高専内に発生した特殊な結界についての報告

第8話

発生日時 二〇〇〇年〇月×日 十四時ごろ
発生場所 応接室および作法室
事件概要 術師二名が五日間に渡り領域内に繰り返し幽閉された。
被害状況 なし



一日目

結界内から脱出を試みるもあらゆる攻撃が効かず連絡手段も絶たれる。室内には最低限の衣食住(別紙参照)が確保されており、二人で安全確認の後、使用。夜間は交代で見張りをしながら休息を取り、翌日に備えることに決定した。

 定例会議を終えた二人は別々の方向へ歩いていったはずなのに、なぜか同じ部屋の前で顔を合わせた。彼女が先に入ろうとしていたところに七海が来たとき、明確に眉間の皺が深くなったのを見て悲しい気持ちになった。彼女が扉を開けて一歩入ったその後すぐ、立ち去ると思っていたはずの七海も続いて入った。彼女がカフェラテの缶を机に置いたと同時に扉が閉まる。七海はそのままソファへ座ろうと歩みを進めたと思ったのに、突然、一瞬にして部屋が異空間へと作り替えられてしまった。考えるより早く二人は瞬時に臨戦態勢をとり、辺りを視線だけで見回す。真っ白な壁と床。意味ありげに中央に配置されたベッド。風呂と便所が部屋の隅にある。入ってきた扉の上には横断幕がかかり、達者な毛筆で【セックスしないと出られない部屋】と書かれていた。

「なにこれ」
「わかりません。一体どうなってる」

 どうやらここは、異質な呪力から成る領域の中らしい。高専内にどうしてこのようなものが現れたのか理解し難いが、過去にも高専結界への侵入事例があったことを思い出して全身の皮膚が一気に粟立つ。あの時のように、何かとんでもないことが起こっているかもしれない。早く出なければ何が起こるかわからない。一緒に閉じ込められた七海も状況がうまく呑み込めないようで、苛立っているのかヒリヒリした空気を醸し出している。しばらく警戒しても何も起こらず、不思議と敵意も感じない。彼女のこめかみから一筋の汗が流れたと同時に、七海が壁を鉈で叩きつけた。

「ちょっと! いきなり大きな音立てないでよ」
「びくともしない」
「書いてある通りなんでしょ」
「ふざけるな」

 七海はもう一度壁に向かって鉈を振り下ろしたが、傷一つ付かなかった。直後に盛大な舌打ちが聞こえてきて、七海の苛立ちが手に取るようにわかる。仕事中の七海はあまり感情的にならないと思っていたが、どうやらそうではないらしい。何度やっても意味は無いとわかっているだろうに不機嫌な七海が三度壁を破壊しようと試みたとき、彼女がドアノブに触れた。

「開かない。閉じ込められた。なんで⁉」
「物理も呪力も全く効かない。お手上げです」

 やれやれと肩をすくめて、七海は部屋の端にあるダイニングセットの椅子に腰かけた。量販店で見かけるような安っぽいデザインのそれは、ギシリと大きく軋んで七海の体躯を受け入れる。全体的に白で統一されたカラーにさえ腹が立ってくるのに、この部屋のどこからも敵意や悪意の類は全く感じない。それどころか、なぜか歓迎されているような気さえした。それでも事実として強固な結界の中に術師二名が閉じ込められている。外では誰かこの部屋の存在に気付いているだろうか。七海も彼女も全く気付かなかったし、校内には五条もいたはずだ。あまりにも非現実的な部屋の存在に、もしかしたらタチの悪い先輩のふざけた悪戯かもしれないという気さえしてくる。

「一通り調べてみよう。諦めるにはまだ早いよ」
「不用意に触れて負傷したらどうするつもりですか」

 真っ先に席に着いた男に睨みつけられながら、彼女は冷蔵庫を開けてみた。ミネラルウォーターといくつかの果物やハムなどが入っており、ガスコンロや電子レンジも置かれている。数日は生きていけそうだが、一秒でも早くここを出るべきだろう。毒物が混入されている可能性もあるし、未知の術式がかけられているかもしれない。全てが怪しく見えてしまうと考えながら、彼女は一通り部屋の中を調べた。七海は座ったまま動かず、前屈みになって小刻みに膝を揺らしている。苛ついていることを隠そうともしないその態度に、もはや腹が立つことは無かった。仕方がない。積年の片思いの相手と共にこんなわけのわからない事態に巻き込まれて、冷静でなんていられるはずは無いのだから。


***


 閉じ込められて数時間後。耐え切れない尿意に限界を感じた七海がトイレへ入った時、静かな空間に小さくチョロチョロと水音が響いた。カーテン一枚で仕切られただけなので当然なのだが、自分の排泄音もこのように聞かれるかもしれないと思ったら、彼女は恥ずかしさで爆発してしまいそうになった。想像以上に室内に響き渡る音を耳にして、いたたまれない気持ちになり彼女は机に顔を伏せた。彼女もまた、限界に達していた。七海と入れ替わりで入ったトイレは、山小屋にでもありそうな簡素な造りだ。生理五日目で出血は少ないとはいえ、ナプキンを当てている現在。ご丁寧にトイレの小さな棚には可愛らしいプリントの生理用品が数枚置かれいた。どうも用意がよすぎる。この部屋は自然発生したのだろうか。誰かのさしがねではないかと考えてしまう。極力音を立てないよう注意して個包装を剥がし、赤茶色の分泌液が付着したナプキンを包んで更にトイレットペーパーでも包む。汚物入れに捨てたかったが、七海も使うトイレに置いておきたくない。彼女はその汚れ物をポケットに入れ、すきを見てゴミ箱の奥底に隠して纏めておこうと思った。

 それからまた数時間後。監禁部屋の時計は午前〇時を示している。誰も術師の失踪に気付かないのか時の流れが違うのか、特に何が起こるわけでもなく一日目の夜を迎えた。親切にも冷蔵庫には保存のきく食べ物があり、パンも置かれている。ここで数日粘れそうな物資がご丁寧に用意されて、風呂もトイレもある。一体誰が何の目的でこんな部屋を作ったのかと二人は愚痴をこぼした。手がかりは何も無い。何も起こらない。ただ閉じ込められているだけだ。簡易的な食事を終え少し休もうと七海は提案した。閉じ込められて半日は経つ。このまま二人して起きていても仕方がないと、彼女のは七海の申し出を了承して狭いベッドに横たわった。あれほど緊張していたのに、目を瞑るとすぐに眠ってしまった。余程疲れていたのだろう。








二日目

引き続き結界の破壊及び解呪を試みるも不可。外部との接触もできず、救援を待つ事に決定。

 翌朝、彼女がはっとして目を覚ますと目の下にひどい隈を作った七海がベッドの隣の椅子に座っていた。

「なんで起こしてくれないの⁉」
「一晩くらい問題無い」

 見張りのためにも交互に寝ることにしたのに、七海は交代の時間になっても彼女を起こさなかったようだ。前日から引きずっていた疲れのせいで朝までぐっすり寝てしまった彼女の目覚めは最悪だ。当然、七海に苦情を言ったが聞く耳を持たない。休憩するよう促しても、椅子でうたた寝をしたから大丈夫だと言う。それは優しさではないと抗議したが、七海の返事は無かった。意見を聞くつもりは無いという態度に腹が立つと同時に傷つきもした。お前を戦力として見なしていないと言われているようなものだと感じたからだ。

 この日も室内を調べ続けたが何もわからなかった。扉の上に掲げられている横断幕は何度破壊しても再出現してくる。セックスしないと出られない部屋。どこの馬鹿野郎が考えたんだと彼女は悪態をついて何度もそれを引き裂いたけれど、何も起こることは無かった。空腹に耐えきれず口にした食品は無害だった。三時間ごとに交代で休憩をとり、二日目も収穫無く終わった。







三日目

明らかな変化なく経過。引き続き救援を待つ。

 空調は効いているが、さすがに二日も風呂に入っていないとなると不快感がある。身体はべたつくし、衣類も汚れている。七海がカーテンで隔離されただけの風呂場を念入りに確認したのち、まずは自分が入って危険が無いか確かめると言った。着替えは無いので服を手洗いしなければならない。せめて下着は清潔にしておきたい。シャワーを終えたら中で身体を拭き、用意されていた薄いバスローブを羽織って上がる。安物なのかうっすらと七海の身体が透けて見え、彼女は目を伏せた。こんな場所で裸になるなんて無防備もいいところだが、何も起こらず三日目となり、二人とも少々気が緩んでいるのだろう。続いて彼女が入る。シャワータオルは一枚しか無く、七海が使った後のものを使用するしかなかった。二人が恋人同士であれば当然使い回すことに抵抗は無かったかもしれないが、二人はただの同僚で、友人でさえない。それどころか避けられている。彼女は心の中でこんな事になってごめんなさいと謝ってから七海の使った後の浴室で身体を清めた。バスタオルからはなぜだか落ち着く匂いがした。







四日目

トイレの排水が詰まり七海が修理。その他変わりなし。

 監禁生活四日目。何も起こらず迎えた朝。交代で休憩するはずが、七海が寝ている最中に彼女も机に伏せて眠ってしまった。あまりにも緊張感に欠いた行動だと七海に指摘されたが素直に謝ることができない。お互い疲労が蓄積してきているのはわかっていた。会話はほとんど無く、一時間ごとに部屋の状況を確かめて記録に残す。これはいつ終わるのだろう。もしかしたら本当にセックスしないと出られないのかもしれない。七海は大きな溜息を吐いた。いつもなら彼女の文句が続くはずだが、それさえ無くなってしまった。お互いに疲れ切っている。








五日目
壁面掲示物の指示に従うことに両名合意。監禁部屋でのセックスを【男性器を女性器へと挿入する行為】であると推察し、性行為を実施。開錠され脱出。部屋を出るとともに領域は消失。両名明らかな外傷なし。