久しぶりに夫婦二人とも土日が休みとなり、子どもたちは大喜びした。先日保育園で遠足があり、各々がとても楽しかったようで家族でまた同じ公園へ行きたいのだと言う。別のところへ行ってはどうかと七海は子どもたちに提案したが、大きな船の遊具と公園の端から端まである(と長女が言った)ローラーすべり台をかっこよく滑るところをみんなに見て欲しいのだそうだ。そういえばそんな気持ちが自分にもあったと七海は幼い日のことを思い出す。楽しかった場所へ両親と一緒に行きたいとねだった記憶が蘇ってくる。きっと我が子もそうなのだと微笑ましく思い、明日はみんなでおふね公園(次女命名)でピクニックをすることが決まった。
そうと決まればやることはたくさんあると七海は子どもたちに説明した。まずは風呂。それから歯磨きの後トイレに行き、絵本は一冊だけにして早く寝ること。伝家の宝刀「一等賞は誰ですか」を使うと、子どもたちは我先にと風呂場で服を脱ぎ始めた。お父さんも早く来てと急かすので五人まとめて入浴する。楽しそうにお風呂で水遊びをする子どもと夫の声を聞きながら妻は明日の準備を始めた。お弁当に水筒、それから汚れた時の為に人数分の着替えがいる。おやつはパントリーの奥にビスケットとチョコレートが隠してあるのでそれを小分けにして配ろうと考え、クマのイラストが描かれた可愛らしいチャック付きの袋に入れていく。子どもたちは喜ぶだろうかと考え、妻は自然に頬が緩んだ。明日はきっと楽しい一日になるだろう。
風呂から上がった五人は今年に入って一番早く歯磨きを終えた。絵本をどれにするかみんなで相談した結果、一番のお気に入りを持ってきた。とある森にあるカラスのパン屋の物語だ。たくさんのパンが出てくるページが特に好きで、あまりに何度も読むのでそのページはもうボロボロになっている。それでもこの本がいいと言ってニコニコしながら手にしているその姿のなんと愛おしいことだろう。七海は四女を胡坐の中央に、左の大腿には次女と三女を座らせ、右の大腿に長女を乗せて本を読み始めた。四人は何度も合いの手を入れながら絵本を大いに楽しんだ。
「お弁当のおかず何がいいか決まってる人ー?」
寝る前に妻が子どもたちへリクエストを聞いた。七海はその様子をキッチンで鍋を洗いながら眺めていた。それぞれに好物があり結局弁当のおかずは毎度同じような中身になるのだが、こうやって聞いてやると子どもたちは喜ぶのだ。
「ソーセージ! うめぼしおにぎり! みかん!」
「たまごやき! ぶどう! いちご!」
次女と三女が手を上げて好きなものを言った。それを見た長女は腕を組んで頷きながら聞き、次にふるふると左右に首を振る。そして人差し指をぴんと立てて腰に手を当て、妹たちに言い聞かせる。
「リクエストは、ひとりひとつまでです!」
「じゃあポテト!」
「ウサギのりんご!」
「おべんと、おべんと!」
先ほどのリクエスト内容とは違うが、次女はポテト、三女はウサギのりんごに決めた。長女はそれをノートに書いて、自分の分は最近書けるようになったカタカナを使ってハムエッグと大きく記す。四女はお弁当があるだけで嬉しいらしく、特にリクエストは無いようだ。ニコニコしながらピョンピョン跳ねて長女に抱き着いた。それから両親におやすみなさいを告げ、四人は走って寝室へと入っていく。今日は姉妹だけで寝ると言ってトントンも抱っこもいらないのだそうだ。和室いっぱいに広げられた敷布団の上に飛び乗りキャッキャとはしゃぐ声が聞こえる。しかし長女が「はやくねんねしないと あしたちこくするよ!」と言うと、いつもならしばらくはやかましくしているのに今日は途端に静まり返った。よほど楽しみにしているらしいと七海と妻は顔を見合わせ幸せそうに笑った。二人も明日のピクニックが楽しみだ。
明日の荷物の準備を終えた妻が静かなリビングで一人窓の外を眺めていると、歯磨きを終えた七海がやってきた。そっと腰を抱き妻の頬に口付ける。
「私が寝たあと何をしているのか知りませんが、最近夜更かししすぎでは」
「あれ。バレてる」
七海の言う通り、ここ最近妻は深夜までリビングで過ごしていた。七海が寝かしつけをした日は子どもたちと共に寝てしまうので何をやっているのかは知らない。妻が寝かしつけをした日など、わざわざ起きてくるのだ。目の下にできた隈を七海がじっと見つめていると、妻はふいっと顔を背けて唇を尖らせ言う。
「実はマフラー編んでるの。もうすぐ誕生日でしょ」
「……夏産まれなんですが」
妻の答えを聞いて七海は苦笑いをする。何か知られたくない都合の悪いことを隠しているように思えたからだ。そんな七海を見て妻はケラケラ笑った。
「冗談だって! 期待しちゃった?」
「期待しました。残念だ」
「夏でもマフラーしてくれるの?」
「私の為に用意してくれたものなら何だって嬉しい」
秘密の夜更かしを咎められるわけでは無いとわかった妻は、そっと七海に身体を預けた。こてんと首をかしげて頼りがいのある厚い胸にもたれかかると確かな体温を感じる。一緒に暮らし始めて何年経っただろう。いつの間にか子どもは四人に増え毎日が目まぐるしく過ぎていく。二人だけで生活していた時の平穏さや静けさを今はもうほとんど思い出せない。時計を見ることなく夜明けまで重なり合い、昼前まで眠って適当なブランチを取っていたあの頃とは違うのだ。毎日毎日来る日も来る日も家事に育児に仕事に、朝から晩までずっと何かに追われ続けている。何度片付けても床にはおもちゃが転がっているし、一日に洗濯機を最低でも二回はまわす。何もかも自分の好きなようにしていたころとは違い、何もかもが思い通りにならない。静かな時間は子どもたちが寝静まった後だけだ。
「ほんとはね、一人でぼーっとしたいだけ」
妻は目を閉じたまま言った。七海には妻の気持ちが痛いほどわかる。七海もまた、静かな場所で一人になりたいと何度も思った。子育て中の誰もが考えていることだろう。それでもこの不毛な夜更かしをこれ以上続けさせるわけにはいかない。疲労が明らかに見て取れる妻の身体が心配だからだ。一人の時間が欲しいのならば後日有休を使って休めばいい。なんとかして早く休ませようと考えた七海は、いつもの妻のやり方を真似てみることにした。きっと妻ならこう言うはずだ。
「君が居ない寝室は寂しい」
妻は閉じていた眼を開けたと思うとパチパチ瞬かせ七海を見上げた。どうやら効いているようだ。
「本当に?」
「本当です。一緒に寝ましょう」
口の端を上げて含み笑いをする妻は七海の意図をわかっているのだろう。ひとしきりにやにやと笑ったあと、妻は七海に抱き着いてぎゅうぎゅうと腕の力を強めて顔を胸元に押し付け、七海の匂いを堪能した。穏やかで落ち着く匂いだ。それから取って付けたような上目遣いで七海を見ると、目を細めて嬉しそうに笑った。
「建人にうまくのせられちゃった」
「たまにはのせられてください」
「いつも私に付き合ってくれてるもんね」
「君には勝てませんから」
ずっと変わらずある七海の温かい心を感じて妻は小さな感嘆のため息を吐いた。それから七海の手を取り寝室へと引っ張っていく。子どもたちは布団の上で重なり合いながら眠りについている。次女だけが転がり過ぎて畳に落ちていたので七海はそっと抱きかかえて布団の上に戻した。妻は子どもたちに薄手のタオルケットをかけ、全員の寝息を確認した。起こさないように静かに襖を閉じると、七海と妻は子どもたちをはさむようにして横になった。目を閉じると二人はすぐに寝てしまった。
翌朝七海の目覚ましが六時に鳴ると、同時に妻も起きてきた。子どもたちはまだよく寝ているが、遮光カーテンの隙間から朝陽が差し込み始めたのでじきに起きてくるだろう。二人はキッチンに立つとテキパキと調理し、ファミリーサイズの弁当箱に次々と料理を詰めていく。リクエストのおかずをたっぷり入れて、様々な具材が入った小さなおにぎりを山ほど作った。水筒にお茶を入れはじめたところで襖が開いて子どもたちがのっそりと起き出した。
「きょうはピクニックのひ!」
「なにつくってるの?」
卵焼きのいい匂いにつられたのか、全員がキッチンに集まるものだからぎゅうぎゅう詰めだ。まずは洗面所で顔を洗って口をゆすがせ、トイレに行かせておむつを替える。食パンにハムとチーズを挟んだ簡単なサンドイッチを全員に配りお茶を入れ、興奮状態の子どもたちをなだめすかし朝食を取らせた。いつもより随分早く食べ終わり各々が自ら着替え始める。普段からこうであればいいのに、と七海と妻は顔を見合わせて苦笑した。
全員の支度が終わり先月買い替えたばかりのミニバンに次々と荷物を載せる。子どもたちはそそくさとそれぞれのチャイルドシートに乗って待機した。まだかまだかと急かされながら弁当、レジャーシート、テントを積み、いざ、おふね公園へ出発だ。
公園についたのは九時過ぎでまだ園内の人はそれほど多くない。空は雲一つない快晴でまさしく公園日和だ。近所ではあまり見かけない大型の遊具に子どもたちはおおはしゃぎ。さっそく駆け出していくので七海は慌てて追いかけた。三女と四女はまだ見守りが必要だ。姉二人についてロープを登ろうとするがうまくできずに父を呼ぶ。七海が脇を抱えてロープを持たせてやると、さも自分の力で上っているかのような得意げな顔をして遊具の上へと立った。できたできたと嬉しそうに笑い、おいでおいでと手招きしている。楽しい遊びを共有したいという気持ちに答え七海も遊具をよじ登る。危なっかしい下の子二人を見守りながら上を見上げると、長女と次女はネットが張られたトンネルの中を我先にと進んでいた。
「競争じゃないよー。一人ずつやってねー」
妻が簡易的なポップアップテントを組み立てながら上の子二人に声をかけた。元気よく返事が返ってきて頂上へとたどり着き、父と母と妹二人へ手を振っている。この先には長い長いローラーすべり台がある。一番下まで滑り降りることができ、その先は砂場になっている。以前同じような遊具で遊んだことがある七海はとある事を思い出していた。このすべり台を滑った後、大人は尻の皮がむけるほど痛い。次回は尻の下に敷くダンボールやスライダーなどを用意しようと思っていたのにすっかり忘れていた。三女と四女はキラキラした目でローラーすべり台を目指している。この感じ、間違いなく一緒に滑らなくてはならない。それも一度や二度ではすまないだろう。まだ滑ってもいないのに、七海は自らの尻を撫でた。ちらりと妻を見ると、何かに気付いたのか手を口元に当ててはっとした表情を作った。荷物の中を漁ってみるが何もない。慌てて公園内の売店まで行くとボールやバトミントンと一緒にヒップスライダーが並べられており、妻は三枚買って急いで戻った。
「おしりがすっごくいたい!」
「ふたつにわれそうにいたい!」
「もうおしりはふたつだよ!」
すでに長女と次女は滑った後で、砂場の端の方でキャアキャアと歓声を上げながら楽しんでいた。今度はボルダリングの方からのぼるから絶対に見ていてほしいと父と母に告げ、連れだって走っていく。
一方、三女と四女は七海に手助けをしてもらいながらなんとか遊具中段にある小さい子用のローラーすべり台まで登っていた。妻が下からスライダーを手渡すと三女は一人で滑ると言うので妻は下で待機した。恐る恐る滑り出す三女を受け止め「上手にすべったね」と褒めてやる。妻に抱き着き「もういっかい!」と言ってニコニコ笑いながら階段の方へと向かっていった。やはりこの様子では一回ではすまないだろうと妻は微笑ましく見守った。次は七海と四女の番だ。はやくはやくと父を急かし二人はスライダーの上に乗っていよいよ滑り出す。ノロノロと出発したかと思うと、中盤で少しスピードが出始め、最後は勢いよく砂場の上。七海にしっかり抱きしめられていた四女は大喜びだ。
「たのしいねえ! はやいねえ!」
「うぅ……、敷いているのに尻に激痛が……」
七海は交代して欲しいと妻に視線を送ってみる。するとわざとらしくウインクしたと思えば「がんばれお父さん!」とサムズアップして七海を再びすべり台へと送り出した。二人のやり取りなど露知らず、四女は七海の手を引っ張りさっそく二回目に挑戦するらしい。それから子どもたちは飽きることなく何度もすべり、その度に七海は付き合ってやった。全体重が臀部にかかり、コロコロ回るローラーに何度も刺激され七海の尻は限界だった。顔をしかめながら尻を擦る姿を見て妻は再度、頑張れと心の中でエールを送る。ようやく飽きてブランコへ行った隙に七海はテントへと戻った。しばらくまともに座れそうにない。
公園中の遊具を楽しみ、ネコジャラシを集め、シロツメクサで花冠を作った。お弁当を食べて池のほとりを散策したあとは水辺に集まる生き物を観察する。園内にある小さな博物館に入ると虫の標本や水槽がいくつかあって、子どもたちはそれらを興味深く眺めた。四女は疲れ果てて七海の腕の中で眠っている。三女もウトウトしはじめた。時刻は午後三時。そろそろおやつの時間だとベンチに腰掛け、みんなでおやつを食べた。
それから芝生広場でフリスビーとボール投げをしていると夕方の鐘が鳴る。まだまだ遊びたいと駄々をこねる子どもたちを説得し車に乗せた。しばらく走っているとスウスウと穏やかな寝息が聞こえてきたと思ったら、子どもたち全員が眠ってしまった。これから公園からほど近いハンバーグレストランに行くつもりにしていたが、自宅付近のいつも行く回転寿司でもいいだろうと七海は思った。そんなことを考えていると妻がなにやら感慨深そうに口を開く。
「いつまでみんなでお出かけできるかな」
「その心配はまだ早いんじゃないですか」
「でもいつかみんな出て行っちゃうんだよね」
そのいつかは、いつくるのだろう。七海と妻は中学校卒業後に寮生活を開始したので家を出たのは早かった。親になった今ならわかる。両親はさぞかし心配したはずだ。子どもたちには呪いなどからほど遠い世界で健やかに育っていってほしいのに、全員が呪いを視認し呪力も溢れんばかりに潤沢だ。呪術師になると言い出す日が来るかもしれない。または、結婚、だとか。そこまで考えて七海はブンブンと首を振った。
「考えたくもない」
「建人だって一緒でしょ。お父さん、結婚式の後で泣いてたってお母さん言ってたし」
「……複雑な気持ちです」
酒を酌み交わした仲ではあるが、裏では涙していたという妻の父を想って七海は胸が締め付けられるように痛んだ。娘を嫁に出す気持ちが同じ立場になってようやくわかる。後部座席でぽかんと口を開けて眠る子どもたちをバックミラーでちらりと見てみる。あどけない表情だ。でもいつか、子どもたちも成長して自立していき、恋人なんかもできるのだろう。そうなったとき、どうしたらいいんだと対策を考えようとしたところで七海は再び首を振る。まだ早い。まだみんな、あんなに小さいではないか。頭をリセットしようとした時、妻がからかうような声を出して言う。
「お父さんに紹介したい人がいるの」
プププと吹き出し笑いをしながら七海の反応を窺っている。妻のこういうところはあまり感心しない。七海は大きなため息を吐いた。
「……やめてください。心臓に悪い」
妻はついに声を出して笑った。本当に、妻のこういうところはどうかと思う。七海は眉間にぐっと皺をよせ青信号を確認してアクセルを踏み込む。今日は楽しかったが疲れもした。明日は日曜日でまた休日だ。明日は何をして過ごそうかと考えることで、妻の言った言葉を頭から追い出した。