新卒で博物館やイベントなどの物販商品及び備品、それから展示什器を手掛ける中小企業に入社して早四年目。ルート営業と言えば聞こえはいいが、小さな会社なので営業以外にもいろいろと雑務を任されてきた。少しずつ仕事量が増加するとともに、残業や付き合いも増えて最近は少し、余裕がない。アフターファイブなんてものは全く無く、終わらない仕事を片付けるために会社に残ってコンビニ飯を喰らい、今日も終わらなかったと落胆しながら帰路につく。終電とまではいかないものの、ここ最近は特に遅い。休日だって取引先の展示を確認しに行ったり、会社が関わったイベントに顔を出したりと、気持ちは全然休まらない。そんな私に追い打ちをかけるように、仙台市博物館を担当していた先輩が妊娠したからといって、その仕事すべて私にお鉢が回ってくるらしい。何もわからない一年目から支えてくれた先輩の吉報に喜んだのも束の間。また仕事が増えるのかとどんよりした気持ちになってしまう自分の性根の悪さに辟易する。妊娠出産育児のことはわからないが、大変だと多方面から聞くので、多分そうなのだろうと思う。先輩を支えたいという気持ちは嘘では無いのに、今以上に仕事が増えることを考えるだけで憂鬱だ。そんな私の心中を察した妊娠十週の先輩は、眉を最大まで下げて申し訳なさそうにしながら「すごい頼りになる職員さんがいるから、ここの仕事はそんなに大変じゃないよ。安心してね」と言って引継ぎ資料を持ち出してきた。まあ確かに、公的な博物館は大規模な展示の入れ替えがそう頻繁にあるわけでは無いし、物販も決まったものを納品するのが常だ。先輩の言う通り、ルーチンワークさえ覚えてしまえばさほど大変では無いだろうと思うことにして、なんとか心の平穏を保つ。そうでもしないとやってられない、という気持ちが大きいけれど、社会人四年目ともなると顔に出なくなってくるから大したものだ。
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「……どうも」
「あ、の、月島、さん」
先輩から紹介された頼りになるという職員は月島蛍だった。とってつけたような〝さん〟と私たちの微妙な空気を察した先輩が大きな目をパチパチと瞬かせて、知り合いだったんだね、とにこにこ微笑んでいる。どう見ても仲良くなさそうだと思っただろうな、なんて考えていると、名刺を出すのをすっかり忘れてしまった。そういえば大学で博物館に就職が決まっていると話していたのを小耳に挟んだような気がする。その時は「あっそう」くらいにしか思っていなくて、誰に話していたのかもどんな顔をしていたのかも覚えていない。バレーを続けながら仕事もするという情報だけが友人の友人から入ってきて、いつまでも部活を続けるなんて体力があるんだなあ、なんて、呑気に考えていた。
あれから約四年。幼稚園から続いた月島との縁もさすがに就職で途切れたと思っていたのに、ここにきて再会するとは思わなかった。なんだかすごく、不思議な感覚だ。別に月島との楽しい思い出がたくさんあるわけじゃない。でも偶然とはいえずっと同じクラスで過ごしてきたせいか、記憶の端々に月島が居る。そんな月島があれからずっと地元から出ていなかったんだと、なぜかほっとしたような気持ちになって頬が緩む。そんな私を見た月島がわかりやすく呆れた顔をしているから、この男はどこまでいっても月島蛍なんだと思った。先輩を困らせてはいけないとすぐに仕事の話に切り替えると、向こうもそのつもりだったらしく、簡単な挨拶と忘れていた名刺交換をつつがなく終えた。社会人として適切な距離を保ったまま簡単な挨拶を済ませたら、先輩と月島に案内されてミュージアムショップへと進む。先輩に家が近所で学校も同じだったと説明していると、よそ行きの笑顔を貼り付けた月島が私の話に同意した。なんでもそつなくこなす奴だとは思っていたけれど、それ以上に先輩と月島の間には私のあずかり知らぬところで形成された信頼関係があるように見える。二人ともお互いに〝この人ならうまくやってくれるだろう〟という安心感のもと、私を置いてきぼりにして談笑しながらビジネスの話をしていた。月島のそんな姿なんて初めて見るから、誰か知らない人が喋っているのではないかとさえ思えてくる。私が彼の何を知っているんだと聞かれたら即答できる自信なんてないくせに、知らない月島を目の当たりにしてざわつく自分にまた動揺している。二人の後を追いながら適当な相槌を打つ。先輩の前情報通りここの案件はさほど労力を要しないことがわかり、それだけは安心できる。
「特別展示のときにちょっと協力してもらえればいいんで」
そう言いながら月島は、私のほうを向いて笑顔を作ってみせた。ニコッとほほ笑む月島を人生で初めて見た。彼もきっと私と同じようにこの数年で社会人スキルを身に着けたんだろうと思う。その他大勢へと向ける作り笑いに応えて、こちらも愛想笑いで返しておく。他人のふりをしているわけではないのに、他人行儀になっている現状が滑稽で仕方がない。でも振り返ってみても月島と仲良くしていた記憶なんて小学校低学年くらいまでしかなかった。それからはずっと関りなんていえるものはなかったから、今は他人そのものなんだと思う。なんだか悲しいような寂しいような複雑な気持ちを抱きながら次の言葉を探していると、タイミングよく先輩の社用携帯に着信が入った。ごめんねと言いながら少し離れた場所へ駆けていく後ろ姿を見送ったあと、月島に一言挨拶しておこうと口を開く。
「これからよろしくお願いします」
「わからないこととかあれば、その都度聞いてもらったら」
私が頷くと、月島も同じように頷いた。久しぶりとか、元気だったかとか、とりあえず適当に言っておくべきだとはわかっている。けれど、不思議なことにその一言が出なかった。月島もきっと同じような感じで、居心地悪そうにボールペンを弄っている。急にプイっと顔を反らしと思ったら、昔と変わらないぶっきらぼうな物言いで月島が言う。
「急に何か頼むこととか多分無いから、そんな身構えなくてもいいんじゃない」
「いや、仕事は多分、大丈夫」
そう。業務内容は単純明快。だからそこに不安はない。あるとしたら、昔馴染みの月島蛍がいること。この距離感からして昔から馴染んでいるわけでもないのだけれど、他に適切な言葉は無さそうだ。私の戸惑いを見透かしているのか月島も同じ気持ちなのか知らないが、なんとか間を持たせようと、更に向こうから話しかけてくる。こんな気を遣えたんだと感心すると同時に、自分の狭量さを恥ずかしく思う。
「同じ県内で働いてたらこういうこともあるでしょ」
「それはそう」
バレーは今も続けているのか、なんて聞こうと思っていたのに先制攻撃。月島の方が随分こなれているように思えてますます自分が恥ずかしい。私の知る月島蛍という人間は、もっと内気で積極性に欠ける男だったと記憶している。いつも斜に構えていて他人に興味が無い。そんな風を装っていたはずだ。それが社交辞令が言えるようになるんだから、不思議なものである。
「忙しいの」
「え、はあ、まあ」
月島が長身を折って私の顔を覗き込む。昔から変わらない色白で眼鏡の端正な顔が近づいてきて、思わず後ずさりしてしまう。
「ヤバイよ、目の下の隈。ちゃんと寝たら。もしかして君の会社ってブラック企業?」
「うーん。私の能力不足もあるし、繁忙期とかもあるし、給料が低いとは言えないし、ブラックではないと思いたいかな」
「何それ。まあいいけどさ。普通に仕事してくれたら」
そう言って月島は私から目を逸らし、先輩の様子を伺った。早く戻ってきてくれと思うのはお互い様だったようだ。確かにこれ以上話題はない。丁度電話を終わらせた先輩が駆け足で戻ってきて、二人そろってお辞儀をしたら、月島も深々と頭を下げて、今後ともよろしくお願いいたしますと言葉を交わす。
仙台市博物館を出たときそろそろランチの時間だった。先輩はそのまま妊婦検診に行ってしまったので、私は一旦帰社するため一人駅へと向かう。平日の昼間は外国人観光客が多い。日本人より明らかに体格が良く、すれ違うだけでもかなり迫力がある。そういえば月島も背が高い。幼少期から知る彼の長身をあまり意識したことは無かったけれど、頭一つ以上身長差があると嫌でも見上げてしまう形になる。それに久しぶりに見たせいか、なんだかとても遠い存在のように感じてしまった。四年前まで当たり前のように私の近くに居た月島蛍。幼稚園から続いた腐れ縁も、ここまでくると何か因縁めいたものを感じてしまう。天を仰ぐと透きとおった美しい青空が広がっていた。これから何もかもうまくいく。そんな予感さえ抱いてしまうような空だった。それなのに、なんだか心がざわついて仕方がない。一体何がそうさせるのか。
思い返せば再会のときから変な感じだった。けれどあの時の私は、これからこの月島蛍と複雑怪奇な関係になるだなんて、知る由も無かったのだ。