元ご飯がいっぱい詰まった手作り弁当

第1話

 昼時の高専。家入の目の前にいる女性の弁当箱から特級呪物並の禍々しい呪力が漏れている。中を覗くと焦げだらけの米粒がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、その上になぜか無残にも弾けたミニトマトが二つ乗っていた。

「なんだそれは」
「これは、チャーハン……? ピラフ……? 元ご飯です」
「それ食べて腹が痛いとか言うんじゃないぞ。ただでさえ忙しいんだから」

 家入がこともなげに言った。確かに季節柄呪霊の発生は多く、それに伴い怪我人も増える。医師として表向き所属している学会へ提出しなければならない論文の締め切りも近い。普段から顔色がいいとはいえない家入だが、今日はいつもより青白く目の下の隈が濃い。こんな時に本業以外の受診はしてくれるな、とくぎを刺されて、さすがにそこまでひどくはないだろうと思った。彼女は「大丈夫、です。多分」と自信なさげに答え、トマトの水分を吸ってべちゃべちゃになった米粒をつついた。ぐじゅぐじゅしている。どこからどう見ても美味しくなさそうだ。世間一般の人間には周知の事実だとは思うが、ミニトマトを電子レンジで加熱してはいけない。薄皮の中で水分が膨張し爆発してしまうのだ。彼女は知らなかったのだろう。渋い顔をしながら熱すぎる元ご飯の爆発トマト添えを恐々口に運んだ。何味かと聞かれたら、トマト味だ。家にあったあらゆる調味料を駆使して仕上げた今日の弁当の出来は、きっと、この世の中で最低ランクだろうと彼女は思った。美味しいとかまずいとか以前の問題で食べ物として成り立っていないとさえ思ってしまうほど、よくわからない物体に成り果てていた。

「うまいか?」
「複雑な、味……。深みのある、そんな感じです」
「ふーん。無理するな。書庫に伊地知のカップ麺がある」
「せっかく作ったし、捨てるのももったいないし……」

 適当に言葉を濁し、呼吸を止めて一気にかきこむ。説明できない味のくせに焦げた部分はしっかりと苦く、トマトの下の米はトマト味。伝家の宝刀うまみ調味料をたっぷりと使ったはずなのに、うま味を全く感じない。そんな女子力低めの弁当を嫌々食べていると珍しく七海がやってきた。手には山のふもとにできたカフェのコーヒーと紙袋を持っている。

「おっ、あそこのパンは七海が好きそうだと思ってたんだ。しっかりチェックしてたんだな」
「お疲れ様です。ようやく開店中に行けました。売り切れるのが早くていつも間に合わないんです」

 七海は家入に返事をして、彼女に目配せをした。先日二人で向かった調査任務で失態を晒しまくって以降、彼女は七海が怖い。彼女は家系で呪術師になったので高専に行っておらず、七海のことをよく知らない。それに年齢以上の落ち着きがありとても同い年とは思えないし、口数が少なく何を考えているのかわからない。そんな七海は彼女の中で謎の人物にカテゴライズされていた。
 それはそうと、七海の持つ袋の中身はきっとパンだ。恐らくガーリックフランス。食欲をそそるにんにくの匂いと焼きたてのパンの匂いがする。七海が紙袋を開けると一瞬にしてよい香りが広がり、彼女はその匂いをおかずに元ご飯を次々と口へ運ぶ。なんとか誤魔化されて美味しく感じるかと思ったのに、味は変わらず焦げとトマトと、あとはなにか、塩とか、旨味とか、そんなものだった。元ご飯だった何かを詰め込みもぐもぐしていると、眉を顰めた七海にじっと注視されて思わず視線をそらした。いつも七海には情けない所ばかり見られている。

「弁当を作っているんですね」
「はい。節約のため自炊をしております。私のようなものは一級呪術師の七海さんと違って貧乏なもんで……、えへへ」
「先日のことを気にしているのならば、もう過ぎたことです」
「はは、七海イッキュージュツシ、ありがとうございマス」

 ヘラヘラする彼女の態度を気にするでもなく七海がギシギシと音を立て軋む古いパイプ椅子に腰を掛けた。あちこち錆びだらけで壊れるかもしれない。体格の良いこの男はきっとたくさん食べるのだろう。そんなことを考えながら彼女は更に弁当箱を空にするため元ご飯を次々に口へと突っ込んだ。
 七海はコーヒーを一口飲み、袋の中からクロックムッシュを取り出した。あっという間に平らげ、次はピザだ。それからカレーパン、クリームパンときて最後にクロワッサンを持ってきた。彼女が弁当箱の中身を必死で胃の中に押し込み終わってすぐ、七海も五つのパンを食べきった。

「七海さんってわんぱくなんですね……」
「生涯食べ盛りだな」

 彼女と家入は七海の食いっぷりに感心した。さすが一級ともなれば鍛え方は伊達ではない。それゆえにたくさん食べるのだろう。それにしても見事だ。見ているだけでお腹がいっぱいになる。それだけでなく、七海はラスクを取り出して共用の菓子皿に移し「よろしければどうぞ」と言いながら家入と彼女にすすめたではないか。角切りにされた食パンで作られたパン屋のラスクは間違いなく美味しいに違いない。

「気が利くな。さすが七海」

 そう言いながら家入は席を立ち、コーヒーサーバーから二人分のブラックコーヒーを淹れて戻って来た。七海と極力目を合わせないように気を付けて弁当箱を片付ける彼女にマグカップが差し出される。家入がネット通販でセレクトした(そして伊地知が毎月在庫管理をしている)カップ・オブ・エクセレンスに入賞した農園のコーヒーは花のような香りと爽やかな酸味が特徴だ。砂糖とバターがたっぷりのラスクにぴったりだろう。七海からはラスク、家入からはコーヒーをもてなされ、彼女はますます小さくなった。何も持っていない。キャンディの一つさえもなく、ただ与えられた好意に甘えるだけの大人。なんとも居心地が悪い。

「甘いものは苦手でしたか」
「いえ。大好きです。いただきます」

 なかなか手が出ない彼女を気遣って七海が声を掛ける。お菓子をいただき、コーヒーを淹れてもらい、更に気も遣わせてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。せめて元ご飯が残っていたら……。いや、やめておこう。あれは人に食べさせていいものではない。差し出されたラスクを一つ口に入れる。表面にまぶされた砂糖は上品な甘みで素材の味を邪魔していない。バターに含まれた塩気が甘味を引き立て、もう一つ味わいたいと思ってしまう。

「美味しい! サクサクの触感! お砂糖たっぷりなのにかる~い! 何個でも食べられそう」

一つ食べたら止まらなくなって彼女は一つ、また一つと食べた。いくつ食べても食べ飽きない。小さな小袋に上品な量が入っていたのであまり一人で食べ過ぎてはいけないのに、甘味と塩味の絶妙なバランスが最高で手が伸びてしまうのだ。

「これって家入さんのおすすめしてたコーヒーですよね? いい香り~! それに爽やかな酸味が果物みたいですっごく飲みやすいです」

 ラスクを三つ食べたらコーヒーを一口飲む。口の中に液体が流れ込んだ瞬間、苺畑にいるような甘酸っぱい香りが広がった。まるで春の野に降り立ったかのようにふわふわ浮かれた気持ちがしてくる。飲み込んだあと、鼻に抜ける芳香はほんのりと甘ささえ感じる。そしてすっきりとした清涼感が後口に残り、一口飲み終えたら晴れ晴れとした気分になる。

「そんなに喜んで貰えたら買ってきて良かったと思います」
「次はベネズエラのウォッシュトを仕入れておこう」

 彼女の食べっぷり飲みっぷりに感心した二人は口元をほころばせた。それに飾らない率直な感想が嬉しい。自分の選んだものでこんなに嬉しそうにしてくれるなんてプレゼントのし甲斐がある。七海は口元を押さえながらそっぽを向き、少々照れくさそうにしていた。家入はコーヒーカップで口元を隠しつつにこにこと笑っていた。

「さすがお二人のセレクト。間違いないですね! 私も今度何か持ってきます」

 美味しいものは人を楽しい気分にさせ、心が満たされ幸せになる。それを体現している彼女を微笑ましく思い、最後の一個になったラスクを譲ってやった。嬉しそうに笑いながら「ありがとうございます!」と言って、ぽいっと口の中に放り込む。サクサクと小気味のいい音が鳴り、ごくりと聞こえたらもう腹の中。こんなに幸せそうに食べてもらえたら、ラスクもきっと成仏できるだろう。

「何が良いかな。二人を唸らせるもの。高級チョコ? 有名パティシエのケーキ? それともやっぱり、お酒ですかね」

 彼女はスマートフォンを取り出し、次々と有名店を調べ始めた。きっと二人はたくさんの美味しいものを知っているし食べ慣れている。そんな強敵のお眼鏡にかなうにはどういったものがいいだろう。鉄板のデパ地下で攻めるか、雑誌で話題のお店で攻めるか。彼女がウンウン唸っていると、コホンと咳払いしてから七海が口を開く。

「たまには人の手料理が食べてみたい。今日みたいに弁当を作ってきてもらう、というのはどうでしょう」
「へっ……?」

 想像の域をはるかに超えた珍回答に彼女は思わず素っ頓狂な声を出した。それを聞いた七海はむっと唇をとがらせた。家入はコーヒーを吹き出し、ハンカチで口元を拭った。

「それは、やめておいたほうがいいんじゃないか」

 家入が声をおさえて笑いながら言う。普段高専にいる事が多い家入は、彼女の弁当をよく知っている。だいたいいつも今日みたいな元ご飯に似たり寄ったりの内容だ。元卵、元野菜、元豚肉。いつも食材が原形をとどめていないし、全体的に茶色く、ところどころ焦げている。匂いはほぼ醤油かソース。食べたことは無いので味は知らないが、おおよそ見た目と比例しているに違いない。彼女が自分の弁当を美味しそうに食べているのを見たことが無いからだ。以前たまたま弁当を目撃した五条は「えー……、キャベツがかわいそ~。農家の人に謝って」とだけ言って立ち去り、その場を凍り付かせた。しかし五条の言うことは尤もだ。その日の彼女の弁当は、せっかくの柔らかい春キャベツが煮込まれすぎてぐずぐずに溶けたスープのようなものだった。こんなになってしまっては確かにキャベツが可哀想としか言いようがない。
 しかし彼女の反応も家入の言葉も、七海には届いていなさそうだ。さあ、どうなんだと言いたげに彼女をじっと見つめていた。もちろん答えは決まっている。

「お店で買った方が美味しいに決まってます。やめましょう」
「サンドイッチならパンに具を挟むだけなので簡単です」

 食い下がる七海をじとっと睨みつけてみても相手は全く怯む様子はない。それどころか身の回りをさっさと片付け始め、話はまとまったとでも言いたげだ。

「それができたら苦労しないんだよ。な、そうだろ」

 家入が助け舟を出してやると、彼女は首がもげるのではないかというほど上下に激しく振ってうなずく。だからできません。買ってきます。何が良いですか。リクエストどうぞ。間髪入れずに七海へ言うが、まるで効いていないようだ。表情を変えることなく手を差し出して言う。

「ラスクを返してください」
「もう食べちゃったから出てくるわけないです……」
「では来週。サンドイッチ、期待していますよ」

 そう言って七海はさっさと席を立ち、部屋を出てしまった。パタンと扉が閉まったのを確認して、彼女は「大変なことになったぁ!」と机に突っ伏した。風の噂で七海は料理が得意と聞いた。七海の手料理を食べた者から聞いた話をさらに人づてに聞いたことがある。繊細な味付けで食器や盛り付けにもこだわり、聞いたこともない調味料をたくさん持っているのだという。それにすごくグルメらしい。レストランのフルコースを毎日食べていて朝食はホテルのモーニングだとか、七海の選ぶ店に間違いはないだとか、猪野の同期と、後輩補助監督に聞いたのだ。確かにあの佇まい、只者では無い。そんな相手にお世辞にも料理上手とはいえない彼女が手料理を振舞う――。想像しただけで卒倒しそうだ。

「どうしよう。七海さんが死んじゃう」
「毒でも盛るつもりか? 体重がけっこうあるから致死量はしっかり計算しておけよ」
「そうじゃないです! なんでこんなことに⁉ やっぱり七海さん、この間のこと怒ってるんだ。だから私のヘタクソ料理を晒そうとして――」
「まあ七海の言う通り、パンに挟むだけなんだから何とかなるだろ。楽しみにしてるよ」

 家入もさっさと片付けを終え、ひらひらと手を振って立ち去った。扉の外には「えぇ~! そんなぁ」と嘆く彼女の声が聞こえてくる。もう周りに誰もいないのに賑やかだ。しばらくジタバタする音がしていたが、数分後には静かになった。

 先ほどの休憩室から少し歩いたところでやけに機嫌が良さそうな七海がいた。家入が肩を叩きニヤリと笑って言う。

「今から泥水でも飲んで腹の中を鍛えておくんだな」
「さすがにそれは言い過ぎです」
「二人の行く末、楽しみにしてるのは私だけじゃないはずだ」
「見世物ではないんですが」

 明らかにからかわれているのに、どこか楽しそうな七海を見て家入もつられて楽しい気分になった。なかなか腹の中を見せない男だと思っていたが、存外そうでもないらしい。二人のこれからを想像してフフフと漏らす。上手くいくよう、高専一丸となって応援するつもりだ。