愛を啜る君はリャナンシー

第7話

 七海が深い眠りから覚めたとき、下半身のひどい違和感に気付いた。自覚すると一気に眼が冴える。掛け布団を捲ると、彼女が七海の股の間に顔を埋めているところだった。思わず短い悲鳴をあげてしまった七海は、しまったと咄嗟に口元を押さえた。対して彼女は七海の反応なんてこれっぽっちも気にしていないと、股座への刺激を続けている。

――これは一体、どういう状況だ。理解が追い付かない。

 なんとか声帯を震わせてかすれた声を出し、彼女を押して引き剥がす。

「そんなこと、してはいけない」

 七海の頭は真っ白だ。パジャマのズボンは中途半端に脱がされてしまっているが、幸い下着は穿いていた。しかし穿いてはいるものの、その中身には大きな問題がある。陰茎にまとわりつくベトベトした粘液は恐らく自身が分泌したものだと思われたが、それ以上に下着がべっとりと濡れていた。ここまでされているのに気づけなかったことが信じられず、七海は言葉が出てこなかった。薄暗い照明に照らされた彼女の濡れた口元が怪しく光る。口の端から流れ出た唾液を音を立てて啜り、袖で口元を拭いながら七海をじっと見つめ続けた。普段と変わりないように見えるその瞳の奥に宿るものは何だろう。この行為の意味を知っているのだろうか。

「私、上手にできるよ」

 そう言いながら彼女は七海ににじり寄る。彼女の口ぶりから自分の行いを理解していることがわかって七海はますます混乱した。彼女は有無を言わさず小さな白い手で七海の陰茎を下着越しに掴み、真っ赤な舌を突きだしてべろりと舐め上げてみせた。既に唾液でべとべとに濡れた下着がぐじゅぐじゅと音を立てる。咄嗟に肩を掴んで制止すると、彼女はそっと手を重ねた。簡単に振り払えるはずが動くことができず、七海は戸惑った。なんとしてもやめさせないといけないとわかっているのに身体が言うことを聞かない。ドクドクと脈打つ下半身に意識が集中している。この状況に理解が追い付かない。じっとりと湿った彼女の瞳を直視できず、七海はついに視線を逸らしてしまった。それを彼女は見逃さない。七海を見つめたまま、上下にゆっくりと手を動かし始めた。
最低で最悪な状況なのに、七海の陰茎は痛いくらいに勃起していた。それに、目が覚めるまで彼女とまぐわう夢まで見ていたのだ。夢の中、七海は高専の自室でかつての彼女に馬乗りになっていた。下敷きになった彼女は七海の頬を掴み、二人は貪り合うような激しい口付けを交わしながら息も絶え絶え、動物のような交尾をしていた。本能に突き動かされてめちゃくちゃになって動く。何もかもが快感に結びつき、気絶してしまいそうな感覚に支配される。若い頃の七海の空想と全く同じだった。

『七海大好き。絶対どこにも行かないで』

 夢の中で彼女は七海に繰り返し訴える。そして七海はどこにも行かないと答えるのだ。

「いけません」

 そんな夢から覚めた七海は理性を取り戻して彼女を振り払う。彼女を座らせ、ゆっくりと深呼吸するように伝えた。彼女は素直に従って、息を深く吸い、ゆっくりと吐き出す。それでも腹の底から湧き上がる衝動に抗えないようで、七海を求めて手を伸ばした。彼女の白い手が七海のごつごつと骨ばった手に重なる。見た目からは想像できない程彼女の手のひらは熱い。そのまま七海の手を取り、下腹部へと触れさせた。そこも驚くほど熱を持ち、火傷してしまいそうだ。

「お願い。お腹が苦しい。七海が居ないとだめなの」

 落ち着いたはずの息が再び乱れ始め、彼女の顔が苦痛に歪む。小さな声で「助けて」と彼女が言う。七海が選んだ花柄のパジャマをそっと捲って腹部を確認すると、ぼんやりと発光する子宮を模した紋様が浮かび上がっていた。今まで鳴りを潜めていた新たな呪いが現れていることに七海は驚いた。この呪いは家入の報告に無いものだ。家入曰く、彼女は「都合のいいオモチャを作る実験体にされていた」そうだ。彼女にかかった呪いは行動を制限するものや、特定の者の意に従うようにするものなど種類は様々だ。実用化までに何度もテストされて、耐え切れず自我を失ってしまった。そんな彼女も七海が助け出してからゆっくりと元に戻ってきたと思っていたのに。

「私、変になっちゃった……。七海が治して」

 はあはあと息を荒げて涙を流し訴える。淫紋の光が徐々に強くなり、彼女は理性を手放しそうになっている。涎を垂らしてふらふらと七海へと近づき、再び股間へと手を伸ばす。制止しても「苦しい」「助けて」「眠れない」と訴え七海を欲しがった。ついには胸に縋りつき、七海の上で犬のように腰を振り始める。濡れた下着同士が立てる下品な音が静かな寝室に響いていた。あらゆる穴から体液を垂れ流し「お願い」と繰り返し呟くさまはなんとも哀れだ。今まで何もかも上手くいっていたのに、突然積み上げてきたものが崩れてしまったことに七海は絶望した。一体彼女が何をしたというのだろう。
 七海は腹部に浮かぶ淫らな紋様に自ら触れた。直接触れるとわかる。今発動している呪いは彼女の体内に深々と根を張っていて、容易に解呪できそうに無い。原因臓器を七対三で切り裂けば今すぐにでも呪いは解けるだろう。でもそれでは彼女が死んでしまう。なんとか呪いの力を弱めてあらゆる苦痛を取り除いてやりたい。そのためには、彼女の望むことをしてやればいい。これは呪いのせいだから誰かが悪いわけじゃない。そうだろう。
 七海は彼女のふっくらした頬に優しく触れた。涙と鼻水でべしょべしょだ。苦しそうに喘ぎながら媚びるように腰をくねらせ、ずっと七海を求め続けている。きっとこの先の行為があれば彼女は落ち着くのだろう。今この場でそれをやってしまって助けてやりたい。でも、それだけはできないと、七海は彼女を抱きしめてそっと背中を撫でた。落ち着いて。大丈夫。何もかもうまくいく。ずっとそうしてきたように、混迷をきたした彼女を必死に慰める。彼女は撫でられながら小さな唸り声を何度か出し、ついには七海の首筋に思い切り噛みついた。力を加減できないのか肉を食いちぎられてしまいそうだ。彼女の歯が七海の皮膚を容赦なく割いた。鋭い痛みが走るが、七海は全く動じることはなかった。七海に噛みついたままべそべそ泣きながら唸り声をあげ、更に七海の肉へ歯を立てる。目は血走り、全身にすさまじい力が入っている。彼女自身ではどうすることもできない呪いの支配から逃れようと必死で七海に縋り、助けを求めていた。痛みや恐怖よりも、苦しむ彼女をなんとかしてやりたいと七海は思った。彼女の人生を想うとあまりにも痛ましい。こんな仕打ちを受けていい人間ではない。
 彼女はじわじわと滲み出た血液を啜りながら獣じみた低い唸り声を出し続けている。ずるずると汚い音を立てながら七海の肩口で血液を啜った。しばらく好きにさせていると彼女の力は少しずつ弱まり、呼吸が落ち着きはじめた。淫紋の光が弱々しくなり、支配力が低下してきたのか彼女の自我が徐々に表れ始める。七海の身体に回した手で自分がされているように背中を撫でながら、何度も「ごめんなさい」と謝ったのだ。

「抱っこしてあげるから、それで眠れる。こんなことしなくても、君は大丈夫」
「くるしい……、しんじゃう……。ななみ、ごめんなさい。ゆるして。きらいにならないで……」

 抗えぬ衝動から七海に噛みついて生き血を啜り、股座に手を伸ばして陰茎を擦り続けている。それでも彼女は自分を支配する呪いに必死で抗っていた。そんな姿を見て、七海はなんとしても自分が助けてやりたいと決意を新たにした。他の誰でも無い。彼女の側に存在してもいいのは自分だけだ。これほどまでに求められて放っておける方がどうかしている。力づくでやめさせることもできたが、そんなことをしなくても彼女は自分で自分を取り戻せる。奪われた時間をこれから取り返すんだ。普通の女性として余生を生きる手助けをしてやりたいと願い、彼女の全てを受け入れる決意をした。
 それから二人はしばらく抱き合っていた。彼女は七海の血を舐め、股間を擦りながら眠りについた。彼女が深い眠りに落ちたことを確認した七海は、傷口にガーゼを貼って彼女が眠るベッドへと戻った。涙と鼻水でべしょべしょに濡れた顔を暖かいタオルで拭ってやり、丸くなる彼女を抱いて眠った。

 次の日も彼女は七海の寝室を訪れた。今夜は忍び込むようなことはせず、枕と自分の掛け布団を持ってきた。いつもみたいに隣で眠るだけだと何度も言うので七海はベッドの端をあけてやった。招かれたとわかるといそいそベッドにあがり、シーツの匂いを胸いっぱい吸い込んでゴロンと横になった。もぞもぞ動きながら七海に近づき、背中に耳をくっつけて心臓の鼓動を確認している。ゆっくりと規則的な拍動を聞いて、彼女はとても安らかな気持ちになった。七海といると心が落ち着く。すべて上手くいくような気になる。絶対に守って貰えるという確信があるのだ。そんな広い背中にくっついていると、彼女より体温が高い七海の熱がうつってなんだか頬が熱くなる。胸が高鳴り腹の奥の方でゾワゾワと蠢く何かを感じる。彼女は自分の中で何かが変わっていくような気がして怖くなり、七海の腰に抱き着いた。身体に密着していると、自分では無い何かに支配されて気が遠のいていく。ここはどこで、自分は何をしているのだろう。この温もりは誰だろう。愛してほしい。一人になりたくない。彼女は取り戻しかけた自分がまた遠ざかってしまうことに気付いて必死に手を伸ばしたが、掴みきれずに逃してしまった。
すると今度は彼女では無い誰かの番だ。性を啜り己の糧とする悪魔がやってくる。男をたぶらかして好き勝手に弄び、最後は魂ごと持っていってしまう。七海は彼女の雰囲気が変わったことがわかり、腹に力を入れた。きっとまた、良くないことが起こるに違いない。腰に抱き着く彼女の手をそっと払うと、驚くほど簡単に離れていった。諦めたのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。七海の背筋に指を這わせて耳元に熱い吐息を吹きかけ、淫らに誘惑している。これはいつものあの子では無い。男の精を欲し、欲望のままに貪る悪魔がやってきたのだ。

「やめろ。触るな」

 強い口調で七海が彼女を制止する。すると途端に鼻声になってぐずぐずと泣き始めてしまった。これは演技だろうか。それとも、抗えぬ衝動に耐え兼ねた本当の彼女が涙しているのだろうか。咄嗟に判断できずそんなことを考えていると、彼女がかすれた声で「どうして。したい」と言った。それはいつもの彼女のような態度で胸が軋む。確かに、どんなことでも受け入れて彼女のためにすべてを捧げる覚悟をした。溜まった欲望を吐き出さなければ彼女はどうなってしまうのだろう。日に日に行動がエスカレートしている気がする。なんとか昨日のようになだめ、彼女の気持ちを落ち着かせなければならない。震える彼女の手を取り撫でながら七海は言う。こんなことでどうにかなるとは思えないが、何もしないよりはマシだろう。

「落ち着いて。もうこんなこと、しなくてもいいんです」
「私のことが嫌いなんだ!」
「そうじゃない。君の事は大切に思ってる」

 やはり効果は乏しく、七海の言葉を聞いた彼女の感情は激しく揺れた。制御できない刺々しい呪力が辺りに飛び散り寝室を穢す。ワアワア声をあげて感情の赴くままに泣きじゃくる姿はまるで子どものようだ。それなのに淫らな手つきで性欲を刺激しようと、七海の身体中をまさぐっている。しばらくすると、彼女は自分の身体を包み込むように抱きしめた。心と身体がばらばらで辛いのだろう。柔らかな白い二の腕に爪をギリギリと立て、痛みの刺激を加えることで正気に戻ろうとしているのかもしれない。本来の自分の意に反する行為をしていて彼女も苦しんでいることがわかり、見るに忍びない。

「前はみんな、いっぱいしてくれた。したいよ。して。お願い」

 再び悪魔が出てきて囁く。七海の手が取られ、彼女の下腹部に押し当てられる。昨日同様に熱を持ち、淫紋がじわりと浮かんでいる。彼女はそのまま七海をベッドへ倒した。抵抗すれば簡単に払いのけられるが、七海はされるがままにベッドへと横たわる。馬乗りになった彼女が七海の唇を塞いだ。抵抗しないことに気をよくした彼女がそのまま舌を差し込むと、七海の口の中は錆びた鉄の味がした。七海は更に舌の端を強く噛み、口の中に血を溜めた。昨日と同じならこれで落ち着くはずだ。恐らく体液を取り込むことで彼女の呪いは弱まる。きっと、玩具にされていた名残なのだろう。血液が何の代替品かは考えたくもない。
七海の目論見通り、彼女はずるずると音を立てながら唾液と共に血液を啜り腰を揺らしはじめた。しばらく口腔内を弄んだら、少し自我を取り戻したようで七海の上から離れてベッドの端に座った。邪悪な呪力は落ち着き、弱々しくすすり泣いている。なんとも小さな背中だ。発見した当初よりも肉はついたがまだまだ細い。触っただけで折れてしまいそうな腕も、薄い腹も、何もかもが最後の日に見た彼女と違って痛々しい。何の因果が彼女をこんなにしてしまったのだろう。こんな状態になっても生きていかなければならないなんて。

「明日家入さんに診てもらいましょう」
「私病気なの? おかしいの?」
「悪い所がないか、確認してもらうだけです」
「七海っていじわるだ。嫌われた」

 そう言ったきり彼女は機嫌を損ねた子どものように拗ねてしまい、布団に潜り込んだまま出てこなかった。背中を撫でてやろうとしても逃げてしまう。こんなときはそっとしておいた方がいい。七海は彼女に背を向け目を瞑った。瞼の裏には七海が高専を去った日の彼女が映っていた。七海に向かって微笑んでいる。これは七海の願望が見せる映像だ。実際の彼女は俯いて涙していた。時間とともに過去は曖昧になっていく。記憶は薄れていつかは忘れてしまう。綺麗な思い出だけに浸って生きていきたい。しかし現実を生きる彼女が隣で眠っている。
 ここ数日の出来事で、七海は彼女を助けて良かったと胸を張って言う自信を無くしていた。なんとかして助けてやりたいと思う気持ちに偽りはない。けれど、終わりの見えない生活に少し、疲れてもいた。

 翌日、七海と彼女は高専を訪れていた。二週間ぶりの再会を喜び、三人でショートケーキを食べながら日々の生活について語る。途中で伊地知がやってきたので彼女と共に自販機へと行かせ、家入にここ最近の様子を細かく話した。相槌を打ちながら家入は七海の話を聞き、最後に短い溜息を吐いた。それから七海の肩に触れ「よく頑張ったな」と言って慰めた。普段は冷たく感じてしまうこともある家入の抑揚のない声が七海の心に優しく染み込んでいく。緊張の糸が途切れた七海は涙が零れそうになった。鼻を啜ったり目を擦ったりしてなんとか誤魔化した。そうだ。一番つらいのは間違いなく本人で、今もずっと混乱している。彼女のこれからの人生が少しでも良いものになるよう、助けてやりたい。それだけだ。
 家入が言うには、入れ子のように重なる呪いが彼女の人格を強く抑圧している。そうすることで意のままに操れる都合のいい人形が欲しかったからだ。少しずつ身体の健康と人間としての生活を取り戻し、もともと彼女が持つ力で何重にもかかっていた呪いが解呪されていっている最中だそうだ。思考の支配や行動の制限が徐々に弱まってはいるものの、原始的な欲求に深く結びついた呪いは簡単には祓えず、時間がかかるだろう、ということだ。

「根気良く付き合ってやるしかない。淫紋は呪符で弱めてから次の手を打つ」
「次の手、とは」
「力技で引き剥がす、だ」

 得意だろ、とでも言いたげに家入は不敵に笑った。彼女にはできるかぎり優しくありたいが、そうも言っていられないかもしれない。もしもその時がきたら、七海は自分が手を下す覚悟を決めた。彼女を助け、生かした責任があるからだ。