大量たまねぎの処理方法

第5話

『任務の帰りに依頼主のおばあちゃんからたまねぎをたくさん頂いてしまって困ってます。七海さんいくつか貰ってくれませんか?』

 連勤に次ぐ連勤で疲労困憊の七海がシャワーから出てふとスマートフォンを眺めたら、愛しい彼女からメッセージが届いていた。グスンと涙を流している可愛らしいウサギのスタンプと共に、ダンボールいっぱいに詰め込まれたたまねぎの画像が添付されている。関西方面への出張があるとは聞いていたが詳しい場所まで知らなかった七海は、その画像を見てどこへ行っていたのかすぐにわかった。あのあたりの海は穏やからしいと聞く。一度は行ってみたいと思っているが、関東に住んでいるとなかなか行く機会に恵まれない。収穫シーズンの今しか採れない新たまねぎは、大玉でつやつやと輝きみずみずしそうだ。悩むことなく即座に五つほど欲しいと返事をしたところ、すぐに彼女からも返事があった。

『良かった! いつごろ会えそうですか?』

 返信を見て、瞬間的に七海の頬は緩んだ。たまねぎの受け渡し日を決めるだけのやりとりなのに、まるでデートの約束をするような返事に勘違いしてしまいそうになる。七海はこの恋に相当浮かされていると自覚して、あまりの自分らしく無さに自嘲した。愛だの恋だのとは距離を置こうと決めていたはずだったのに、それでもなお、彼女の一挙手一投足を愛おしく思ってしまう気持ちが止められない。もうこのまま突き進んでなるようになるしかないだろうと決意し、独り小さく頷いた。あまり異性として認識されていない感じはするものの、こうして繋がりを持てている今がチャンスだ。 あの大玉サイズではかなりの重量があるだろう。それを五玉も運ぶとなると、彼女の負担になりかねない。それに新たまねぎは足が早い。早急にうけとり、調理する必要がある。高専で彼女と顔を合わせられるのはここ二週間以内には無く、これはもう直接取りに行ったほうがいいに違いない。だから今から七海が提案する受け取り方法は合理性を求めた結果なのだ。決して下心なんかがあるわけじゃない。

『重いので取りにうかがいます。明日の予定は?』

 送信をタップしたあと、ギュッと胸が締め付けられるような思いがした。柄にもなく緊張しているらしい。すぐに既読になったので、送ったメッセージは既に彼女の目に入っているようだ。返信が来るまで気が気でない。

『お昼までだったら空いてます!』

 彼女の返信を見て、七海はほっと胸を撫でおろす。良かった。了承の返事をもらうことができた。不純な思いなどはもちろん無いにしても、断られたらしばらく落ち込んでいたに違いない。そうと決まれば話は早い。なんでも彼女は、昼からの任務が一件入っているのみらしい。それも近場ですぐ終わりそうなのだという。昼まで時間があるというメッセージから察するに、朝たまねぎを渡してそのまま任務に行くつもりらしいと予想された。しかし昼からも時間があるようだ。それならば任務が終わったあと、たまねぎついでに食事に誘ってみてもいい。先日エスニック料理を食べに行こうと約束したけれど、お互い仕事に忙殺されて結局行けずじまいだ。少し仕事が落ち着いた今なら大丈夫だろうと七海は考え、ディナーに誘うメッセージを途中まで打ち込んだとき、ふと思い出す。

――いや、たまねぎはどうなる。重いたまねぎを持たせて待ち合わせをするのか。そうするとその後もたまねぎを持ったままうろつくことになる。たまねぎが彼女の隣の席に座り、たまねぎの話に終始してしまうのではないか。彼女の隣に鎮座するたまねぎがニヤリと不敵に笑う。クソッ、たまねぎさえ無ければ……!

 想像力がたいそう豊かな七海は考え直して、午前中にたまねぎを取りに行くと返事をした。するとすぐに了承の返事があり、自宅の住所が送られてきたではないか。全く不用心にもほどがある。いくらたまねぎの受け渡しのためだとはいえ、男にこうも簡単に自宅を教えるものではないだろう、と眉間に深い皺を刻む。とにかく彼女の一言一言が気になって仕方がないのだ。全く己を律することができていない自分に半ば呆れながらも、彼女のことで一喜一憂している今が楽しくもある。恋愛とはなんと面倒で愛おしいのだと七海は考えながら、ふふふと小さな笑みを漏らした。

 翌日。たまねぎ授受の日がやってきた。たまねぎを貰うという大義名分のもと、彼女の自宅を訪れることができる貴重な日だ。もちろん手ぶらでいくわけはなく、彼女が以前食べてみたいと漏らしていたナッツの乗ったカヌレを手土産に持ってきている。それがマナーだからだ。途中でホットラテを二つテイクアウトしようかとも考えたが、あまりにも狙いすぎている気がしてさすがにやめておいた。今日は家に上がり込むつもりはない。まあでも、七海が何も言わなくとも彼女のほうが招き入れれば、それはまた別の話にはなってくるが。
 指定された住所に着くと、こぢんまりとしたオートロックの単身者用賃貸マンションがあった。外観はやや古いが、きれいに手入れされているので管理人が定期巡回しているようだ。監視カメラもついているし近隣に荒れた場所は無く、地元客で賑わう商店街を抜けた住宅街のなかほどに位置しており、生活には便利そうだと七海は思った。しかし一階の真ん中の部屋なのにベランダには上までの柵が見当たらず、少々防犯上の心配がある。それに物干し竿にはいくつかのハンガーがかけられており、彼女が洗濯物を外に干している形跡があった。女性の一人暮らしを狙う卑劣な輩に目を付けられているかもしれないと思うと、想像上の犯人に殺意が湧く。職業柄、彼女の住むマンションをぐるりと回って入念に観察してしまい、あまつさえ簡単に侵入できそうだとわかり一気に心配になってくる。彼女とて術師であるものの、自宅でのんびりしているとき悪漢に襲われでもしたら……。七海が脳内で妄想劇を繰り広げていると、若い男の住人が内側からオートロックを解除して出てきた。七海を訝し気に見ながらも会釈し、駅の方へと向かって歩いていった。そうだ。外からねっとりと彼女のマンションを眺めている場合ではない。今日はたまねぎを取りに来たのだから。
 七海がインターホンを押すと、聞きなれた彼女の声がインターホン越しに聞こえてきた。同時にオートロックが開いて中へと招き入れられる。廊下は綺麗に清掃され、ポスト周りにも怪しいチラシや水道屋のマグネットなどは見当たらない。少々うるさめに鳴る心臓へ向かって落ち着くように言い聞かせながら歩いていると、廊下の真ん中の部屋の扉が勢いよく開いたと思ったら、Tシャツとペラペラのパンツ姿の彼女が出てきて、ひらひらと片手を振った。完全に部屋着である。

「七海さん! 来てくださってありがとうございます」
「美味しそうなたまねぎだったので、ぜひ味わってみたいと思い早々に押しかけてすみません」
「取りに来ていただいて助かります。意外に重いんですよね」
「仕事の前にご迷惑かと思ったんですが、そう言っていただけると嬉しいです」

 続けて七海は、すかさず手土産を差し出した。彼女は困ったように笑いながら一度は断ったものの、中身は先日話したカヌレだと告げるとぱっと表情を明るくして「じゃあ、遠慮なくいただきます」とにこにことほほ笑んだ。素直で可愛らしい。彼女のいいところだ。彼女は紙袋の中身を嬉しそうにのぞき込みながら頂きものの紅茶があると言い、自然な流れで七海を自宅へと誘った。こうなる可能性について考えていないわけでなかった七海は、心の中でガッツポーズをとりそうになった。しかしここでどう出るべきか逡巡し、やはり形式的に一度は断るべきだろうと思った。いえいえお構いなく。そんな遠慮なさらず。じゃあいいですか。どうぞどうぞ。面倒だがよくある一連の流れだ。これがあると無いでは、なんだか居心地が違う気がする。

「お気遣いなく。それに女性の家に上がりこむわけにはいきません」
「でもカヌレたくさんいただいてますし、一人じゃ食べきれないです。それにたまねぎがまだまだたくさんあって、困ってるんです」
「それではお言葉に甘えて少しだけお邪魔します。たまねぎも、何とかしましょう」
「よかった! 実はダンボール二箱分もあって、高専に一箱持っていったんですけどまだまだ余ってるんですよ」
「簡単なもので良ければ何か作りましょうか。それから、切って冷凍しておけば日持ちします」

 七海が言い終わると、彼女はどうぞと七海を招き入れた。ここから一歩踏み出したらもう彼女の自宅の中だ。ゆっくりと締まるドアがパタンと音を立てた。女性の部屋特有の甘ったるい匂いがすると勝手に想像していたのに、漂ってきたのは頭の奥をツンと刺激するたまねぎの匂いだった。きっと今、調理していたのだろう。出鼻をくじかれたような気がして一瞬眉間に皺が寄ってしまったが、そうではない。何を勝手に都合よく考えているのだ。今日はそんなつもりは毛頭ない。それでも女性の部屋に男が入る意味を考えてしまい、七海は慌てて頭の中の邪な考えを全て掻き消した。正直に言うと、下心は大いにある。常に距離を縮めたいと思っている。でも今は絶対に手を出してはいけない。部屋着で出てきたうえにこんなに簡単に家に上げるだなんて、彼女は明らかに七海を異性として意識していないと改めてわかったからだ。まるで、気心の知れた同性の友人でも招くような気軽さで七海を一人暮らしの自宅へ招き入れたということは、絶対に何も起こりえないという安心感があるに違いなかった。それを信頼されているといえば嬉しいが、警戒心ゼロの彼女の後姿を見て七海は大きなため息を吐いてしまいたい気持ちにもなった。まだまだ道のりは長い。この信頼を積み重ねて、コツコツと地道にいくしかない。薄手のリネンパンツが紺色で良かった。薄い色なら下着が透けて見えていただろう。現に白いTシャツからは紺色のスポーティーなブラジャーが盛大に透けまくっている。七海は頭を抱えて座り込んでしまいたかった。

――お願いだ。少しは意識してくれ。

 そんな七海の脳内の葛藤撃破露知らず、彼女はえヘヘと笑いながら照れ隠しのため口元を手で隠していた。

「実はいま、たまねぎをスライスしてたんです。でもウチにはスライサーが無くってすごく時間がかかっちゃいました」

 こぢんまりとした玄関からすぐにキッチンがあった。ワンルームにありがちなミニキッチンだ。一口しかない電気コンロと小さなシンク。作業スペースはほとんど無いため、スライド調理台が置かれている。小さな黒いプラスチック製のまな板の上には、不揃いなたまねぎスライスがバラバラに置かれていた。

「今夜は新たまねぎのサラダにしようと思って」
「鰹節とポン酢ですか」
「卵黄を乗せると美味しいってネットに書いてあってマネしてみようとしたんですけど、たまごがありませんでした」
「ツナとごま、サーモンやカツオのたたきと和えても美味しいですね」

 七海の提案を聞いた彼女は、目を丸くして手をパチパチと叩いたきながら「先生さすがです」と言って冷蔵庫を覗いてみた。しかしツナもごまもサーモンもカツオのたたきも無いのだという。

「商店街に鮮魚店がありましたね」
「そうでしたっけ」
「それに今どき珍しくたまご屋もあった。買って来ましょう」
「えっ、そんな悪いです。鰹節とポン酢はありますから」
「美味しいものを貴女に食べてもらいたい。それに、料理のレパートリーも広がる」
「七海先生……! ありがとうございます」

 彼女が財布を取りに行こうとしたところを制止しながら、先生はやめてくれと七海は言った。再びえへへと笑いながら誤魔化している。一緒に行かないかと彼女を誘ってみると明るい声で「行きます」と返事があり、すぐに準備を始めた。任務は十五時かららしい。それまで十分に時間がある。今日はこのまま先生と生徒でもいい。彼女の腹を満たして、ついでに心も満たすことができたら。きっと次は一歩進めるに違いない。そう信じて七海は彼女と商店街へ出かけていった。もちろん、彼女の下着を白日のもとへ晒してはいけないので、上着を羽織らせてから。

 平日の午前中だというのに人の往来が多いアーケードの下、天気の話をしながら二人は歩いた。今日は日差しが強いから日傘を持ってくれば良かったとぼやく彼女の横顔を見てみる。ここ最近気温が上がってきており、今日は特別に暑い。彼女のこめかみから一筋の汗が流れるのを見て、七海はどうしようもない劣情が湧き上がるのを感じてしまった。買い物用の小さなトートバッグから薄手のハンカチを取り出して汗を拭う。しっとりと濡れた肌が妙になまめかしく見えてしまって罪の意識が芽生えてくる。なんとか彼女から目を逸らし、道行く人々を眺めて心を静めようと努力した。七海は彼女の全てを異性として意識しているのに、彼女はまるで何も感じていない。なんとも虚しいが、これが二人の現状だ。今なんとなく続いている料理という繋がりを大切にして、距離を縮めていきたいと七海は思った。
 鮮魚店で藁焼きのカツオのたたきを、たまご屋で店主おすすめの赤玉を購入して彼女の自宅へと戻る。あまり個人商店では買い物をしないらしい彼女は、いい経験になったと言って嬉しそうに手を振りながら歩いた。彼女の自宅の狭いキッチンと切れ味の悪い包丁で、七海は黄身乗せ新たまねぎのサラダとたっぷり新たまねぎを添えたカツオのたたきを作った。特別なレシピがあるわけではない。それでも彼女はキッチンに立つ七海の横にくっついて、包丁さばきを褒め、盛り付けの美しさに感嘆のため息を漏らす。余ったたまねぎは様々な大きさにカットして小分けし冷凍室に入れておく。炒め物や煮物に使ってもいいし、解凍してサラダにしてもいい。

「後片付けまでしていただいて、ありがとうございます」
「包丁は研いでおきました」
「買ったきり使ってなかった研ぎ器がついに……!」
「切れが悪いと怪我のもとですから」
「頑張って自炊してるんですけど、いつもうまくいかなくって。毎日七海さんがご飯を作ってくれたらいいのになあ」

 突然とんでもない爆弾発言をしながら、彼女はなんでもないふうにいつも通り微笑んでいた。これはきっと社交辞令だ。そうわかっていても、七海の頬は緩む。

――毎日でも作りますよ。貴女のためなら。

 そう言ってしまいたいが、時期尚早だ。まだ一歩引いて、次に繋げるべきだろう。

「次はデザートを持ち寄りましょう」
「お菓子作りですか⁉ 私にはまだ早いんじゃ……」
「ゼリーならジュースにゼラチンを溶かすだけでできる。少しずつステップアップを」
「そっか。わかりました。師匠! よろしくお願いします」

 いつもの彼女の眩しい笑顔が愛おしい。七海は紅茶とカヌレを口にしながら得も言われぬ幸せを感じていた。この瞬間がずっと続けばいいとも思うし、彼女の恋人として堂々と隣を歩きたいとも思う。

 帰り道。ずっしり重い大きな新たまねぎが五つ。七海の足取りは軽い。次の約束もある。料理と同じ。少しずつ、ステップアップすればいい。