背徳の限界深夜メシ

第11話

 七海の帰宅が深夜になったある日のこと。そっと玄関の鍵を開け静かに自宅に入るとリビングは消灯されており、既に女は寝ているのだろうと思った。無理もない。時計は一時を回っていた。それに今日は帰れないだろうと連絡していたから当然だ。起こさないようにそろそろと洗面所へ向かい手を洗う。先にシャワーを浴びたかったが水を一杯飲もうとリビングへ行ったとき、寝室の扉の隙間から光が漏れていることに気付く。まだ起きているのか、それともまた漫画でも読みながら寝てしまったのではないかと考え、七海は寝室へと歩みを進める。するとわずかなモーター音と女のくぐもったあの時の声が聞こえてきた。七海は扉の向こうで何が行われているのか、瞬時に察してしまった。

─これは、まずいところに帰ってきてしまったかもしれない。

 そのまま立ち止まって耳をすませば荒い息遣いと共に淫猥な喘ぎ声が聞こえ、さらにグチグチと粘度の高い液体を捏ね回すような音までしている。どう考えても間違いなくこの扉の向こうで、女が一人で自分を慰めているのだとわかった。いつも七海とのセックスの時に聞かれるような甘ったるい声ではない、本能のままに漏れ出る獣さながらの喘ぎを我慢することなく苦痛を逃すかのような声に、盗み聞きはいけないとはわかっていても離れられない。

「おっ、ォ、も、イク、いくいく、イくっ……ヴゥ、きもち……ィ……ゥ……!」

 ついに絶頂が近いのか女の声が震えはじめる。そして低い呻き声がしばらく続いた。これで終わったのだろうかとほっとしたのも束の間。再び水音が聞こえはじめ、また女が膣の中に何かを突っ込んで出し入れを始めたとわかり、これはいつから始まっていて、いつ終わるのだろうと思った。このままここに突っ立って女の自慰行為を盗み聞きしているわけにはいかず、七海はどうしたものかと思案した。玄関からやり直し、もっと大袈裟に音を立てて扉を開け閉めして、帰ってきたことをアピールしつつ女が身支度を整える時間を作ってやろうと考えたその時。扉の向こうで自慰をしている女の口から信じられない言葉が聞こえてきた。

「あっ、ななみ、すきっ、すきっ……。も、いく、イっちゃうっ」

 その瞬間、七海の頭の中でプチンと何かが切れる音がした。女のプライバシーを尊重してやりたかったが、耐え切れない。七海は素早く三回ノックして扉を開けた。するとそこには全裸で足を大きく開き、顔を真っ赤にした女が膣に薄いピンクのディルドを差し込みながらクリトリスに紫のバイブレーターを当てて二人のベッドに横たわっている姿があった。



「ギャアアアアアアア!!!!」



 七海を見た途端に女の顔は青ざめタオルケットに包まって隠れると、大きな声で叫んだ。放り投げられた玩具がシーツの下でヴヴヴと小さな音を立てて震えている。

「失礼。続けて」

 そう言いながら七海はずかずかと寝室へ入りタオルケットごと女を抱きしめると、発情した雌の甘ったるい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。ああ、くらくらする。すうすうと大きな息を吸って吐いてみると、人間にもフェロモンがあるのだと七海は知った。

「乙女の秘密! 出ていけーーーーー!」

 一瞬にして女の顔から血の気が引き、先ほど同様獣のような声で叫ぶ。必死で七海を押し返すが、どうやっても振りほどけない。七海はというと、発見当時はいたたまれない気持ちになっていたのに、瞬く間に己の欲望が燃え上がり強い性的な衝動を抑えることができないでいた。包まった布団越しにもう一度女の匂いを嗅いでみる。このまま羽交い絞めにして突っ込めと雄の本能が直接脳みそへ働きかけてくる。七海が思いきり掛物を剥ぎ取ると、膣から抜かれたディルドと電源が入ったままのバイブがシーツに転がっていた。女は必死でベッドに顔を伏せ小さく丸まっていたが、七海に向けられた臀部と大腿の隙間から見える秘部はぬらぬらと妖しく光り、愛液でぬめりを帯びているのがわかる。あのディルドで散々かき回されたのだろう。尻の穴まで白くねばねばした体液が付着している。とんでもなく卑猥だ。

「やめてやめてやめて! くるな! アホーーー!」
「恥ずかしがらずにそのまま続けて。寂しい思いをさせてすみません」
「さびしくない! 続けるわけないやろ! 離せーッ!」

 女はシーツを手繰り寄せ再び隠れてしまった。自慰行為がバレて恥ずかしいのはわかる。その気持ちを汲んで優しくしてやりたい思いが七海に無いわけじゃない。それ以上に根底から湧き上がる抗えぬ衝動に負けた。一人淫らに遊ぶ女の姿を目撃してしまい、あまつさえ自分の名を呼ばれたとなると誰だってこうなる。そう言い訳しながら、もう一度シーツごと女を強く抱きしめた。

「どこで買ったんですか。隠してたんですね。私がいない日はいつもこうしてたんですか」
「……ほんまに離れて。嫌いになりそう」
「オナニーが見つかって恥ずかしいと思う気持ち、わかります。でも絶対に離しません。早くそのまま続きを。愛してます。大丈夫。見せてください」

 女の恨みがましい声がシーツの中から聞こえる。息が荒くなっているのが自分でもわかるほど七海は昂っていた。スラックスをギチギチと押し上げるペニスを女の身体に擦り付けながら反応を伺う。未だ女は縮こまり震えている。反応と言動からどうも怒っているらしいとわかったが、それでも止まらない七海は己の欲望をストレートに吐き出すことにした。一応、女へのフォローとして共感し寄り添っていますよという言葉も付け加えておいた。

「七海っておかしいん……?」

 シーツの隙間から涙で濡れた女の瞳が光る。もう止まらない。止められない。

「わかりました。私も見せましょう」
「なにがわかったん⁉ 今は一人にして!」

 ジタバタと暴れてみるが近接一級呪術師には全く効果なし。それどころか肋骨が折れそうなくらい強い力で女を抱きしめ、猛る股間をゴリゴリと押し付けながらハァハァと息を荒げて発情しきっている。腕の中で震える女が愛おしい。このまま一つになりたい。もちろん性的な意味で。

「嫌だ絶対に離れない。さっきの続きを。どこに何を入れてたんですか。自分でしないと私が入れますよ」
「……うゥ、自分で、やります……」
「早く」

 もたもたする女を急かすも、なかなか自慰を再開しようとしない。ふにゃふにゃしながらディルドをこっそりと隠そうとしている。いつのまにかモーター音は止んでいた。叫んで逃げて騒いでいる間に、女がこっそりと電源を切ったのだろう。全く抜け目ない。目だけを出した女がわざとらしく上ずった声で言う。

「あ、あのォ、普通にエッチするのじゃアカン?」
「あかん。見せっこが終わったらしましょう」
「見せっこって……。理性を取り戻して七海。七海はせんでええやろ」
「します。一人だけ見ているわけにはいかない。それに、ちょっと爆発しそうです。一発抜いた方がいい。さっきみたいにして。これで。ほら。早く」

 そう言うと七海は女の体液で光るディルドを目の前に突きつけた。観念してそれを手にすると、七海は満足気に口元を緩ませて近づき、唇にかぶりつく。そのまま野生動物のような勢いで口元を舐め回すと、女は苦しそうに息を吸っては吐いてを繰り返した。いつも最初は時間をかけて丁寧にエロチックな気分を高めるよう意識して口付けるのだが、最早そんなことは気にしていられない。息継ぎのタイミングで素早く衣類を脱ぎ捨て、隠すことなく裸体をさらけ出して女の横に仰向けになった。そして破裂しそうな肉棒をリズミカルに擦って刺激し始める。

「ちょっと! ほんまに⁉」
「男はこうするんですよ。見えますか。はあ、一瞬でこんなにバキバキに勃起してしまった。アナタのせいだ。責任を取ってもらう」
「なんで……? 七海が変になってもた……」

 衣服を脱ぎ捨てた七海からむせ返るような雄の匂いと熱い体温を感じ、一瞬醒めた女の気持ちが再び昂っていく。信じられないくらい分泌された先走りでヌラついた先端を刺激するたび、ぐちぐちといやらしい音がたって、女の腹の奥のほうがじんじんと疼く。

─なんだか、欲しくなってくる。だって、こんな姿を見てしまったら、我慢できないではないか。

 結局、二人とも同じ穴の貉なのだ。火照り始めた身体をどうにかして鎮めければ、このままでは、頭が変になってしまいそうだ。

「早く。やって。ほら、どうするんですか」
「うぅ、こう、します……」

 ピンク色の可愛らしいサイズのディルドを手に取り、膣内へと挿入する。奥のほうはまだどろどろに溶けていて、こんな模造品では到底満足できないとヒクついて文句を言っているようにみえる。そろりそろりと出し入れすると、奥から白く粘った液体がだらりと流れてきた。七海に見られて、興奮してしまっている。子袋がじりじりと焼けるような感覚がして、耐え切れずディルドを一気に奥まで押し込んだ。ブジュ、とはしたない音を立ててずぶずぶと飲み込まれていく。もっと奥の気持ちいいところを突きまくりたい。ズボズボ出し入れして、何度もイキたい。女の頭の中も蕩けていて、性的な快感に囚われてしまっている。でも、そんな自分を知られたくない、恥ずかしいという気持ちもまだ僅かに残っていた。七海に変態だと思われて、嫌われたくないからだ。

「もっと素早く出し入れしてたのでは? そんな生温い音じゃ無かった」
「聞いてたん⁉」
「聞かなかったことにしようかと思ったのに、アナタが名前を呼ぶから。私の事を考えてたんですか? どんな事を?」
「うぅ……、ごめんなさい」

 七海が息を荒らげながら女を問い詰めると、タオルケットの中から七海が昨日着ていたブルーのシャツが出てきた。皺になっているところをみると、どうやら洗っていないものらしい。七海は目の前がカッと熱くなるのを感じた。この気持ちの昂りを何と例えよう。胸の奥から沸々と劣情がわきあがり、肌がめくれてしまいそうな感覚がある。勃起したペニスを奥に押し付けて、なんとしてもこの雌を孕ませたい。

「私の匂いを嗅ぎながらオナニーしてたんですね。本物がいますよ。実は、まだ風呂に入ってない」
「七海の、匂い、好き……はぁっ、濃いィ……舐めていい? 舐めたい……」
「まだ駄目。そのオモチャで上手にできたらどうぞ。ほら、しっかり抜き差しして、クリトリスにバイブを当てなくていいんですか? さっきみたいに」

 ぬるぬるぐちゃぐちゃと響く音はもうどちらのものかわからなくなってしまった。部屋中にむせかえるような淫靡な空気が充満し、まるで別世界のようだった。隣同士で夢中になって自慰に耽り、耐え切れず舌を絡めた。粘膜が触れるとわずかに残った理性も吹き飛び、ただひたすら達するためだけに性器を刺激し、震えるだけだ。

「あっ、あっ、すぐいっちゃう、も、いく、あっ」
「すごい。痙攣してる。大丈夫ですか? まだできますか?」
「も、エッチするんじゃ……」
「もう少し見たい。それに私はまだ終わってない」
「そんな……、はやく、出してっ」

 ビクビクと腰を震わせて達した女が我慢できずに七海の陰茎に手を伸ばす。欲しいのはわかるがまだだめだと、七海は意地悪く女の手を跳ねのけた。フウフウと肩で息をしながら涙を溜めて欲しがる女をみて、七海の嗜虐心が煽られる。

「あっ、こら、勝手に触るな。まだ、私がイクまで、横でオナニー見せてください」
「んっ、いきまくってるから、ま、また、すぐ、いく、あぁっ!」
「こんなに連続して何度もいけるんですね。すごい。中から白いものが垂れてきた」
「実況、すな! も、おわりっ、はやく、七海も、はやくイッて、エッチしたい! お願いっ」
「すごい。ヒクヒクしてる。どうなってるんですかここ。今入れるとすぐ出そうなので一旦出す。アナタの可愛い臍にぶっかけるから、よく見てて。ハア、なんで、一人で、私がいるのに……」

 連続して絶頂を迎えた女がもう我慢できないとディルドを引っこ抜いて捨て去ったと思えば、大きく開脚して雌穴を広げてみせた。ここに欲しい、ちょうだいお願いと懇願する姿を見て、それだけで達しそうになる。この女をここまで乱しているのは自分だと思うと、得も言われぬ充足感で満たされていく。髪の毛一本から爪の先まで全部愛している。この先どんなことが起こっても、この想いが揺らぐことは無いだろう。

「だってな、今日は、帰らんって聞いたもん……」
「うう、頑張って、早く、帰ってきたら、これだ……。ぁ、出る、見て、ハア、いく、いく、出るっ……」

 身体が絞られるような感覚のあと、強烈な快感が脳髄から股間を駆け抜ける。尿道をどろどろとした液体が昇っていくのを感じたすぐあとに、びゅるびゅると勢いよく精を吐き出した。可愛らしくくぼんだ臍に出そうと思ったのに興奮のあまり手元が狂い、胸の谷間に精液がたっぷりとかかってしまった。一滴残らずぶっかけようとしているのか、尻の穴から睾丸にかけて筋肉が収縮し、陰嚢に溜まった精液をどろりと押し出してくる。

「あっ、はぁ、でた……。とんでもない量だ」
「あ、や、私も……いく、またッ」

 先端を女の下腹部に擦り付けながら、この雌は自分のものだと印をする。絶対に誰にも渡さないし、どこへも行かせない。過去関係があった奴は消す。そんな醜い独占欲も一緒に吐き捨てるように、未だにいきり勃つ陰茎をごしごしと扱いて残った精液を絞り出し、女の臍や腹になすりつけた。七海の白濁をかぶった女の姿はとんでもなくいやらしい。でも、まだ。もっと。倒れるまで。一度射精したら少しは落ち着くはずなのに、今日そんな気配は微塵も無い。

「尻を震わせて、気持ちいいんですね。このまま突っ込んで、イったばかりの穴、使わせて貰いますよッ」
「や、すぐイクから、だめ……! うっ、おっ、もッ、イクぅっ」

 ぐじゅ、と熟れ切った女の穴に突っ込むと、待ち望んだ刺激にびくびく震えて悦んだ。達した時にはキツく締め付けて、その後は痙攣し、しばらくするとふわふわと七海の分身を包んで、取り込もうとうねる。

──ああしまったな。避妊していない。

 もうどうなってもいいとばかりに七海の下から腰をくねらせる女からなんとか離れようと、七海が体を起こす。直に感じる女の疼きに応えてやりたいが、何かあっては遅いのだ。呪術師の間に生じてはならないソレを未然に防ぐ必要がある。ベッドサイドを片手でまさぐりながら避妊具を手にとると素早く装着し、薄皮一枚隔てて女の中に再び挿入する。女の顔を見ると、悲しそうにも見えたし、安心しているようにも見えた。



***



「随分野性的なセックスをしてしまった。最高だった」
「あのさあ、終わった後の感想戦やめてくれへん? 恥ずかしいねんけど」

 何時間過ぎたのかはわからないが、外はまだ暗いので夜は明けていないのだろう。仕事終わりのセックスはさすがに堪える。三回戦後、二人はベッドで大の字になっていた。何度も達し、今日はお互い非常に満足している。やはり、円満な夫婦生活には良いセックスが必要だ。

「眠すぎる。寝ましょう。風呂は明日でいい」
「ベッドが汚れるから私は風呂行くわ」
「もう既にアナタの本気汁がそこらじゅうにべっとりついて汚れていますが?」

 七海がニチャリと笑って薄気味悪いことを言う。この発言とこの表情、高専関係者に見せてやりたい。何が大人だ常識人だ。

「そういうすけべ親父的な淫語を織り交ぜた発言、何回聞いても引く」
「私はどんなアナタでも愛せるので引くとかそういった感情は一切無い。今日は良いものを見せて貰ってありがとうございますという気持ちです」
「ひぃー、こわっ! お風呂入るけど、七海は?」
「一緒に入りたいので行く」
「行くんかい!」

 もうええわ、ほなさいなら、までを一人で終わらせた女が、自慰に使った七海のシャツだけを羽織ってバスルームへと向かう姿を見て、無自覚彼シャツにまた七海の股間が元気になりつつあった。しかし、さすがにもう寝なくては明日の仕事に差し障る。七海はそこらへんに放り投げた下着を履いて女の後を追う。ふとベッドの下を見ると、電源の切れたバイブとピンクのディルドが寂しそうに転がっていた。七海が帰るまであれほど夢中になっていたというのに、薄情なものである。可哀想になった七海は二つの玩具を手に取り女の背中に向かって声をかけた。

「これ洗わなくていいんですか」
「返せ! アホ!」

 怒った女に取り上げられ、一緒に風呂場へと向かう。最近のバイブは防水加工がしっかりと施されており、きれいに水洗いができるらしい。洗面所のハンドソープを使って慣れた手つきでバイブとディルドを洗う女を七海は感心しながら眺めた。こういったことをきちんとできるところは大変好ましい。

「また見せっこしましょう」
「もう二度とせえへん」
「ではプレイで使わせてください。これだけじゃないんでしょう。まだ隠し持ってるに違いない」
「もう無いってば」
「今度買いに行きませんか。選んであげますアナタに似合いそうなものを」
「アダルトグッズが似合うって、全然嬉しくないんやけど」

 まだ一人でうだうだ言っている七海を適当にあしらいながら、女はシャワーを浴びた。ザブンと湯船につかると、一気に疲労感が押し寄せる。あと何時間眠れるだろう。目を閉じると寝落ちしてしまいそうになり、意識を手放さないよう必死になって目を開ける。半目で七海を見るとニタニタと上機嫌で身体を洗っていた。

「プレゼントは私ってやつを一度やって欲しいんですが。コスプレなんかもしてみたい。セーラー服とかメイドとかどうですか。似合うと思いますよ」
「コスプレ、とか、やめて……。セーラー服、キツい、年齢的に」
「じゃあ何だったらいいんだ。中途半端にするのは嫌です。ペラペラの安い服ではなく、しっかり採寸して本物を着て欲しい。リアルがないと燃えない」

 七海はシャンプーをしながらまだ何やら言っているようだ。やたら早口で気味が悪い。百年の恋も冷めそうである。衰えそうにない七海の勢いが怖い。

「えー、うーん。メイドの方がマシかな?」
「もう少し積極性を持ってください。最中と終わったあとでキャラが違い過ぎる。こういうことは嫌いじゃないんでしょう」
「はァ。もうわかったってば。メイドにしてや」

 女は目を瞑って鼻の下までぶくぶくと湯に沈んだ。ぬるめの温度が心地よく、このまま眠ってしまいそうだ。七海の家のバスタブは無駄に広い。二人入ってもゆったりとくつろげる。風呂にこだわりがあるわけではなく、以前の住人が風呂好きでこのような造りになっているんだと聞いた。普段はシャワーしかしないと言っていたのに、今は二人そろって湯船につかることが多い。七海を背もたれにのんびりくつろぐのもよし。向かい合わせでじゃれ合うもよし。女は七海とのバスタイムを楽しみにしていた。密室。裸。リラックス。限られた二人の時間がより濃密になるような気がする。肌を重ねることで、お互いどこで何をしているのかさえわからなかった期間を取り戻そうとしているのかもしれない。ざぶんと湯を溢れさせながら七海が湯船に入る。あわや沈むところだったと文句を言おうとしたら、七海が大息とともに悔しそうに言う。

「はあ、アナタが可愛くて仕方がない。こんなはずじゃなかった」
「後悔してる?」
「してます。死にたくない」

 恨みごとのように喉の奥から絞り出された七海の言葉に、女は一瞬だじろいだ。この世に未練を残したくない。呪術師ならきっとだれもが考えていることだろう。未練とは何かといわれるとはっきり言葉にできないが、一番残したくないものは人間関係だと思う。家族。友人。師弟。恋人。自分と近くなればなるほど情愛が沸き、離したくないと願うことは罪だろうか。そんな関係を築いてしまうと、ここぞというときに踏み込めなくなるのではないか。とめどなく湧いて出る呪いを祓うということは、一体全体誰のための戦いなのだろう。言いたくないけれど考えてしまう。それを言葉にすると呪術師として生きていけなくなる。七海だってわかっているはずなのに、どうしてそれを言ってしまうのか。

「人間、そんなすぐに死なへんよ。東京にはスーパー反転術式の使い手家入硝子先生もおるしな」

 なんとか言葉を紡ぎ出す。私も死にたくないなんて口が裂けても言えない。いつ何時どうなってもいいという覚悟が無ければ、次に肉塊として地に転がるのは自分の番だ。

「約束してください。一人で死なないと」

──七海。そんなこと言わんといて。ずっと一緒におるって約束してよ。いけずやなあ。
「死にそうになったら頑張って撤退するわ。逃げ足強化のため、明日から朝ランやな」
 
 頭とは正反対の言葉を口にしながら、女はヘラヘラと笑ってみせた、いつになく真剣な七海が少し心配だ。でも、本音は飲み込むべきで、口にしないほうが身のためだ。そうとはわかっているものの、女にとって七海はずっと昔から大切で特別な存在だった。大切な関係を築いてしまい、この世に未練を大いに残すことが確定してしまった二人。たとえどちらが先に逝こうとも、後悔は無しにしたい。これが運命だったと受け入れるには物分かりが良すぎるけれど、抗うことの無意味さを飲み込んで受け入れられるほど捨てきれない。

「朝ランに付き合います」
「全然起きてこーへんくせによう言うわ」
「少しでも一緒にいたいので絶対に起きてみせる」
「期待はしてへんけど楽しみにしとく」

 七海の頬をひっつかんで無理矢理キスをしてみる。全然嫌がる素振りもせず大人しく受け入れてされるがままになった。先に逝ったら恨むぞと呪いを籠めて女から口づけると、七海はわかったとでもいうように女の痩身を優しく抱きしめた。




***




「お腹空いた……」

 風呂に入ってすっきりしたせいか、少し目が冴えた。途端に空腹を自覚してしまい、冷蔵庫を開けてみる。女はしばらく出張で留守にしていたし、七海も忙しかったせいかろくなものが入っていない。納豆に至っては一週間も賞味期限が切れている。がっかりして女が冷蔵庫を閉めると、七海がパントリーの上のほうをごそごそと漁っていた。

「同感です。あれだけ激しい運動をしたら腹が減る。かなりのカロリーを消費したので今なら何を食べても罪悪感は無い」
「ちょいちょいオッサンっぽい発言するの何? ツッコミもエネルギーいるねんで。しょうもないこと言うてんとなんか食べるもん無いんこの家は……」
「コンビニで買ってきたカップ麺とツマミがあります」

 女の不満そうな声を聞いた七海がくるりと振り返ると、手にはカップラーメンが二種と缶詰が四個。

「寂しい男の一人暮らしって感じのラインナップ」
「全然寂しくないし一人暮らしではないし、アナタの分もあるでしょう。出張帰りに毎度ゴミ箱を見て私も食べたかったと文句を言うから買ってきたのに」

 七海がプリプリと不満げに言う。確かに、よく見るとなかなかよさそうな品が並んでいる。有名店監修のカップラーメンは、今話題でなかなか手に入らないと地方出張中適当につけたテレビのワイドショーで見た気がする。缶詰はオイルサーディン、ホタルイカの沖漬け風、黒毛和牛大和煮、ミックスオリーブ。攻守ともにバランスの取れた選択に思わずスタンディングオベーションだ。七海の後ろには紙吹雪がちらつき、ピカピカとネオンまで輝いて見える。幻覚か、これは。女は途端に上機嫌になり、うきうきと心弾ませ小躍りした。全く、現金なやつだと七海は思った。

「さすが七海サン! ビールは⁉」
「野菜室に」
「に相応しいラインナップに訂正させて頂くわ」
「よろしい。始めましょう」

 女はビールのロング缶二本を抱えてウキウキとテーブルに向かった。七海は湯を沸かしてから、女の後に続いた。時間はもう気にしないことにした。これを目の前にして眠るなんてどうかしている。

『いただきます』

 空が白んできたころ。性欲も食欲も満たされると、一気に睡眠欲が押し寄せて二人は限界に達していた。五分だけでも寝かせて欲しいとベッドに横たわり目を瞑る。一瞬にして寝落ちしてしまいそうだ。あと何時間眠れるだろうと女が考えていると、七海が何かひらめいたのか「あっ」と急に声を出した。もはや七海は眠くないのか、目はギンギンで瞳孔はがっぽり開き、徹夜テンションになっているようだ。これ以上付き合っていられないと、女はそっぽを向いて掛け布団に包まった。

「何?」
「二人ともスーツがあるから、上司と部下というシチュエーションでオフィスラブプレイができる」
「はよ寝て」