて嬉しい。愛してる」
「ア、アリガトウゴザイマス……?」

 七海らしからぬストレートな言葉を聞き、女は少しむず痒いような気持ちがしてきた。可愛いだとか、好きだとか、普段はあまり口にしない。七海は激しすぎるスキンシップと無言の圧力で、死ぬほど愛しているんだと間接的に伝えてくるタイプだからだ。嬉しさもあるが、急に言われるとなんだか恥ずかしい。我ながらややこしい性格だと女はくすくす笑った。

「笑った時犬歯が見えるところとか、意外にもさりげない気遣いができるところとか、普段はふざけているくせに本当は寂しがり屋なところも良い」
「えっ、何、怖ッ。褒めてもなんも出えへんで」

 次々に繰り出される七海の〝褒め〟に赤面していた女の顔が青ざめていく。有無を言わせない無言の圧を感じ、このまま朝まで抱きつぶされる未来がちらつきはじめる。普段は淡々としているふうを装っているが、七海のセックスはとても激しい。出張続きでクタクタに疲れている今、されるがままになっていると身が持たない。ようやくソファに降ろされたと思えば、七海がのしかかってきて動けず冷や汗をかく。ぶつぶつと女を褒め続け、ぐいぐい迫る七海を押し返そうとしてもびくともせず、女はいよいよこれはまずいと焦り始めた。

「楽しそうに歩く後ろ姿も、寝起きのぼんやりした表情も、美味しいものを食べた時の幸せそうな反応も最高」
「もうええわ! サングリア早く作ろ」

 降り注ぐ口付けの雨をかいくぐり、女がなんとか七海をなだめる。不服そうに目を細めつつも、女の身体から離れていった。火照った身体同士の重なりがなくなると、不思議と寂しくなる。

「その後の時間は予約しておきます。四日ぶりなので最低でも四時間はみてもらわないと─」
「褒めた分だけ無茶苦茶していいわけちゃうからな! ちゃんと寝る時間も考えてや」

 七海は無言で女を見据えるのみだった。返事がなかったことは気になるものの、なんとか七海の暴走を止めることができたので良しとしよう。

「しばらく置いている安いワインがここら辺に……。あった。赤も白もある」
「両方作ろ! とりあえずボウルに切った果物を入れていけばいい?」

 パントリーの下のほうをごそごそ漁る七海を見下ろしながら女が聞いた。滅多にお目にかかれない七海のつむじが見え、抜け毛を気にしているようだがまだまだ大丈夫そうだと思って女はにんまりと笑った。七海ににやついていることがバレる前に顔を元に戻しておく。まあ見られたからどうというわけではないし、何を言われるかどんな顔をするか大体想像はつく。赤と白のワイン瓶を両手に七海が立ち上がると、身長差は歴然とした。こうして並んでまじまじと見ると、異様にでかい男である。縦にもでかいが、横にもでかい。学生のころはシュっとしていたのに、近接タイプはゴリラのようになっていくのだろうか。女が七海の頭の先からつま先までをじろじろと眺めていると、七海は不思議そうな顔をした。それから、心配そうな声で言う。

「包丁を使ったことは」
「人や呪霊を刃物で刺したことはある」
「人……?」
「呪詛師ともみくちゃになった時、刺しちゃったり」
「無いとは言えない業界にいる自分が嫌になってきた。今は不問にしておきます」

 女がわざとらしく片目を瞑り、口角から舌を出してテヘペロをして見せる。こういう演技じみたことをよくやって煙に巻こうとするところがある。何か言ってやろうかと思ったが、女は淡々と準備を進めていた。勝手知ったる七海の家。いや、結婚したのだから今は二人の家だ。

「家庭科の時にやったことあるから大丈夫やで」
「左は猫の手にするんですよ」

 なんだかいけすかないまな板──七海はカッティングボードと呼ぶ──と切れ味の良い包丁──種類がありすぎて使い分けがわからないうえに、まな板はカッティングボードというくせに包丁は包丁と呼ぶ──を取りだして、半そでにも関わらず腕まくりのポーズをした。目を輝かせ得意げにサムズアップし、ニカッと歯を出して笑う女のきな臭さといったらない。しかもそのお手並みは予想通りで、指先ぎりぎりに刃先があり、今にも切れてしまいそうだ。全く話を聞いていないのかレモンをがっしりと掴んで、皮に包丁を押し付けている。横からアドバイスをするもののやはり聞く耳を持たず、七海の言うことを無視してレモンを切ろうとした、そのとき。

「いやだから猫の手に──。あッ!」

 そのまま力任せに上から包丁を押し付けようとしたと思えば、一気にバスンと真っ二つになった。手が滑って傷ついたかもしれないと、慌てて七海が止めに入る。女の指は無事で、レモンは中央から美しく二分割されていた。

「切れてナ~イ」

 冷や汗をかく七海をものともせず、女はニヤニヤしながら手を握って開いて七海へ見せる。輪切りにするなら端から切るべきだし、包丁は力任せに使う道具ではない。愛する人だが腹立たしいその態度に七海は一言言ってやらなければ気が済まない。しかし女は懲りずに半分になったレモンを掴んで包丁を離さず、極限まで薄く切ろうと包丁とレモンを睨みつけていた。震える手でなんとか数枚切れたものの、徐々に小さくなっていくレモンはどんどん扱いづらくなり、あっちへコロコロ、こっちへコロコロと上手く固定することができない。七海は冷や汗をかきながらしばらく見守ったが、我慢の限界がやってきた。

「ぅぁ……! 危なっかしい……。ハラハラする。もう代わって。私がやる」
「えー! ケチ! 私も切ってみたいのに! てか猫の手にしたら丸い果物固定できひんやん」

 女からすべてを取り上げると、私もやりたい返してくれと不満を述べながらワーワーと騒いだ。料理に興味を持つのはいいことだが、まずは基本的なことから学んでいかなければサングリアまでたどり着けないだろう。落ち着きを取り戻した七海が一緒にやろうと女を誘うと、渋々首を縦に振った。包丁の握り方を説明するがしっくりこないようで、女の手の上に七海が手を重ねた。それが嬉しかったのか女が自然な笑顔で七海を見上げ「七海が先生みたいや」と嬉しそうにはしゃいだ。

「持ち手をしっかり握って、引くように切るんです。そう、いいですね」

 まるで子どもへ教えるみたいになっているが、これはこれで楽しい。身体の密着度も上がり、イチャイチャしたい気持ちも満たされていく。いくつかの果物を切り終えたところで、女がもじもじと動きはじめた。頬を染め、甘ったるい声を出す。

「センセー、そんなにくっついたら、ドキドキしちゃいますぅ……」
「上手にできるじゃないですか。もっとやってみせて」
「んっ、耳元で、だめぇ」
「おや。料理を教えているだけなのに、おかしな声を出す方ですね」
「あン、先生がエッチな触り方するからァ……」
「そんなつもりはありません。アナタがいやらしいことを考えているからでは?」

 吐息交じりの七海の声が下腹部に響く。ごっこ遊びに興じているうちに、お互いなんだかその気になってくる。

「フフフ、七海はこういうのノッてくれるんや」
「とりあえず一日分だけ先にコトを済ませましょう。今ので完全に勃起してしまった。ほら包丁置いて」
「ええ、まだ途中やのに……。あ、指舐めるな、ちょ、こら」

 料理は一時中断すべきか否か。二人の中でもう答えは出ていた。女は一応、嫌がっている素振りをしてみる。このまま流されてしまってもいいが、中途半端に果物たちを放置するのも気が引ける。かといって、もう止まれそうにない。

「エプロン姿がそそる」
「何でも似合っちゃって」
「一生懸命料理しようとしていていじらしい」
「男ウケ抜群やろ」
「ふわふわの胸とむっちりした尻が最高」
「こっち来てちょっと太ったからな……」

 バックハグのまま身体中をまさぐられ、胸が高鳴っていく。必死に許可を得ようとする七海が可愛らしくてたまらず、このまま焦らし続けてやりたい気持ちが芽生える。服の上を熱い手のひらが行き来して七海の熱を感じながら、心地よさでぼんやりして頭の中に靄がかかっていくような意識の変化を楽しんでいた。くすぐったいような、気持ちがいいような、むず痒さと性感の狭間にある
刺激が心地よい。七海も同じ気持ちだろうか。

 煮炊きをしていなくてよかった、と七海は考えていた。これからという時、では火を止めてさあ始めましょうでは無粋にもほどがある。明らかにまんざらでもない女の反応に手ごたえを感じつつ、もっと淫らな雰囲気になる前のこの甘ったるい時間を楽しみたい。物欲しそうに尖った唇を食べてしまいたいけれど、肌と肌の触れ合いになると堪えきれそうにない。もう少し服の上から女の温もりを確かめ睦っていたいという気持ちと、今すぐナカに入ってどろどろに溶けあいたい気持ちがせめぎ合う。

「お願いします。いいでしょう」
「押したらいけると思ってるやろ」

 ふふんと鼻を鳴らしてわかったように答える女の挑発的な態度で七海の次の行動は決まった。その煽りに乗ってやろうではないか。女もきっと、それを望んでいる。

「その通りです。もうここでいい」
「うわっ、危なっ」

 ワークトップの上に置かれた危なそうな道具たちを七海が荒々しく端に寄せると、女の腰を掴んで自身に引き寄せる。太っただの食べ過ぎただの日々騒いでいるが、とてもそうは思えない細い腰回りだ。これはもっと、食べさせなければ。手にぐっと力を籠めると、女は観念したのか物欲しさからか、尻を七海の股間に押し付けるように上げてきた。

「文句を言うくせに腰を上げて、アナタのほうが堪え性が無い」
「う、うるさ、いッ……。あ、ゃ……、ちょ、まって……!」

 誰のせいでもないし、お互い好き合っているのだからセックスしたいときにすればいい。けれど自分ばかりが欲しがっていると思われたくない。そんな駆け引きに意味はないとわかっているけれど、どうしてか相手のせいにしたくなる。しかしコトがはじまってしまえばどうでもいいと思えてきて、お互い貪るように愛し合うだけだ。もう何もかも後回しだ。二人ともはやる気持ちを隠すことなく、互いを求めて身を捩る。ぬるついた舌を突きだして必死に口付けを求めながら、女は七海の手を自身の胸元と下半身に誘導した。一刻も早く触って欲しい。

「触ってないのに濡れてる。なぜですか」
「七海の、ン……、こと、が、好き、や、から……」

 意地悪な質問に返ってきた答えがあまりにも愛おしくて、七海は女を羽交い絞めにして唇を吸った。苦しそうに目尻に涙を溜めながらも必死に欲しがる女の姿を見て、自分の持てるすべてを注ぎ、生涯を捧げることを誓う。

 どこに居ても、生まれ変わっても、どんな姿でも、この女の魂と共にありたい。