気になる事は一つと言ったが実はもう一つある。というか、こちらの方が気になって仕方がない。それは彼女と会うと最後はいつもセックスになるということだ。別に毎回する必要は無いのに必ず求められるのでそれに応じるのだが、七海は正直に言うと毎回セックスするのは嫌だった。彼女とセックスすれば身体は満たされる。当然気持ちがいいし彼女もいつも良さそうにしている。ただ七海の心が満たされるのはその時だけではない。七海を見つけて嬉しそうにはしゃぐ姿だとか、映画の感想を言い合っている時だとか、美味しい食事をしながら近況報告をしている時だとか、そういう時間をもっと大切にしたいのだ。
普通の恋人同士は毎回セックスするのだろうか。セックスするための場所を探している時虚しくなる。セックスしなくても彼女を愛しているのに、彼女はまるでそれが当たり前であるというかのようにデートの終盤に差し掛かるとそういう場所を探し始める。お互いの家に行ったり適当なホテルに入ったり、時には車で求められることもあり彼女のその旺盛な性欲に戸惑っていた。
仕事の終わりに待ち合わせをして適当にウィンドウショッピングを終え、彼女が行きたがったダイニングバーで少し酒を飲みそろそろ帰ろうかという時のこと。
「今日はどうしますか?」
今日も来た、と七海は思った。これは宿泊にしますか、それとも休憩にしますかという意味だ。明日は休みなので泊まってもいいのだが、今日こそはセックス無しで彼女を抱いて眠るだけにしたいと考えている。それをやんわりと傷つけないように伝えないといけない。
「明日は休みなので時間を気にせずうちでのんびり過ごしたいんですが、どうですか」
教員をしており仕事に対しては真面目な彼女のオフショットが見たいのでいつも彼女の家に行くのだが、今日は本拠地へ乗り込んでしまうといつものように流されそうなので自分の生活空間に誘った。もちろん平静を装って。
「七海さんちに行くのって凄く久しぶりです」
彼女は満面の笑みで肩を弾ませる。可愛い姿に胸が締め付けられた。きっと彼女は期待している。何せ二人でこうして会うのは二週間ぶりだ。
「パジャマは貸します」
「七海さんの服は大きすぎるでしょ」
「彼シャツ萌え袖のあなたも可愛いでしょうね」
「そういう言葉どこで覚えてくるんですか?」
七海の腕に抱きついて嬉しそうにはしゃいでいる。そう、こういう瞬間に七海の心は満たされるのだ。愛おしい。守りたい、この笑顔。こみ上げる想いを隠しきれずニヤニヤと笑ってしまい、七海は小さく咳ばらいをした。にやけている場合ではない。今夜はセックス無しだ。七海は拳にぐっと力を込めて気を引き締めた。
さて、思いの外スムースに自宅へと誘うことは成功した。問題はこれからだ。七海は心の中でもう一度、今日は絶対にセックスしないと心に誓う。抱いて眠るだけ。彼女に不安を与えず、それとなくセックスしない方向に持っていく。それから彼女より早く起きて朝食を用意して、昼過ぎまで家で映画でも見よう。昼食も夕食も自宅で作ってやりたいが、彼女は出掛けたがるかもしれない。それなら靴を買ってやりたい。彼女と会うのは仕事の後がほとんどで、二人ともいつも同じような恰好をしていた。休みの日がなかなか合わず、彼女のデート用の姿をあまり見たことが無い。今度二人でオフの日のデートができたら自分が選んだ靴を履いてきて欲しい。そんなことを考えながら七海は自宅へと向かう。隣で彼女は先日読んだという有名な教育論の話をしていた。相当感銘を受けたらしく熱心に語っているがその内容はほとんど七海の耳に入っていない。今日の彼は考えることが多すぎるのだ。
「何ぼーっとしてるんですか?」
七海の明らかな生返事に気づいた彼女は言う。
「明日は何をして過ごそうかと考えてました」
「やっぱり全然聞いてなかった!」
不満を口にしているが怒っている様子はない。しばらく何かを考えた後、彼女がにこにこ微笑みながら口を開く。
「ええっと、七海さんちで映画見ながらゴロゴロしたいな」
「いいですね。ここのところ忙しくてゆっくりする時間がとれませんでしたから」
そう返事をして七海は思った。良い流れだと。彼女の口ぶりから外出する気はなさそうだ。映画を見るという目的もある。忙しかったという言い訳もあり、これからの時間はのんびり過ごしてリラックスして過ごしたい。だから今日は身体を寄せ合うのみに止めてセックスはやめましょう、という方向に持っていけそうだ。早くも勝利への道筋が見えてきたので七海は心の中でガッツポーズをとった。
二人が家に着いてソファに座る前、彼女が七海を見て言う。
「先にお風呂に入りませんか」
「お先にどうぞ」
彼女の荷物をリビングで片付けてやりながら七海が答える。明らかに誘われているのはわかるが、ここで一緒に入って彼女の肌に触れてしまったら今日の計画はおそらく頓挫するだろう。二週間ぶりに一緒に入浴したらどうなるかくらい七海はわかっている。
「……一緒に入りたいなぁ」
七海にその気がなさそうだと勘づいたのか、素知らぬふりをする七海の背中に頬を寄せて甘ったるい声を出す。ここで流されてはいけない。いつもこの誘惑に抗えずいいようにされてきたのだから。しかし彼女が触れている場所が熱を持っていくことを自覚してしまうと、奥底に仕舞いこんだはずの欲望が首をもたげてくるのだ。
「またのぼせますよ」
それらしい理由を述べてみる。彼女は何も言わずまだ背中にくっついたままだ。しばらくじっとしていると、じりじりと腕を回して腰を抱かれてしまった。彼女の額が背中に当たと思ったら小さく鼻を啜る音が聞こえてきた。もしや泣いているのだろうか。悲しませているかもしれないと罪悪感に苛まれる。七海が葛藤していると彼女が小さな声で呟く。
「お風呂でイチャイチャしたいんです。ダメですか」
「……駄目じゃない」
――嗚呼、結局はこの衝動には抗えないのかもしれない。
七海は天井を見つめながら思った。男とは欲望に弱い生き物なのだ。生物学的にそうなっている。だから抵抗など無意味だ。彼女もそれをよくわかっているのだろう。
風呂で散々触れ合っているとどうしようもなく気持ちが昂ってしまう。もちろん身体の方も完全に反応していた。当然だ。二週間ぶりに触れた彼女の肌は瑞々しく、すぐにでも舌を這わせたかった。彼女も明らかにその気になっていたが七海はぐっと堪えて手を出さなかった。よく耐えたと褒めてやりたい。もう上がろうと言うと彼女はやや不満そうな顔をしたものの、身体が密着することで少し満たされたのか性器には直接触れてこなかった。もしもあの場で「七海さん、私、もう我慢できません……」などと言われていたら、固い決意はいとも容易く崩れ去っただろう。脱衣所で身体を拭いてやりながら七海は彼女が語っていた教育学者の名前を思い出そうとしていた。欲に塗れた気持ちを落ち着かせるためだ。
「髪を乾かしましょう」
「七海さんに頭を触られると眠くなっちゃいます」
ドライヤーを持ち出すと彼女は膨れながら文句を言った。確かにいつもウトウトしている。彼女の濡れた髪を梳かしながら七海は返事をした。
「寝てもいいですよ」
「えぇー。せっかく久しぶりに二人きりで会えたのに、寝ちゃったら時間が勿体無いです」
何か言いたげにしていて、それが何なのか七海には大体の見当がついている。ただ今日はそれだけはやってはいけない。そう決めている。
「では夜更かしして映画でも見ましょう」
「そうじゃなくて……」
「飲み直しますか」
「それも違うのに」
「今日は早めに寝て明日早起きしては」
「意地悪はやめてください……」
彼女はついにしょんぼりと俯いてしまった。求めているものが何かわかっているのにのらりくらりとかわして彼女を悲しませている自分を誤魔化すために、七海はドライヤーの風量を最大まで上げてこれ以上どちらの声も届かないようにした。そうしなければわずかに残った理性が音を立てて崩れ、これまでの我慢が台無しになるところだったからだ。すっかり髪が乾いたとき、彼女は頭をふらふらさせながら浅い眠りに引き込まれようとしていた。その轟音を一旦止めた七海は彼女へ先に寝室へ行くように言って自分の髪も乾かし始める。今日は絶対にセックスしないと神に誓っているのに、相反するように下半身は熱いままだ。今日は駄目なんだと言い聞かせるが全く言うことを聞こうとしない。更に耳元で悪魔が囁く。
――彼女を見ただろう。随分と物欲しそうにしてるじゃないか。
寝室へ行くと布団にくるまって芋虫のようになった彼女が七海の気配を感じて口を開く。
「もしかして、私に飽きちゃいましたか」
声が震えている。まもなく零時になろうという時刻で辺りは静まり返っていた。寝室の時計はデジタル式でリビングのものとは違い秒針の音さえしない。
「全く飽きてません」
彼女の悲壮な声と七海の感情の乗っていない声が虚しく寝室に響く。
「じゃあ、どうしてしてくれないんですか!」
がばりと勢いよく布団から出てきて体を起こし彼女が言う。その勢いに七海は少し驚いたが、彼女のしぼんだ目を見ていたたまれなくなりベッドに腰掛け彼女の肩を強い力で抱いてしまった。風呂上がりの清潔な香りが七海の鼻腔を抜けると思考が淫猥な色へと染まっていく。やはり触れるべきではなかったと後悔するが、もう遅い。
「あなたの負担になるかと思って――」
「私は七海さんとしたいです」
七海の言葉を遮りストレートにそう告げた彼女の目はうっすらと涙を浮かべている。こんな風に上目遣いで見つめられた時の回避方法を七海は知らない。
「そんなに悲しそうな顔をしないでください」
目を逸らしてみたものの、彼女は真っ直ぐに見つめ続けておりこのまま誤魔化すことは出来ないと七海は思った。彼女の方へ向き直ってそっと薄い肩を押すと、ゆっくりとベッドに仰向けに倒れていった。このまま彼女の望む通りにしてやりたいと思う気持ちもあったが、頭の下に腕を差し込んで覆いかぶさるように抱きしめる。風呂上がりの髪からは自分のシャンプーの香りがして、二人の親密な関係性を再確認してしまい気持ちがぐらついた。七海に優しく抱かれながらも彼女の口はへの字に曲がって今にも泣き出しそうだった。そんな彼女の唇にそっと口づけを落としてみる。嫌がる素振りを全く見せず素直にキスを受け入れた。七海はほっと胸を撫でおろす。柔らかい凹凸を確かめるように唇同士を合わせたら温かな感情で心が満たされる。そう。これだけで良かった。セックスなんていらないじゃないか。このまま今考えていることを伝えようと七海は思った。
「毎回するのは身体目当てのようで気が引けますし、私はあなたを抱いて眠るだけで満たされるのですが……」
七海がそう言って唇を食みながらロマンティックな気分に浸っていると、唐突に彼女の手が股間へと伸びた。七海は一瞬で冷や汗をかく。なぜなら彼女の手が優しく撫でたそこは、もう随分前から早く触れてくれと硬さを増すばかりだったからだ。言っている事とやっている事がまるで違う。いつの日か七海が彼女に言った言葉を思い出す。気持ちとは正反対に身体は肉欲に忠実だった。七海は眉間に皺を寄せ唇を離し彼女の瞳を覗き込む。そこは七海の身体の中心部と同じくらい情欲の色をつけて潤んでいた。
「こんなになってるのに。ダメですか。エッチしたい。いいでしょ、お願い」
彼女はそっと優しい愛撫を続ける。強い刺激を与えられているわけでは無いのに別の生き物のようにびくびくと震えて悦んでいるのを自覚してしまい、七海はたまらず小さな呻き声を漏らす。決壊しそうな感情を必死で押さえつけるが果たしていつまで持つのだろう。
そのまましっかり握ってもっと激しく上下に扱いて欲しい。先走りが出てきたらそれを彼女のふっくらとした唇へ塗りたくって口を開かせたい。そのまま突っ込んで頭を押さえつけ、喉の奥で締め付けられながら吐きだしてしまいたい。
違う。そうじゃない。瞬間的に脳内に溢れてきた淫らな妄想を封印して彼女に向き直る。
「したくない訳じゃなくて、身体だけ求めてると思われたくない。あなたの事を大切にしたいんです」
苦し紛れの言い訳だが納得してくれるだろうか。
「そんなこと思ってません! 私がしたいの。おかしいですか、女から誘うのって」
これ以上誤魔化せそうにないと七海は焦った。彼女の情熱的な瞳から目が逸らせない。密着した身体から熱気が伝わってくる。鼓動は速く皮膚はしっとりと汗ばみ頬は紅潮し、必死で七海に抱いてくれと訴えていた。こんなになってまで自分を欲していることが素直に嬉しいし愛おしい。
もう匂い立つ色香に惑わされてしまってもいいかもしれない。本当はこのままその唇に舌を入れて口腔内を犯したい。白い肌に吸い付いて朱を散らしたい。柔らかな双丘を揉みしだきその突起を舐りたい。くびれた腰を撫でまわしながら脚を開いて中心に自分自身を突き立てたい。今すぐに。それでも。
「全くおかしくありませんし、嬉しいです。愛されているのだとわかる。でも毎回そればかりじゃあなたの負担ではないかと心配なんです。いつも最後はぐったりしてるでしょう」
七海の頭の中は既に退却不可能なところまで来ていたが、なんとか取り繕って正論風の意見を述べてみる。彼女は何と言うだろう。
「……分かりました。私の事を大切にしようと思ってくれてるって知れて嬉しいです。今日はやめましょう。そのかわり、明日はいいでしょ。約束ですよ」
七海は拍子抜けした。もっと淫らに男を誘う仕草をするかと思っていた。デートが決まった時からきっと期待していただろう。二週間ぶりに会えると喜び、七海の家に行くと決まった時から胸を高鳴らせていたはずだ。風呂に入っているときも腰を浮かせていたし、今こうしてベッドに倒して唇を重ねたら悩ましい声を出した。これから始まる行為を想像し膣壁からとろとろの粘液を分泌して下着を濡らしているはずだ。七海さんに抱いてほしいんですお願いしますと言いながら泣くだろうとまで想像していたのに。ところが七海の予想に反して今日はあっさりと引き下がるらしい。恨めし気な声は出しながらも、その眼差しには決意が宿っている。そこまで考えて七海ははっとした。頭の中の彼女には自分の願望ばかりが籠められていることに気づく。本当はこんな風に彼女にもっと求められたかったのだ。完璧に愛されているのを知っていて尚、その愛を更に望んでいるという確証が欲しかった。こんなことで彼女の想いを確かめようとしていた自分が子どものようだと七海は思った。結局、彼女の方が一枚上手だったということだろう。彼の意思を尊重し、自分の思いは押し込めて引いたのだから。七海は時計を見て呟く。
「……もう日付が変わる」
「じゃあいいんだ!」
彼女は途端にその表情を明るくして七海の頬を両手で挟むとぎゅうぎゅうと押し付けた。
「……仕方ないですね」
欲望に負け、彼女に負け、七海はずっと負け通しだがそれでもいいと思った。試すようなことをせずに最初から愛していると言えばいいだけだと。
「七海さんって押しに弱い!」
彼女は嬉々として七海の首に抱き着きそのまま彼を押し倒してひっくり返すと上に乗り、好き放題に責めた。しばらく彼女の好きにさせていた七海だったが、決して射精に導くことなく快感の上縁だけをなぞり焦らし続けられたので、耐えかねて彼女を押さえつけ慣らすことも無いまま突っ込んでしまった。それをまたキャアキャア声を上げて悦ぶので腹が立つ。彼女にではない。どこまでも彼女の思惑通りになっている自分が情けないのだ。もうずっと翻弄されている。やはりどうあがいても勝てない。惚れたら負け。されるがままだ。でも、それでいいかと七海は思った。そこには確実な愛があるから何も問題はない。
結局その日は流されて三回もやってしまった。七海は激しく後悔した。口先だけの男だと思われただろうか。性欲に屈して流されてしまう理性が足りない奴だと思われただろうか。いや、彼女はそんなことを思うはずがない。我が物顔で七海の家のパジャマを着て、ベッドを占領し、満足そうに微笑みながら安らかな寝息を立てている。そんな小さなことに拘らず、彼を全部丸ごと愛しているのだ。
翌朝、すっきりと目が覚めた彼女は一人で七海の家の洗面台を使い、勝手にコーヒーを淹れトーストを焼いた。一人で暮らすにはやや広めなキッチンだと思いながら、どこかのブランドの食器を取り出す。ペアのものはなく、ばらばらに様々な形が取りそろえられている。自炊すると言っていたのでテーブルウェアにもこだわりがあるのだろう。
リビングから聞こえる自分ではない生活音で目を覚ました七海はのそのそと起きると半開きの目を擦って洗面所へと向かう。少し気だるいが気分は晴れやかだ。何時に寝たのかは覚えていない。現在午前九時を回っておりいつもより随分朝寝坊だった。
「眼鏡を知りませんか」
洗面台から出てきた七海は彼女に尋ねた。
「ベッドじゃないですか。私触ってないです。それより、おはようって言ってない」
「おはようございます」
彼女に促され朝の挨拶をするとまた七海はよろよろと寝室へと戻った。しばらく辺りを探し回ったが、結局眼鏡ケースに入ったままリビングのテーブルに置かれていた。彼女は七海の分のトーストも焼き始め、勝手知ったる様子で冷蔵庫からソーセージと卵を取り出して朝食を用意した。彼女より早起きして朝食を用意してやるという計画は早くも崩れ去ったが、七海はそんなものは最初から存在しなかったかのようにテーブルでタブレット端末を開いた。いまやさして興味もないが経済新聞を読んでみる。原油価格がどんどん上がってきているらしい。株価にも影響があるだろう。これでは早起きできなくても仕方がない。昨夜は結局三回もセックスをしたし原油も高いのだから。寝起きだからだろうか。少しばかり思考が混濁している。七海は液晶画面を見るのが辛いと思い、タブレット端末を閉じて彼女の方を見てみた。まるで自分の家のように七海のキッチンで何やら作っている。手伝うと声をかけると、もうできたと言った。朝食を作り終えた彼女がレストランのスタッフのように腕に皿を乗せてテーブルまで運んできた。大学の時のバイトで身に着けた技らしく、たまにこうして披露される。その皿を受け取ってやると嬉しそうに笑った。コーヒーポットとマグカップも一気に持とうとするので手伝ってやる。短く礼を言いながら彼女がぶかぶかのパジャマのまま席に着く。彼シャツ萌え袖で最高に可愛いと七海は思った。
朝食を終えソファに並んでいると七海が蚊の鳴くような声で言い訳を始める。
「もっと精神的な繋がりを大切にしたいんです」
聞き取り辛かったので彼女は聞きなおしたが、同じような事をもう一度言っただけだった。それから溜息を吐いて項垂れた。また独りで何かよからぬことを悶々と考えドツボに嵌まっているのだろうと彼女は思った。そっと七海の手に温かい小さな手が重ねられる。七海の手とはまるで違う細くて白い指、桃色の薄い爪。
「七海さんの事が世界で一番好きです。ずっと七海さんだけなのに……」
彼女はそう言いながら七海の手を撫でた。心地よい刺激に目を閉じた。七海がこの世界を離れている間に彼女は一人ぼっちで孤独と共に生きて、この手が何かを捨てたり、切ったり、突き放してきたのだろうと思うと胸が痛い。その時に側にいてやりたかった。それは今だから言えることだとはわかっている。当時は自分の道を模索することで精一杯だったのだから仕方がないとはいえ、頭の中はうす暗い思考で占拠されていく。
「もっと頼って欲しい。辛い事や悲しい事があったとき、あなたの側にいたい」
悲壮感を出しながら呟く七海を見て彼女は目を丸くして答える。
「今はそんなこと何も無いから、楽しい時間を共有したいって思ってますよ」
まったく何を考えているのだこの男は……、と顔に書いてあるようだった。結局すべては七海の独り相撲なのである。自分の中で捏ね回して勝手に決めつけてしまうから明後日の方向を向いているのに気づかないのだろう。まあ色々御託を並べはしたが七海の考えていることははっきり言うとこうだ。
「正直に言いましょう。毎回セックスするのはどうなのだろうと悩んでいます」
「……良いか悪いかってことですか?」
彼女は想像の外からやってきた謎の発想に驚きしばらく答えられなかったものの、なんとか返事をする。先ほどと同じく、こいつは何を言っているんだと顔に書いてあるようだ。
「良し悪しではなく、これは標準的な事なんでしょうか。やはり私たちは身体だけの関係なのではと――」
「わかりました。やめます。でも私は心も身体も満たされて幸せな気持ちでした。絶対にカラダだけじゃありません。信じてください」
力強い言葉に七海は涙を流しそうになったが手を握りしめて何とか耐えた。こんなことで悩んでいたのは七海だけだったらしい。彼女には微塵もそんな思いは無く満ち足りていたそうだ。だったらそのままでよかった。何も悩むことなどなかったのに。
「非常に面倒な奴になってますよね、今の私は……」
七海は自嘲気味に言うと大きなため息を吐いた。
「そんなことないです! いつも気持ちよくしてくれて満たされちゃうから、私ばっかり求めちゃって……。負担になってたなんて気づかなかったんです」
「違う。私が不安だったんです。あなたから謝らせてしまった。すみません」
七海の手に重ねられた小さな手に力が入る。
「いいんです。これで謝り合うの終わりにしましょう。夜は結局しちゃったけど、この次は絶対にしません!」
私我慢できますから、と力強く頷いた。
「一つだけ我が儘を言っていいですか」
「もちろん! 何でもどうぞ」
「……名前で呼んで欲しい」
七海は俯きながら照れくさそうに言った。珍しくその頬は紅く染まっている。
「建人大好き。ずっと一緒にいてください」
彼女は迷うことなく満面の笑みで七海に抱き着くとそのまま膝に乗ってキスをした。
「……そこは恥じらうところでは」
「全部七海さんの思い通りになると思ったら大間違いですから!」
彼女は笑いながら言う。思い通りになっているのは七海の方だ。完敗である。この際なので欲望にも負けて彼女をソファに押し倒すと、性急に服を剥ぎ取りふっくらした唇を貪って柔らかな乳房をゆるゆると揉んだ。次は絶対にしないと宣言していた彼女だったが、七海のパジャマのボタンをはずして厚い胸板に手を這わせる。七海は彼女の首筋と鎖骨に舌を這わせていたが、耳元で彼女が熱い吐息を漏らしながら口づけをねだるものだから、再びその柔らかな唇に愛をこめてキスをした。すると「恋人同士でしないなんておかしいんですよ」と微笑みながら彼女が言ったので、七海は「その通りだ」と答え二人は朝からまた愛の確認作業を始めることにした。