僕の名前は七海健人という。一文字違いで同じ読みの人物が僕の養父だった。血の繋がりは無い。過去形なのは彼が既に亡くなっているからだ。母は健康で長生きして欲しいという願いをこめて僕に健人とつけたらしい。今はその通りになっている。生傷は絶えないが元気に働けているし、もう既に養父と母の年齢も超えた。本当の父親の事はよく知らない。母は代々続く呪術師の家系の末娘だったらしいが、若い頃にずいぶん歳上の男に騙されて駆け落ち同然に家を出て僕を産んだと聞く。母は実父について多くを語らなかったがそれでよかったと納得している。後になって知ったのは、父は僕が幼い頃に誰かに呪い殺されらたらしいということだけだ。母が父を悪く言った事は一度も無いが、そんな最期を迎えたということはろくな人間ではなかったのだろう。
母の家系の女は代々短命でその多くは三十代で亡くなったと聞く。女だけが受け継ぐ術式のせいだと言われていたが、母は僕を産んで以降一度もその身に刻まれた術式を行使した事は無い。詳細は知らないがとても珍しいものらしく、多少のリスクは伴うが多額の報酬が得られるそうだ。母が逃げたことで使い手が一人減りずいぶん探されたらしいが、不憫に思った母の姉の一人が誰かのつてを辿り、なんとかして母と僕を逃がしてくれたらしい。それから呪術高専での職を斡旋してもらい、僕たち親子は事実上高専側に匿われ安全な生活を送ることができていたというわけだ。幼い頃の僕はそんな事情があったなんて何も知らなかったが、後になって関係者から母と僕の生活を助けてくれた事を聞きとても感謝している。彼らの援助が無ければ母と僕はあの家に連れ戻されていただろう。
親族たちは母一人子一人で暮らすために術式を使い不当に金銭を得ているのではないかと疑っていたようだ。母はいつも僕の側にいたのでわかるが、そんなところは一度も見ていない。だから電話越しの声しか知らない母方の親族たちが言うようなことは断じて無く、母が早死にしたのは単に運が悪かったとしか言いようがない。気づいた時には母の病気はすでに手の施しようがないほど進行していた。それだけだ。母はこれからもっと幸せになるべき人だったのに、その生涯を若くして終えた。それがとても可哀想で母の一生は何のためにあったのだろうと思わずにはいられない。彼女は僕を産んで幸せだったのだろうか。
初めて七海さんと公園で出会った日、緊張した面持ちで会話している二人を見て何か運命めいたものを感じたのをよく覚えている。母は彼に酷く冷たく接していたが、感情を爆発させまいと必死になっている姿を初めて見た。この二人は大人なのに、いや、大人だからこそ、前にすすめないのかもしれないと思った。小学生の割にませた考えをしていたと思うが、僕のおかげで二人は愛を打ち明けることが出来たのだ。
今は養父となった七海さんの姓を貰って生きている。事情を知るものもいれば知らぬものもいる。それだけ二人が生きていた日々から時間が経ったのだ。戸籍上の父となったその人をお父さんと呼ぶことは無かったが、それは彼を自分の父親だと認めていないからではない。彼は僕のことを健人君と呼んだ。自分と同じ名を持つ血のつながらない息子の事をどう思っていたのだろう。名前を呼ぶとき、きっと、照れくさかったはずだ。お父さんと呼べなかった僕と同じように。
二人が夫婦として共に過ごした時間は短かったが、深く愛し合っていたように思う。僕は父が欲しかったわけではないが、七海さんが父になってくれた時は嬉しかった。彼は一見落ち着いて見えるがその内情はとても情熱的で愛情深い人だ。その身の全てを母と僕に捧げ尽くしてくれた。今思うと、彼は自分の人生は長くないと考えていたのだと思う。自分のものを僕や母へ残せるように母の病気が判明した後すぐ、半ば強引に二人は入籍した。母は大泣きしながら反対したが、彼は頑として譲らず穏やかな笑みを浮かべたまま母を根気強く説得した。結局、最終的に渋々婚姻届けに署名をした母は、本当はとても嬉しかったはずだ。それに、残される僕のためでもあっただろう。
母の最期が近づいた時、自宅のすぐ側の公園へ三人で出かけたことを思い出す。病人みたいだからと車椅子を嫌がったやせ細った母は七海さんに抱き抱えられ、僕は自転車を押しながらカメラを持っていった。レジャーシートを広げて七海さんの作った料理を母が詰めた弁当を広げて三人で食べた。母はこの時すでにゼリーや少しの水分しかとれなくなっていたはずなのに、甘口の卵焼きを二切れとおにぎりを三つも食べた。それから色とりどりの草花を背景に二人の写真を何枚も撮った。七海さんと母がもっと早くに出会って恋に落ちていれば違った未来があったかもしれないと考えると悲しかったが、あまりにも二人が幸せそうに笑うので僕も一緒になって笑った。誰とも知らぬ通行人に撮ってもらった三人で写っている写真が二枚だけある。僕も笑っている楽しそうな写真だ。この時が永遠に続けばいいのにとその時願っていた。
母にはずっと幸せになって欲しかったのに、本人は十分だと言ってあまり多くを望まなかった。どんなに疲れていても笑顔しか見た事が無い。残業続きでヘトヘトになっていた時、母の負担を減らしたくて冷蔵庫の中のものをほとんど入れたカレーを作った事がある。想像以上にできたそれは味が薄く、どう頑張っても美味しくならないそれを母は嬉しそうに食べておかわりまでしてくれた。母はそういう人なのだ。
その母が七海さんに抱かれながらしくしく泣いているのを見てしまった事がある。まだ死にたくないと口にしてめそめそする母の背中を優しく撫でながら、絶対にそんなことにはならない、必ず全部上手くいくと慰めの言葉をかけ続ける七海さんと目が合ってしまった寒い日の夜。そっと人差し指を唇に押し当て目を細めた彼をなんて優しく愛情深い人なんだと思った。
母は最期、七海さんの自宅で亡くなった。医療用麻薬で少しぼんやりしていたが、オレンジジュースが飲みたいと言ったので脱脂綿に含ませて口に入れた。脱水でひび割れた唇が少し潤って色づいたように見えた。もっとたくさん飲めばこのまま良くなるんじゃないかと思い、何度も母の口へ脱脂綿を運んだ。赤子のようにチュウチュウと少しずつ吸う姿を見て「早く元気になって、また、三人で一緒に出掛けたい」と口に出してしまいたかった。それでも弱り切った母の様子からもう元に戻ることは無いんだという現実を突きつけられる。
「ありがとう。美味しいね。嬉しいな。二人とも大好き」
そして微笑みながら眠るように息を引き取った。人間は有限なのだ。それは例え完璧であった母だとしても例外ではない。
葬儀に訪れた叔母が母の棺に入れられた古い時計と万年筆を見て驚いていた。いつの間にか無くなったと思っていた祖父と祖母の形見だと言うのだ。それを聞いて七海さんはばつが悪そうな表情をして大きなため息を吐き、眼鏡を直した。たくさんの花に埋まる母に向かって「教えてくれてもよかったでしょう」と小さな声で文句を言った。その古めかしい小物に纏わる二人にしかわからない物語があったのだろう。
今、僕は二人の遺したものを背負って生きています。お母さん。七海さん。これがあなた達の見ていた世界だったんですね。そこから僕の事を遠ざけようと守ってくれた。ありがとう。でも知らないふりをして生きてはいけない。今度は僕がこの世界を守るよ。