腹が減っても食いものは無い

第13話

「あれ。いつの間に寝てたんやろ。ここどこ……?」

 女が目を覚ます。全身バキバキだ。ここが自宅のベッドではないことは明白だが、眼前には見知らぬ場所が広がっておりひどく混乱した。天井はコンクリートのようなものでできていて、空は見えないが広々とした空間が広がっているのはわかる。ここはどこで、自分はなぜ寝てしまったのかと女が辺りを見回そうと首をもたげたそのとき。

「って、イッタアアアア! うわあああ! 私の右半身が無いッ!! エッ!? 腕もちぎれそう! どうなってんのコレェ!?」

 全身がギシギシと痛み、漫画やテレビでしか見たことが無いレベルの血液が右半身から吹き出した。ドバドバ流れる鮮血を止めようと出血原を探してみるが、どこを押さえても血が噴き出続けて意識が遠のきそうになる。死ぬのかここで。何も成し遂げぬまま。まだ見たことも食べたこともないものが山ほどある。冷蔵庫の中にはパンプキンパイを置いてきた。洗濯は干しっぱなし。食器は出したまま。七海はどうなった。色々と考えながらも次第に意識が遠のいていくのを感じ、女は観念して目を閉じて手を合わせた。最後はせめて神頼みでもさせてほしい。今までさんざん世間に尽くしてきたつもりなのに、神様仏様ご先祖様ひどいですと恨み言を言いそうになってしまいつつ、手を合わせ続ける。女の願いも虚しく、もう全身から力が抜け、ここまでくると逆に気持ちよくなってくる。死ぬことは、怖くない。ただ元の場所に還るだけなのだから──。

「あの世でもうるさい。何してるんですかアナタ。静かにしてください頭が痛いのに」

 女がアルカイック・スマイルを浮かべてあの世へ旅立とうとしたとき、聞きなれた声が聞こえてきた。一気に現実に引き戻された女は声のほうを向いた。そこには下半身だけの何かが居て、最愛の人のスラックスを穿いている。この下半身、もしかして──。

「えっ、七海、やんな……、この声……? って、頭無いのにどこが痛いねん! てゆーか腰から上が無いくせにどないして喋ってんのォ!?」
「イメージなんですよここでは。集中してください」

 上半身をどこかに忘れてきたのか、下半身だけの七海がいつものように小言を言う。ズタボロの身体同士、どう考えてもおかしいのになぜか会話が成立しているところをみると、ここは渋谷では無いのかもしれない。そういえばビルは見当たらず、仲間の姿もない。渋谷は。東京は。日本は。今、どうなってしまったのだろうか。気になることは山ほどあるが、とりあえずは七海の下半身が言う通り、もとの姿を思い浮かべてみる。色素薄めの髪。すぐ細くなる目。美しい鼻筋。薄い唇。厚い胸板。盛り上がった二の腕。力強い手。引き締まった腹。小ぶりな尻。逞しい太もも。大きな足。普段はあまり七海のガワに目を向けていなかったのに、頭の先から順を追って考えてみると、七海建人とは相当の男前ではなかろうかと女は思った。外国人のようないで立ちで好奇の目を向けられたりこそこそ噂されたりしていたのであえて言及したことは無いが、改めて見てみると完全にイケメン中のイケメンであり、俳優さんみたいやなあ、と女は思った。更に目を細めて七海を見てみると、ビルの屋上で解散したときに見た七海建人が見えてくる。

「ほんまや。どんどん上半身が生えてきた。バック・トゥ・ザ・フューチャーの写真のやつみたいや」
「渋谷で色々あって死にました我々は。しかも時間的にはアナタの方が先です。ずっと寝てたから起きるのを待ってた」

 達観したように七海が言う。なるほど渋谷で死んだと言われれば、なんとなく思い出してくる。七海たちと別れたあと、点々と散開している術師たちにアメちゃんを配り歩いた。ひと気のない路地をコソコソと歩いていたら、曲がり角で特級クラスと思われるえげつないレベルの呪霊とまさかのお見合い状態になってしまい、逃げようと走ったが捕まり、思いっきり吹っ飛ばされたところまでは記憶にある。おそらくそれで、人知れず没したのだろうと女は納得した。まあ、我ながら頑張ったほうでは無いかと自分で自分を褒めて、隣でくつろぐ男を見てみる。死んだというのに表情は晴れやかだ。

「ってことはここは死後の世界ってわけやな」
「そういうことらしい。今からどうなるかは知りません。不思議なことに私たち以外の人間がいない。あれだけ被害が出たのに。あれは三途の川ですかね」

 七海の視線の先には大きな河川があった。空港のような広場の椅子に二人して座っているのに、すぐ側には川がある。あの世とは何とも不思議な構造をしているものだと女は思った。全くわけがわからない。まあ生きているときも呪霊とかいう変な妖怪に付き纏われるし、再会して数日で結婚するし、もともとわけのわからない人生だったな、と女は考えた。今更なにがどうなっても驚きはしない。北へ南へ東へ西へ。どこへでもいってやろうじゃないか。そう意気込んで無い袖の腕まくりをした。七海はそんな女を見て呆れ顔だ。この世でもあの世でも変わらないやり取りに二人は安心した。

「ヤバい! お金が一円も無いッ! 三途の川が渡られへんやん!」
「供養もクソもしばらく無いでしょうねあの状況では。無一文であることを素直に告白し、船頭に交渉したら案外いけるかもしれない」

 未だ誰にも弔われていないようで、三途の川を渡るために必要だと言われる六文銭を持っていない。そもそも現代の貨幣価値に置き換えるといったいいくらになるのだろう。電車賃程度ですめばよいが、二人はそれさえも持っていなかった。自力で渡るのは罪人だけだと聞いたことがある。善人はキンキラキンの橋を渡るはずなのに、橋が無い。船頭もおらず、どうればよいのか二人は顔を見合わせた。

「ちょっと死後の世界を探検してみる? なんか面白いもんがあるかも」
「なぜそんなに呑気なんだ」

 辺りをキョロキョロと見回りながら女が言った。空港風の造りから察するに、ここは旅立ちの場であるらしい。川は二人のイメージが作り上げた幻覚かもしれず、空港だと認識したら不思議と川は消えてしまった。全部脳が作り出したマヤカシかもしれないけれど、そうだとするとここで再会したのはなぜだろう。二人は標識に導かれるように歩いた。行先が書かれているわけではない。矢
印に沿って進むのみだ。黙々と歩いていると、二人の腹の虫が盛大に鳴いた。

「なんかお腹すいたのに、なんも食べるもんが無いやん」
「死んでも腹が減るんですね。供養のために食べ物を供える行為は無駄じゃなかったわけだ」
「ここじゃいただきますがでけへんな」

 七海は灰原の墓参りをするとき、食べ物を供えてやらなかったことを悔いた。好きだったおにぎりや牛丼なんかを持っていってやりたかったが、腐ったり野生動物に食べられても後始末をする人間が困るだろうと考えたから花しか持っていかなかったのだ。しかしこうして死後の世界で腹を空かせて彷徨っていると、申し訳ないことをしたと思えてくる。灰原、すまなかった。心の中で謝ってみると、いいよ、と返事が聞こえた気がした。あの世ではなんでもアリなのだろう。しかし、しばらく散策してみても飲食店もなければ、コンビニもない。だだっ広い空港で二人はひたすら歩く。

 ついに行き止まりがやってきた。二人の名前が書かれた案内板がある。一体誰が何の目的で用意したのだろう。まさかここは敵の領域の中ではなかろうかとも考えたが、呪力は全く感じない。それどころか七海と女の二人以外だれも存在せず、生物の気配すらない。七海が女の手を取り、自身の名が描かれた案内板のほうへと引っ張った。不思議なことに女の身体が見えない壁にコツンとぶつかり、これ以上先へは進めない。

「ここでお別れみたいだ」
「私が行く方って地獄なんかな?」

 女が訝し気に自分の名前が書かれた方向を見る。案内板の奥には細い通路が続いていて、先はよく見えない。亡者の呻き声でも聞こえるだろうかと耳を澄ましてみるが何も聞こえず、逆に怖いわと心の中でツッコミをいれた。

「さあ。ただこの案内には従わざるを得ない不思議な力がある。どうあがいてもアナタの方へ行けない」
「確かに。七海の方に進まれへん。まあでも、最後の最後に会えてよかったわ」

 死後の世界独特の決まりがあるらしく、見えない壁に体当たりしてみたり、優しく撫でてみたりしても特に反応はない。神様とか仏様とかそういった超人的な存在がいて、二人を別つよう仕組んでいるのかもしれない。生きているときから世の中の不条理に散々弄ばれ続けた人生だったな、と二人は思った。物心ついたときから奇妙なオバケに追いかけられ、周りから気味悪がられ、成れの果てはズタボロになって早死にだ。まあでも、楽しいことが全くなかったといえば嘘になる。今回の人生では気心知れた仲間と魂の伴侶を得た。成果としては上々といったところだろう。人知れず孤独死する人もいると言うし、生まれてすぐ亡くなる赤ん坊もいる。そんなわけで、どうしようもないことに抗ってもしかたがないと、七海も女も素直にこの世界のルールを受け入れることにした。郷に入っては郷に従えということなのだろう。

 七海が穏やかな表情で言う。

「何か合言葉を決めておきませんか。もしもどちらかが忘れていても思い出せるかもしれない」
「せやな。七海って頭いいやん。ほな──」

 女が七海にヒソヒソ耳打ちした。二人らしい合言葉だ。姿かたちが変わっても、きっとどこかで惹かれ合うだろう。根拠は無いがそんな気がする。

「七海は天国行きやー! あ、そや。ちょっと休憩してから次行こな! 物心ついたときからなんか色々大変でめちゃくちゃ疲れたわア」

 女がブンブンと大きく手を振り、ターミナル全域に響き渡る大声で叫ぶ。相変わらずマイペースである。でも、七海は知っている。こうしておどけて見せているとき、本当は大泣きしたい気持ちを押し殺していることを。やることなすこと豪快なくせに、心の奥底には繊細な感性を持っている。寂しがり屋で甘えたなのに、恥ずかしがって素直になれない。そういうところもすべてひっくるめて、この女を愛している。このままサヨナラの流れかと思いきや、七海は女に駆け寄った。

「同感です。最後に抱きしめさせて欲しい。アナタのこと、絶対に忘れたくない」
「お別れは寂しいけど、短い間でも七海と結婚できて良かった。ありがとう」
「もう少し、二人でうまいものでも食べながらのんびりしたかったですが、仕方ない」
「七海と食べるご飯はいつでもなんでも美味しかったで」

 身体がねじ切られそうなほどの強い力で抱きしめられ、女は息が止まりそうだと思いながらも幸福な気持ちで満たされていた。物分かり良さそうに振る舞うくせに、本当は誰よりも諦めが悪いし融通も利かない。冷たくみえるが愛情深く、人の気持ちを汲むのが上手い。妙なこだわりがたくさんあって、全部彼らしくて好きだった。
 整頓された食器棚。買い物かごへの入れかた。歩く速さ。クローゼットの中。

「必ず再会しましょう」
「生まれ変わっても仲良くしてな」

 お互いの姿かたちが見えなくなると、きらきらと明るい光に包まれた。優しさと温もりでできた光を抜けたら、自分という人間を構成する外側が無くなっていた。魂というものがこれだとしたら、ずいぶんと身軽で快適だ。大切に想っていたいくつかの出来事が思い出される。





 誰かを守るため。

 自分を保つこと。

 前進するという意思。




 あれ。




 誰に会いたいんだっけな。


 名前や形が思い出せない。





 でもどこにいるか、不思議とわかる。





 今回よりも、


 ずっとまえから、


 君と一緒に生きてきたのだから。