もんじゃといえば例の島

第8話

 新幹線でお互いに寄り掛かって眠り、東京に戻って来た二人は疲れがとれないままだったが幸福感で満たされていた。寝起きで少しぼんやりしていたし、ここのところの慌ただしさで夕食を作る気になれず、何か食べて帰ろうと思った七海は女に食べたいものはあるかと聞いてみる。すると子どものように目を輝かせながらこう言った。

「もんじゃが食べたい!」
「食べたことないんですか?」
「大阪で一回だけはあるけど。でも本場で食べてみたいやん」

 初めて東京にやってきたわけでは無いのに、東京観光マニュアルにでも載っているかのようなお決まりコースを指定する姿がおかしくて七海は吹き出しそうになった。それならばと月島へ連れて行ってやることに決めた。東京駅から二十分程度で行けるし、今は飲食店が混み合う時間より少し早いので空いていて入りやすいだろう。大阪同様、東京の駅構内もダンジョンであったが、スイスイ進む七海の横に女はぴたりと着いて他愛もない話をしながら目的地へと向かう。電車を待っている間、女は不自然なくらい静かにホームに立っていた。いつもやかましい人間が黙り込んでいると、静かで良いと思うよりも心配が先立つ。憂いを帯びたその横顔を見た七海は、なぜだか心がざわついた。絶対に離したくないと強引に婚姻関係を結んで自分の元へ連れてきたものの、住み慣れた土地を離れて不安な気持ちがあるのかもしれない。口を噤んだままホームに進入する電車をじっと見つめ、なにか考え込んでいるように見える。電車のドアが開いて中に入ると、過疎時間帯とはいえ座れそうなところは少ない。少し離れた場所に空席を見つけた七海が女を座らせると、不思議そうな顔で車内をきょろきょろと見渡した。学生が多い時間帯なのか、あちこちに若者がいた。かつての自分たちもこのように、制服姿で電車に揺られたことがある。七海が若かりし頃の回想に浸ろうとしたとき、神妙な面持ちで女が耳打ちしてきた。

「声のボリュームが全然ちゃうな、関西とは……」

 フフフと息を漏らしながらにやつく女の様子を見て、七海はついズッコケリアクションをとりそうになってしまった。相方は相変わらずどうでもいいことを考えていたようで安心したが、関西文化にすっかり染まっている自分に驚きを隠せず危なかったと己を律した。内容はともかく、密やかな声で囁かれてしまい背筋がぞくぞくと震える。顔色一つ変わらないが、これでも内心どきどきしている。心臓の鼓動がうるさい。耳が熱を持ちじんじんと疼く。二人は大人になって再開したが、変わったのは容姿だけで心中は青春時代そのままだった。知らない表情を発見する度に胸が切なくなる。捨てたはずの初恋を取り戻し、またねと別れた日の続きがようやく始まったのだ。七海が頭の中でもだもだと考え事をしているなんて露知らず、女は大あくびを繰り返しまだ眠そうにしながら、頼りがいのある肩にもたれかかっていた。もうすぐ駅に着くというとき、眠ってしまった女を優しく揺すって起こした。むにゃむにゃと漫画のようなわざとらしいリアクションのあと、フワァと大きなあくびを一つ。そして女は「降りるで」と言って七海の手を取り、勝手知ったるが如く東京メトロを後にしたのだった。

 改札を出て少し歩くとたくさんの店舗が並んだ通りに出る。そのすべてがもんじゃ焼きの店だというのだから驚きだ。夕食を食べるにも少し早く、酒を飲むのにはもっと早い。そんな時間のせいか客足はボチボチといったところだ。

「ワー! ここが有名な例の島!」
「月島です。時間も早いしどこでも空いてるでしょう」
「ランキング調べよ」
「お得意の」

 女はスマートフォンを取り出し某有名口コミサイトで検索を始めた。どこからともなく取り出していたサングラスを頭に乗せて、またしても漫画のようにわざとらしくフムフム言いながら画面をスクロールさせる。この派手なサングラスをどこで買ったのか知らないが、太めのフレームにはタイガーのプリントが施されていて関西の魂を感じた。関西人は自然と虎柄を選ぶのかもしれない。女が特定の球団ファンだと聞いたわけではないが、その模様を好むよう遺伝子に刻み込まれているのだろう。

「とりあえず一位のところに行こ! 今やったら空いてるはずや」
「地図を見せて」

 七海が端末を覗き込む。ついでに細い腰を抱く。女の端末を操作して地図を開くともうすぐそこに店舗があるとわかった。

「七海サンはいちいち距離が近いなぁ?」
「隙あらば近づきたい。男なんてそんなもんです」
「一見カタそうに見える七海建人サンもただの男ってわけやな」
「その通り」

 不敵な笑みを浮かべた七海の脇腹をこれでもかと肘で小突きながら茶化す女のその頬は、誰が見ても朱に染まっていた。大阪で十年ぶりに再会した時は痩せすぎで少しでも力を入れると折れてしまいそうな細さだったが、七海と暮らし始めた一週間で腰回りが少しふっくらしたように思う。きっと独り暮らしの時はろくなものを食べていなかったに違いない。あれこれ聞くとまたすぐに誤魔化すので本当のところはよくわからないが、あの部屋でまともな生活を送っていたとは思えなかった。今日だって本当は肉やら米やら何か栄養がたっぷりと詰まっていそうなものを食べさせたいと思っていたのに、女は酒のアテのような食事が好みらしく、一人の時はコンビニや惣菜店で買った濃い味付けのおかずを選んで缶ビールばかり飲んでいる。これからは冷蔵庫に健康的な食べ物の作り置きをしておこうと七海は決めた。たくさん食べさせて健康体にするのだと意気込み、七海は女の身体を更に引き寄せそっと匂いを嗅いだ。汗の匂いでさえ甘く、七海を誘惑してくる。

 そんなこんなでしばらく行くと、とある店の看板が見えてきた。ここだと指差しながら女は店の前まで駆ける。早い時間だというのに待ちが二組あったがすぐに店舗内に案内され、青い暖簾をくぐると漂ってくる出汁の焦げた匂いが食欲をそそる。なんとも酒がすすみそうだ。席についてメニューを眺めながら女が言う。

「ビールとレモンサワー、どっちが合うと思う?」
「個人的にはビール」

 七海はもう決めているのだと言わんばかりに即答した。

「ほなレモンサワー」
「なぜ聞いた」

 女は大きな口をあけてアハハと笑い、ツッコミが上手くなったと嬉しそうにした。テーブルについた肘をくずしてコケた方がもっとサマになるとアドバイスをしてから、足をパタパタさせながら手を上げ店員を呼ぶ。初めての店では冒険せず、鉄板メニューを頼むのが良いだろう。人気があるというクリーム系もんじゃと店の看板であるスペシャルもんじゃを注文した。

「自分で焼くんや!」

 女がテーブルに置かれた説明用紙を熟読しながら嬉しそうに言う。初心者向けに焼き方が書かれたそれを口に出して読み上げている姿は観光客そのもので、少々恥ずかしいと七海は口元を手で覆う。しかしそんな七海にはお構いなしに、いちいち「わかった」「なるほど」などと紙相手に相槌を打ちながら、丁寧に読み上げてくれた。大体もう知っているが、その説明を頷きながら七海は聞いた。愛する人が楽しそうにしている姿を眺めるのは悪くない。

「基本的にはセルフサービス。焼けたところを少しずつ剥がして食べる。おこげのところが美味い」
「白いごはんは?」
「私の感覚ではこれは酒のアテポジション」
「なるほど。確かに七海の言う通りやな。早くお酒飲みたいなあ。楽しみ! いい匂い」

 周囲のテーブルから漂うだしの香りが女の腹をぐうぐうと鳴らす。きょろきょろと周りを見ながら「あれは何やろ」だとか「あっちにしたらよかったかなあ」だとか呟いている。活気のある店内は様々な年齢層の客で大いににぎわっていた。そのほとんどは観光客のようで、外国人も多い。すこし浮かれた空気が漂う店の中でなぜか七海も少しだけ落ち着かない。そんな気持ちをおさめるように足を組みかえてメニューに目を落とす。

 いよいよ店員がこれでもかと具材が盛り付けられたボウルを持ってきた。まず初回は手本を見せてくれるらしい。その後は自分でやるのだと無い袖を腕まくりする女の姿を見て七海は可笑しくて笑ってしまった。七海の反応をみて女は更に得意げにした。ジュワッっという小気味いい音がしたと思ったら店員がもんじゃを焼き始めたので、女はすぐにそちらへ意識を集中させる。思いの
外ボリュームがあるボウルの中の具を熱された鉄板にあけると、ジュウジュウと音を立て蒸気が立ち昇る。途端に香ばしい香りがひろがり、空腹の腹をこれでもかと刺激した。大きな海老などの具材を端で焼いている間にキャベツを中央で炒めるそうだ。大きい方のヘラ二本を立ててテンポよくキャベツを刻んでいく。細切れにせず少し食感が残るくらいに止めておくことが美味しくなるポイントだと言われ、女は最高にいい声で返事をした。鉄板にヘラがぶつかる音がテーブル周囲に響く。手際よく刻まれていく具材たちを七海はぼんやり見つめた。一方女はパチパチと拍手をしたり、「わぁ!」だとか「うまいっ!」だとか、語彙の少ない感嘆詞を繰り返したりして場を盛り上げた。
 具材を一度真ん中に集めると、店員は少し得意げにぐるりと中心に大きな穴を空ける。そこへボウルに残った液体を数回に分けて注いでいくそうだ。まず一回目。勢いよく生地が流し入れられると、香ばしい出汁の焦げた匂いがさらに強くなる。次に二回目が入れられると途端にボリュームが増した。最後に三回目が投入され、生地がとろとろとしてきたら土手を崩してかき混ぜる。キャベツがくったりとして既に美味しそうで、女はごくりと喉を鳴らした。端によけられていた海老やらホタテやらの具材も混ぜ入れ、最後の仕上げにザクザクと荒く刻む。それから鉄板全体に薄く広げると、ついにもんじゃ焼きの完成だ。女のイントネーションを聞いて関西方面の観光客だとわかったようで「もんじゃも美味しいですよ。たくさん食べてくださいね」とにっこりと微笑みながら言った。

「もうお酒が進むっていうのがわかる……。これはアカン……」

 涎を垂らした女がポヤポヤした顔で言う。酒好きの血が騒ぐらしく、片手にはヘラを、もう片方にはレモンサワーの入ったジョッキが握られている。今か今かと身を乗り出しすぎて、鉄板から上がる熱気にあてられ「熱ッ!」と言いながら目元を拭った。

『いただきます』

 言い終わったと同時に女がヘラをもんじゃの辺縁に差し込もうとしながら言う。

「もういい?」
「この辺どうですか」
「このちいちゃいコテで食べるねんな」
「コテではなくヘラ」

 すかさず訂正された女は「あっそぉ」と適当に気の無い返事を返した。七海が小さいヘラを使って器用に剥がして見せると、女も真似て鉄板から生地を剥がし取る。湯気がもくもくと立ち昇りいかにも熱そうだ。火傷しそうだと思いながらも我慢できず、女は大きな口を開けて食べた。想像通り熱く、はふはふ言いながらニコニコ目を細めて笑顔になっている。

「熱いけど、しっかりダシがきいてて美味しいー! お酒いいですか、七海さんっ」
「許可します」

 七海が言うが早いか、女の唇には冷えたジョッキの縁がついていた。そのままレモンサワーが流し込まれ、女の喉がゴクゴクと鳴り腹の中にアルコールが吸い込まれていく。熱々のもんじゃと冷えたレモンサワー。合わないわけが無いではないか。

「カーッ! これはお酒が進むわ」
「同感です。久しぶりに食べると妙に美味しい。もんじゃを初めて食べたのは高専の頃なのに、なぜか幼い頃から食べていたような懐かしさを感じる」

 少し火が弱められた鉄板の上にはチリチリと音を立てながら焼けたもんじゃがまだまだ沢山並んでいる。端のほうのパリッと焦げた部分から少しずつ剥がし取り、口に運ぶ。女は七海のごつごつとした大きな手が抓んでいる小さなヘラを見て、にっこりと頬を綻ばせた。なんだかアンバランスで可愛らしく見えたのだ。七海は目の前でニヤつく女を尻目に、酒ともんじゃを交互に流し込む。とにかく腹が減っている。そして信じられないくらいに酒が美味い。

「具沢山で結構ボリュームあるねんな。驚くほどお酒が進んで怖い。レモンサワーおかわり!」

 ひたすら二人で食べ進めていると、あれよあれよと目の前のもんじゃは小さくなっていった。ついに鉄板は空っぽになり、一体何杯飲んだだろう。七海は目の前の女を見てみる。機嫌良さそうにニコニコしながら、右へ左へ身体をゆすっている。どうやら、相当酔っているらしい。

 暖簾をくぐって外に出ると、店内の熱気に負けず劣らず都会の夏は蒸し暑い。わざとらしく腕を絡めてしな垂れかかってくる女の腰を引き寄せ、七海は大きな溜息を吐いた。まだ日は高く千鳥足で歩くには早すぎる。それに、相変わらず細い身体だ。もっと食べさせなくてはならない。さきほどもアルコールばかり飲んでいて対して食べていなかったように思い、七海は帰宅してから夜食にリゾットでも作ってやろうと考えた。

「調子に乗って飲みすぎです」
「保護者の方が途中で止めてくれな……」
「ほら、しっかり歩く」
「無理。抱っこ。おんぶ」

 周りの視線など気にも留めず、女は笑いながら七海に抱き着いた。ああ、ほら。そのこサラリーマンも。あっちの観光客も。修学旅行の学生たちも。七海と女を横目でチラリと見ているではないか。誰かに咎められるようなやましいことは一つも無いが、さすがにこうも露骨に絡まれてしまうと人の目が気になるものだ。七海はクネクネふらふら歩く女を支えながら通りで手を上げた。すぐに一台のタクシーが止まる。

「えぇ~。こういう時は優しくお姫様抱っこしてくれる流れちゃう?」
「家まで我慢して」
「家ではしてくれる?」
「します。お姫様でもお嬢様でも、なんでも」
「は~、ねむ。七海んちのふかふかベッドでゆ~っくり寝かせてもらお」
「……」
「急に黙らんといて」

 七海は女をタクシーに押し込みながら運転手に行先を告げた。愛層のいい運転手は親しみやすい口調で二人にあれこれ話しかけた。七海は返事をしなかったのに、彼女は大阪出身で最近結婚して引っ越してきただとか、七海の手料理が美味しくて食べ過ぎて太ってきただとか、聞かれてもいないのにどうでもいいことまでペラペラと喋って頬を染めていた。ぽっと赤くなった顔は酒のせいでもあるだろうが、七海は浮かれた気持ちになった。運転手はとても微笑ましく思い、二人の行く末を祝福する言葉を何度も述べた。七海は隣で静かに二人の会話を聞いていた。リズムよくなされる会話をさすがだと感心しつつ、女が話す自身の自慢話をむずがゆく思いながらも嬉しく聞いた。まだタクシーの車内だと言うのに女と二人で暮らすようになって新調したふかふかベッドに今すぐ飛び込みたい気持ちが抑えられない。それは女とは違う欲望からくるものだった。

 玄関扉がゆっくりと閉まる。途端にしんと静まり返った七海の家に戻り、女は現実に引き戻されたような気がした。十年越しの再会を果たしてあれよあれよという間に結婚し、長年暮らした街を出て、もう帰る家はここしかない。誰もいない家の中に向かってただいまと言ってみる。返事の代わりに七海の唇がぶつかった。荒々しく貪るように口付ける七海を薄目を開けて見てみると、汗を滴らせ眉を顰め、全く余裕はなさそうだ。必死に女を壁に追いやり、シャツの裾から手を差し込む。熱い手のひらに脇腹を撫でられると、すぐにその気になってしまう。女が薄く唇を開いて七海の舌を受け入れると、ぴたりと動きが止まる。

「……酒くさい」

 そう言いつつもくっついた鼻先が離れていくことは無い。飲み過ぎている自覚はある。どうなってもなんとかしてくれそうな七海といるから、後先なんて考えていなかった。

「七海は汗臭い」
「暑いから仕方ない」
「離して」
「嫌だ」

 離せと言ってみても、余計にくっついてきただけだ。体格差のせいですっぽりと胸の中に隠れてしまう。むせ返るような男の匂いに頭がくらくらする。こんないやらしい匂いを漂わせながら余裕なくキスをされて、その気にならないわけなんてない。でも、焦ってがっついている男ほど、焦らしてやりたくもなる。

「……ここで?」
「どこでも一緒です」
「えぇ、立ってられへん」

 全身の力を抜くと目の前がぐらぐらと揺れた。酒が相当回っているようだ。ふにゃふにゃになった女を七海が慌てて抱き上げると、女は甘えた声を出して七海の首に腕を回した。

「憧れのお姫様抱っこお願い」
「もう。どうして自分の限界がわからないんですか」
「七海がおるって思ったら油断して。帰る家もあるし。好きな人と暮らすのって嬉しいな」
「さっさと風呂に入って」

 気のない返事をしながらフラフラ浴室へ入る女の背中を見ながら七海は大きなため息を吐いた。ずっとこの女に振り回されている。だが悪い気はしない。心地よいとさえ思う。七海は玄関に戻ってバラバラに脱がれた靴を直し、廊下にほったらかされたバッグを回収してリビングへ乱雑に置いた。先ほど見た時に充電が一桁だった女のスマートフォンをケーブルに挿しておくのも忘れない。シャワーの音が聞こえてきたと同時にシャンプーのボトルが派手に倒れる音がしたので慌てて見に行くと、不満そうな表情の女が倒したボトルを拾いながらぼやいた。

「あのさ、私、どっかでサングラス無くしたかも」

 七海は再び大きなため息を吐いた。
 これは彼女の持ちギャグかもしれない。
 おそらくツッコミ待ちなのだろう。
 こういった場合のセオリーがわからないがありのままを告げることを決め、七海は口を開く。

「いや頭の上にあるでしょう」