七海さんちは四姉妹 ―長女の葛藤―

第21話

 七海家の長女を知る者に彼女のことを聞いたら、誰もがしっかりしていると言うだろう。なんせ妹が三人もいるし、両親は共働きで忙しい。産まれた瞬間から一番上の子をやってきた。誰かから年長者として振舞うよう強要されたことは無いが、どうしても四姉妹のまとめ役になることが多い。長女は今、人生の岐路に立っている。そんな時に自分の十数年の人生を振り返って思う。両親を助け妹たちの支えになってきた自分にしか無いものとは何だろう。次女のように怖いもの知らずではない。三女のような集中力も無ければ、四女のような立ち回りの上手さもない。しかし俯瞰的にものごとを見ることはできるし奉仕の精神は人一倍ある。誰かに何かを与えることが喜びである、そんな人物だった。

 ある日の夜。珍しく今日のリビングは静かだ。いつも賑やかな次女は風呂に入っていて、妻はパソコンに向かって難しい顔をしている。三女は学校で借りてきた本を読み、四女は宿題をしていた。各々が自由時間を満喫している。夕食の片づけを終えた七海が書斎に入ってすぐ、小さなノックの音が聞こえた。間隔をたっぷりとって控えめに三回鳴らされたそれを聞いて七海は誰だかわかった。どうぞと返事をすると、音もなく扉が開く。隙間から見えた顔は七海の予想通りだった。

「お父さん。話がある」

 改まった様子で長女は言う。

「……飲み物をとってきましょう」

 何か相談があるのだろうと七海は思い、ドアを内側から更に開けた。

「もう持ってきた。お父さんのもある」

すでにパジャマに着替えている長女がトレーを持って立っていた。そこにはマグカップが二つとクッキーが数枚入った皿が乗っている。腰を据えて話すつもりらしいとわかった七海は、長女を書斎へと招き入れた。

 長女が大きなマグカップを七海へと手渡す。そこには熱いコーヒーがたっぷり入っており、ふわふわと湯気が立ちのぼっている。長女はカフェインレスだと言ってカフェオレを机の上に置いた。ここのところ摂取カロリーを気にしているので甘味はきっと入っていないのだろうと七海は思った。扉を閉めると室内が少し薄暗くなったので七海は照明のトーンを調整し、端に寄せていた肘掛けのついた椅子を持ってきて長女に座るよう促す。しばらく黙っていた長女はカフェオレを一口飲みマグカップを置くと、七海の眼を真っ直ぐに見据えて口を開く。

「私、医学部に行きたい」

 長女は誰かに何かを言われずとも自ら黙々と勉強をするタイプで成績は常に上位だ。努力する才能があると七海は思っている。ここのところテスト前のみならず真面目に宿題にも自習にも取り組んでいると思ったが、こんな目標があったとは。

「今の成績ならきっと行けると思います」

七海の答えを聞いて静かに頷いた長女は更に言う。

「硝子ちゃんみたいなお医者さんになりたい」

 また一口カフェオレを飲んだ。緊張を和らげようとしているようだ。

「家入さんは少し特殊ですが……」
「わかってる。だから、呪術高専に行こうと思う」

 七海が言い終わる前に長女が言った。わかってる、に続く言葉を予想していなかったわけでは無い。それでも長女の口から直接発せられたそれは、七海の表情を曇らせるには十分だった。長女もまた七海の反応についてはある程度予測していた。お互いに想像通りだ。

「遠回りになるのでは。先ほども言ったように、家入さんはかなり特殊な存在ですよ」
「まずは力をうまく扱えるようになりたい」
「反転術式はやろうと思って簡単にできるものでは無いんです。お母さんにも聞いてみたらわかる」

 豊富な呪力を持って産まれた長女は幼い頃からコントロールが上手かった。基本的な事は両親から教わりはしたが、その正確性は生来のものである。落ち着いた性格もその助けになっているだろう。今でも十分にうまく扱えていると思うが、さらに上を望んでいるのかもしれない。七海は子どもたちの考えを否定しないよう注意してきた。本人たちの自主性を伸ばし、自ら行動できるようになって欲しいからだ。それでも長女の申し出については易々と賛成できず、行ってもいいとも行くなとも言えずに戸惑った。

「じゃあ私はどうしたらいいの? どうしてこの力を持って産まれたんだろう」

 いつになくはっきりしない父の態度を見て長女は少々不満そうにした。目を細め眉を顰めるその様は父親と全く同じなのだが、長女はそれを知らない。長女には自分が今どんな感情を抱いているかわかっていた。だからカフェオレをさらに一口飲んで気を紛らわせようとした。

「望んだわけではないのに、それについては申し訳なく思います。でも呪力操作は教えたはず」

 七海の答えを聞いた長女は、落ち着けと自らに言い聞かせて目を閉じる。深呼吸をすると次第に心が穏やかになっていくのがわかる。こうやっていつもコントロールしてきた。押し殺しているのではない。飼いならしているのだと心の中で繰り返す。

「そうじゃない。遺伝ってことはわかってる。持って産まれたモノを活用したいだけ」
「呪術師になりたいわけでは無い、と」
「そう。この力を攻撃に使うんじゃなくて、人のためになることに使いたい」

 真剣な表情で父に訴えかける娘はすでに呪いを祓う方法を知っている。しかしそれを仕事にすることはもちろん、治療や再生に使うことなど一朝一夕で簡単にできることではない。力を持っているだけではいけない。正しく使うことが大切なのだ。呪いを祓うのではなくもっと別の方法で使いたい。そう考えた時に浮かんだのは家入硝子だった。彼女のように呪力を扱うことができたら。それで人を助けることができたら。他の人には視えないモノが視えるように産まれたのは意味があるのだと長女は思っている。

「言いたいことはわかりました。明日にでも一緒にお母さんにも相談しましょう」

 七海は長女が淹れてくれたカフェインレスコーヒーをごくりと飲み込む。ほろ苦いがすっきりした後味だ。近頃のデカフェは味がいい。美味しさを求める誰かが日々技術の改良をしているのだろう。呪術界も七海たちが学生の頃に比べると随分変わった。かつての学生たちは実習と称して任務へと駆り出され労働力とされていたが今は違う。信頼と信用はできるが尊敬できないおかしな先輩が少しずつ変えてくれたおかげで、今の学生の人権は一般の高校生と同じく守られている。若者たちが命を失うようなことは今や滅多に無く、かけがえのない青春を奪われることも無くなった。

「二人の仕事が危ないってわかってる。そこに私を入れたくないんだよね」

 長女がおずおずと上目遣いで七海を見ながら言う。長女の言う通りだ。しかし物分かりが良すぎる長女を七海は少し心配した。この子は自分の内面にきちんと向き合えているのだろうか。父の気持ちを推し量りすぎて自分の気持ちを抑え付けていないだろうか、と。

「……そうです。反対しているわけでは無い」
「お父さん、ありがとう」

 にこやかに微笑むと長女は半分ほど残ったカフェオレを持って立ちあがる。それからおやすみの挨拶をして七海の書斎を出た。時間にしてはほんの十分程度だったが七海はとても長く感じた。まだマグカップにはたくさんのコーヒーが残っていた。もう一口飲んでみる。やはりデカフェは何も加工を施していないものよりかは味が落ちるのは事実だ。しかし日本ではなじみは薄いものの、海外でのシェアは三割を超えるところもあるらしい。これを必要とする人もいるし、今日のように必要とする時がある。長女の覚悟を知り応援してやりたい気持ちの方が強いが、呪術高専へ進学して危険な目に合うかもしれないという心配もある。その折り合いをつけることができず、いいとも悪いとも言えないまま答えを先延ばしにしてしまったことを長女は何と思っているだろうか。そんなことを思いながら七海は再びマグカップを口に運ぶ。これはこれで悪くない。

 七海が寝室へ入ると妻はまだ起きていた。ベッドに横になってはいたが読書灯を付けて文庫本を読んでいるようだ。妻は長女と七海の間に何があったのか察したようで「どうだった」と聞いた。七海は長女との会話を思い出しながらかいつまんで妻に話す。ふむむふと話を聞きながら頷く妻を見て、七海は先ほどの書斎の空気を思い出した。少し日焼けした紙の匂いと、コーヒーの香ばしいアロマ。結局手を付けるタイミングのなかったクッキーのほんのり甘い香り。

「あの子は物分かりが良すぎる。もう少しわがままを言っていいのではないかと思った」
「一番お父さん想いだからね。お父さんを傷つけちゃったって思ったんじゃないかな」

 ようやく自分の思いを告げた七海に妻は微笑み、そっと手を組んだ。七海の骨ばった大きな手に妻のしっとりとした手が重なる。寝る前のハンドケアはもう終えたようだ。いつもと同じその温もりに安堵を覚えると共に、いつか必ず来るであろう、死が二人を分かつ日を想像した。普段は特別考えることなど無いのに今夜は違う。この業界にいる以上一般人よりもはるかに身近にある死を考えずにはいられない。

「呪術師になるなどと言い出したらどうしようと思ってしまったことは認めます。顔に出ていたかもしれない」

 七海は苦笑した。思慮深い長女の気遣いを感じ、妻の深切に触れ自分の狭量さが浮き彫りになったような気がしたからだ。そんな七海の反応を見て、妻は組んだ手を解き彼の手を愛情込めて撫でた。まるでそんなことはないと言われているような気がして七海は心の底からほっとした。今度は七海が妻の手を包み込むように取ってそっと口付ける。カモミールが仄かに香った。

「お姉ちゃんとしてしっかりしすぎてるもんね。でも私には結構好き勝手言ってるけどなあ」

 何かを思い出しながら妻は笑った。確かに妻には少々厳しい目を向けているような気がする。お母さん靴を揃えて。お母さんドライヤー出しっぱなし。お母さんお弁当忘れてるよ。お母さん電話に出てよ。そんな毎日のやり取りを思い出し七海も笑った。

「我慢させてきたつもりは無いですが、そうせざるを得ないときがあったことは事実です」

 四姉妹の長女として十分すぎる程しっかりした長女はそれを辛いと感じたことは無いのだろうか。まだ幼いころから妹たちの手を取り守ってきた長女を想う。姉妹で喧嘩をすることはあれど、いつも折れて妹たちに譲ってやっていた。言われなくても自分のことは自分でできていたし、妹たちの面倒も見ていた。それに甘えすぎていたのかもしれないと七海は心苦しく思った。お父さんできたよ見て。お父さん聞いて今日ね。お父さんこっちへ来て。お父さんいつもありがとう。お父さん大好き。彼女は長女として十分すぎる。そんな長女を満たしてやることができていたのだろうか。明日は二人で長女と向き合う時間を十分にとる約束をして電気を消した。

 そのころ長女は夢を見ていた。幼い頃の夢だった。自分は赤ちゃんで妹たちはまだいない。母の腕の中で目が覚め、自分にだけ向けられる笑顔を独り占めしている。手を伸ばすと母の手に触れ、人差し指を握ると母が笑って頬ずりをした。目線が少し高くなったと思ったら今度は父に抱かれていた。安心感のある広い胸の中で自分は眠っていて、父に話しかけられていた。

「なんて可愛いんでしょう」
「お父さんが絶対に守ってあげますからね」
「君の幸せを心から願っています」
「世界で一番愛してる」

 満面の笑みで語り掛ける父を眩しく思った。それから場面が変わって、赤ちゃんを覗き込む父と母と自分がいた。キャアキャア声を上げて笑う赤子を撫でてやると両親は自分を撫でた。

 今度は赤ちゃんを抱っこする父とヨチヨチ歩きの女の子と手を繋いでいた。父は自分を誇らしいと言い、大きな手で頭を撫でた。母はにこにこしながらその様子を見ていた。

 そして二人の女の子と砂遊びをする自分を、赤ちゃんを抱いた父が見守っていた。太陽を背にして微笑みながら自分たちを見つめる父の影に入り、二人の女の子と母に泥団子をいくつも作ってやった。母は美味しいお団子だと言って食べるまねをした。

 次に気が付いた時、いつもの自分のベッドだった。両親の世界一は自分だけではない。なんせ子どもが四人もいる。でもそれは長女も同じだった。長女の世界一も一人ではない。父と母と三人の妹たちがいるのだ。

 結局長女は呪術高専へと行くこと無く、有名な進学校へ入学した。地元中学校ではトップの成績でも進学校では真ん中くらいになり、長女は自分が井の中の蛙であったことを悟った。学力だけを見ると決して凡人などでは無いのだが、上位進学校は勉強に対して非凡な才能を有する者が多い。そんな世界に足を踏み入れ、自分の周りに多くの道が広がっていることに気付く。

 歩みを止めてはいけない。振り返るな。前だけを見ろ。人には視えぬモノが視える特性を武器として戦え。

 長女は自分を鼓舞するとき、いつも家族の存在を感じていた。それは彼女が温かな家庭で愛情をもって育てられたからだ。自分は一人ではない。守る者もあるし守ってくれる者もあるという確固たる事実を背に、長女は今日も歩き続けるのだ。