ただ具材を挟むだけなのに

第2話

 七海に弁当を作る約束を一方的にさせられてから一週間。あの後誰から聞いたのか個人の携帯に七海から電話があり「私も作っていくので交換しましょう」と言われ、何度も拒否したもののラスクを返せだとか、水に流したはずの仕事の失敗を蒸し返したりだとかで断りきれず、お弁当の交換会をすることになってしまった。更にハードルが上がったような気がする。七海がパン派でこだわりがあるのは周知の事実だ。そんな人物を唸らせることができるサンドイッチを作れるだろうか。ただでさえ人生でサンドイッチを数えるほどしか作ったことはない。本屋でサンドイッチの本を眺めてみてもレベルが違いすぎて涙が出てきた。家入に相談すると「パンに何か挟めばそれはもう誰がなんと言おうとサンドイッチだ」とためにならないアドバイスと「点滴も胃薬も用意してるからやれるだけやってみろ」と心強いような、悲しいような応援もされた。

 お弁当交換会当日の朝。六時に起きて近所で話題のパン屋で買ったわざわざサンドイッチ用に薄く切ってもらった角食パンを用意した。家入の言う通りパンに具材を挟むだけなのだから素材の良さで勝負だ。妙な小細工はせず、シンプルなハムとレタスのサンドイッチにする。本当はたまごサンドにしようと思っていたが、厚焼きたまごを挟む派とたまごサラダを挟む派の熾烈な争いがあると知り、やめておいた。彼女にとってたまごのサンドイッチといえば厚焼きたまごだったが、七海にとってはたまごサラダかもしれない。それに厚焼きたまごもたまごサラダも到底作れる気がせず、諦めるしか無かった。
 気を取り直して、パンにハムとレタスを挟もう。食パンにはバターを塗るそうだ。高級スーパーで一番高いバターを買ってある。隠し味にマスタードを入れるらしいので、ツブツブした何かが入っている西洋のカラシも入手済みだ。ハムはデパ地下の肉屋で焼豚を買った。ハムだけで何種類もあり、迷った挙句、最初から味が付いていれば間違いないと思ったのだ。レタスの善し悪しはわからないが、とにかく一番高いものを買えばいい。高級なものは丁寧に作られているから美味しいに違いないという彼女の解釈だ。

「よし、まずはバターとマスタードを塗る、と」

 冷蔵庫から出したばかりのバターは固く、バターナイフが刺さらない。表面を削ぎ取りパンに塗りつけるが、塊なのでボロボロになってしまった。それに全然広がらない。レンジで加熱したらドロドロの液体になったが塗りやすさは上がった。パンに染みこんでいくバターをそっと見守り、それからツブツブのマスタードをたっぷり塗る。なんでも西洋のカラシは辛くないらしい。だから、ちょっと多いように見えるけど、多分、大丈夫だと思う。
 それから肉屋自家製タレたっぷりの焼豚を乗せて、どこかの大学と共同開発したというレタスを乗せた。その上からもう一枚食パンを乗せたら完成だ。七海はたくさん食べるだろうから、食パン全てを使ってハム(正確には焼豚)レタスサンドイッチを量産する。間違いない食材ばかりなので、味は完璧にきまっているはずだ。あとは食べやすい大きさに切って、使い捨て容器に入れる。切るとき、レタスのパリパリ感が凄まじく少し崩れてしまったが、大幅に見た目を損なったわけではないので大丈夫だ。

「これで、七海さんに勝つ!」

 彼女は気合いたっぷりに両頬をペチンと叩いた。料理は正直苦手だ。でも、負ける要素が見当たらない。最高の食材を挟むだけでできる最高の食べ物。それがサンドイッチだから。

「とうとうこの日がやってきましたね。勝つのは私です」

 彼女がメラメラと闘志を燃やしている様子を見て、七海は工程を間違ったかもしれないと思った。彼女の中でこのイベントはいつの間にか勝負になってしまっているらしい。

「勝ち負けではありません。たまには人の作ったものが食べたい。毎日自分の味だと飽きますから」
「ふふふ。後悔しても知りませんよ。最高級の食材ばかりを使いました」
「それは楽しみです」

 ではそろそろ、と彼女は保冷バッグからプラスチック容器を取り出した。その中には一口サイズのサンドイッチがぎゅうぎゅうに詰まっている。作っているときは必死で気づかなかったが、やや彩りが悪い。やはりたまごの黄色が必要だったかもしれない。トマトの赤もアクセントになっただろう。それに容量以上に詰め込まれたせいか、焼豚のタレとマスタードがべっとりと蓋についてしまっている。さらにタレの塩分でレタスはぐったりと萎びていた。

「あ、あの、見た目はちょっとアレですけど、全て一流の食材を使ってますから!」
「いただきます」

 七海はみっちり詰まったサンドイッチを一つ取り出した。ギチギチに入っているものだから溢れ出た水分とタレとバターとマスタードをパンがすべて吸い込んでしまい、ネットリしている。七海の手にベトベトの汁がまとわりつく。そんな食欲減退サンドイッチにも関わらず、大きな口を開けてパクリと食べた。無言でモグモグ口を動かしている。

(味は大丈夫なはず……!)

 彼女は祈りながら七海が咀嚼するのを見守った。素材の味に関しては失敗する要素が一つもない。それだけは事実だ。
 七海はごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。指についた汁をハンカチで拭い、もう一切れ放り込む。

――おかわり頂きました!

 彼女は思わず拍手をした。まさか二個目を食べてもらえるとは思わなかったからだ。問題外ですなどと言いながら残されるとさえ覚悟していたのに、更に三つ目も食べ始めたではないか。そもそも、やればできるのだ、と彼女は胸を張った。料理が苦手なのは経験値が低いからで、今日のサンドイッチで確実にレベルは上がっただろう。七海を負かした者として名を馳せてしまうかもしれない、と妄想しはじめたところで七海が口を開いた。

「具材の選択は悪く無いです」
「ありがとうございます‼」

 しかし味は良くもない、と続けようかと思っていたのに、彼女から握手を求められて七海は咄嗟に応じてしまった。キラキラと目を輝かせ七海の手を握ってぶんぶんと振り回している。完全に勝利を確信した顔だ。心の中ではガッツポーズを取って叫んでいるに違いない。七海はそんな彼女を見て思った。違う、最初から勝負などしていない、と。

「私はカマンベールとパストラミビーフのカスクートです」
「カス……? サンドイッチじゃないんですか」

 七海は一つの包みを取り出した。長細いパン専用に作られたであろうお洒落な窓付きの紙袋に入っている。フィルム越しに見える中身はフランスパンのようだ。スリットから瑞々しいレタスとパストラミビーフ、カマンベールが顔を出している。彼女のサンドイッチと違って汁っぽさは全くない。

「わァ! 美味しそう! いただきます」

 見た目から既に格の違いを見せている七海のカスクートを彼女は嬉しそうに眺めた。さっきまで勝ち負けを気にしていたようだが、美味しいものを目の前にするとそんな考えは吹き飛んでしまったらしい。にこにこと頬を綻ばせて袋を開け始める。袋の中から取り出したカスクートは少ししっとりしていて食べやすそうだ。フランスパンの香ばしさとパストラミビーフのスパイスがふわりと香る。少し辛いかもしれないと彼女は思ったが、カマンベールチーズがきっと中和してくれるだろう。大きな口を開け、躊躇なく端からガブリと噛みついた。想像通り少し柔らかくて食べやすい。口にするとわかる。すべての材料が適切に配置されている。どこから食べてもすべての具材が味わえるのだ。ソースはパンに塗られた少量のバターと粒マスタードだけのようだが、ハムとチーズにしっかり味がついているから物足りなさを感じない。それどころか素材の味を邪魔せず、皿に引き立たせている。彼女はごくりと飲み込むと、辺りを見回した。そういえば飲み物を忘れてしまった。しっとりしているフランスパンとはいえ、やはりパンを食べるには飲み物がいるだろう。しかし忘れたものは仕方がない。諦めて彼女はもう一口カスクートにかじりつく。うん。美味しい。マスタードの酸味が良いアクセントになっている。バターのコクもしつこくない。これは止まらないかもしれない、と彼女は思った。いや、正直に言おう。もっと食べたい。やはり飲み物が必要だ。

「先日のパン屋で買ってきました。よかったらどうぞ」
「ふぁ! ななみふぁん、あいがほ~ございまふ!」

 そんな彼女の様子を見て察したのか、七海はどこからともなく取り出した紙袋の中からアイスコーヒーのプラカップを出して渡してやった。彼女は差し出されたコーヒーを受け取り、ごくりと飲み込んだ。ヒヤリと冷たくのど越しは爽やか。深い焙煎の豆からしっかりと淹れられたアイスコーヒーはコクとキレがあり飲みやすいのにサンドイッチの味わいを邪魔しない。さらにもう一口カスクートを頬張った。何口食べても美味しい。素材の良さもさることながら、シンプルな味付けと美しい見た目が食欲をそそる。紙袋に入っているから食べるときに手は汚れないし、フランスパンは小さめで女性でも食べやすい。ほとんど食べ終わろうかというとき、彼女は気づいた。料理の出来を左右するのは素材だけではない。盛り付けなどの見た目、一緒にいただく飲み物や作り手の思いやりも大切なのだと。七海の料理はそれら全てが完璧だ。それに加えて味も最高に美味しい。
 今日のところは完敗である。

「お店で買ったみたいにすごく美味しいです! こんなにお洒落なサンドイッチ生まれて初めて食べました」

 彼女はお腹をポンポンと叩き、満腹だとアピールした。今日は彼女が食べやすいように小さめのパンを選んだから、二つ作ったのに一瞬にして彼女の胃袋の中に消え去った。もぐもぐと無言で食べ続ける彼女の食いしん坊ぶりを見て七海は口角が上がるのを抑えられないでいた。なんて可愛らしいのだろうと、愛おしく思う気持ちが込み上げてくる。人が楽しんでいる姿を見るのは嬉しいものだ。ましてやそれが、自分の作った料理を食べて喜んでいるのだからなおさら嬉しい。

「……あの、まだ、あったりします?」
「残念ですが、もう無いんです」
「ええ~! もっと食べたかったぁ!」

 彼女はがっくりと項垂れ、床に手と膝をついて残念がった。テレビで見たことはあるが実際にやっている人間を目にするのは初めてだ。泣いていないくせに目元を手で拭う真似までして、彼女は七海に気持ちを訴えた。

「また作りましょう。貴女のサンドイッチもそこまで悪く無かったです。しかし作る手順や方法を見直した方がいい部分はあると思います」

 七海はにやつく口元を隠すように押さえて家にまだパンが三つ残っていることを考えながら、次回はもっとたくさん用意しようと決意した。それから彼女のサンドイッチについての感想も述べておく。そこまでまずいとまでは言えないが、全体としてバランスの悪さは否めない。素材そのものは良いものを使っていると言っているだけあってきっと別々に食べたら美味しいのだろう。でもそれはサンドイッチでは無い。パンと具材、ソースすべての調和が必要なのだ。少々辛口になってしまっても彼女のこれからを思って意見しておく方がいいだろう。そんな七海の講評を真っ直ぐな態度で受け取った彼女は、改めて七海の真正面に立った。かっこよくビシっと背筋を伸ばし、わざとらしいほどの真面目な顔をつくり、それから真剣な表情で言う。

「お世辞は結構です。七海さんのと比べたらさすがに私だってわかります。でもね、この戦いで学んだ事が二つあります。料理は素材だけじゃないってこと。それから、食べる人の事を考えて作らないとダメだってこと。七海さんありがとう。私に気付かせるためにしてくれたんですね」
「戦いではありませんが、気づきがあったのならよかった」

 七海はふっと息を漏らして笑う。普段の七海ならこの程度でポーカーフェイスは崩れない。今日はくるくる変わる彼女の表情に翻弄されているせいだろう。なんだかんだで場の雰囲気を和ませたり、空気を変えたりすることができるのが彼女のいい所だ。きっと忖度の無い素直な反応がそうさせると七海は考えていた。それでいて普段はこの業界でも一二を争う血生臭い仕事をしているというのだから不思議なものだ。彼女は真剣な表情で七海を見つめ続けている。どうやら何か決意したことがあるようで、うやうやしく口を開く。

「七海さん。いいえ、七海先生。これからも私と勝負していただけませんか。私、美味しいものを食べたいんです。間違えた。作りたいんです」
「いいでしょう。でも先生はやめてください。一応同期ですから。それに勝負ではなく、交換会です」
「やったあ! 嬉しい! これでまた美味しいものが食べられる! 私も七海さんにより良いものを食べて貰えるように頑張ります!」

 途中本音がポロリと出ていたような気がするが忘れてやろうと七海は思った。料理上手になりたいし、美味しいものも食べたいという彼女の気持ちに嘘はない。それからこれは今初めて思ったことなのだが、堅物だと思っていた七海の意外な一面をもっと見てみたいとも思ったのだ。

 さて、これから次回の料理交換会のテーマを決めなくてはならない。サンドイッチは簡単に作れるもので咄嗟に考え付いただけなので、次は何か目的があった方がいいだろう。料理初心者の彼女でも壁を感じず、材料が手に入りやすく、手順はシンプルだが少しのコツが必要であれば尚いい。王道のものやアレンジ可能なものまで彼女が作ってみたいと思うレシピが幅広く公開されている必要がある。また冷めても美味しく食べることができ、持ち運びは容易であることが望ましい。以上から導き出されたものとは――。
「次回はポテトサラダでどうでしょう。実は昨日の料理番組で見て以降、ずっとポテトサラダの口になっています」
 そうだ。ポテトサラダなら先ほどの条件を全て満たしている。一見簡単に作れそうだが、じゃがいもの茹で具合やつぶし具合によって出来上がりは様々だ。今日の失敗を踏まえて料理のステップアップができるだろう。七海は我ながらいい選択をしたと自分で自分を褒めた。もちろん、心の中での出来事だし、そんなことはおくびにも出さない。
 そんな七海の意図を知ってか知らずか、彼女は発表を聞いてパチパチと手を叩いて喜んだ。どうやらやる気は十分なようだ。

「素晴らしいテーマです。では、一週間後に最高のポテトサラダを持ってきます」
「楽しみにしています」

 彼女は最高の笑顔で親指を立てた。どうやら次回は自信ありらしい。

 さて、どんなポテトサラダが食べられるのだろう。