七海と同い年だとわかって以来、幾度も食事を共にした。呪いが現れたら連絡をして、終業後に報告するという流れだ。緊急性が高い時は必ず一時間以内に現れ、職員や患者の安全を第一に手早く祓除する。その後私が食事に誘うと、七海は毎度おなじみ億劫そうな顔をしてくれはするものの、断られたことは一度もない。互いにかなり打ち解けたようにも思うが、一歩を踏み出させない何かを彼は纏っているように感じる。呪いを視認できるという秘密を共有しているはずなのにどこかで一線を引かれ、これ以上私が入り込む余地は無さそうだ。彼をもっと知りたいというこの感情は何だろう。始めのころより砕けた口調で私をからかう七海をビールジョッキ越しに眺めながら、明日は早出なのでそろそろ帰らなくてはと考えていた。すっかりぬるくなってしまったビールをごくりと飲み干してジョッキを置くと、酔いが回ってきたのか予想以上に大きな音を立ててしまった。驚かせたかなと思って七海へ視線をやると、伏せていた眼を私のほうにゆっくりと向け、ふっと息を漏らして、珍しく頬を緩めて笑った。
「来月から担当エリアが変わる。来週、まだ日は未定なんですが、引き継いでくれる後輩を連れて行きます」
「そっか。呪術師にも異動とかあるんだ」
唐突な申し出に驚きつつも、当たり障りのない返事をした。本当は、ひどく動揺している。それを知られてはいけない気がして、落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。大丈夫。仕事柄、大抵のことには驚かない。吐下血も切断肢も、死んだ人間も死にそうな人間も見慣れてる。なんだか七海も少し悲しそうな顔をしているような気がする。寂しいと思っているのが私だけでないと、嬉しいなと思う。何か言おうかと思案していると、七海もグラスに残っていた酒を空っぽにして、伝票を手に取り、流れるように会計へと向かっていった。ずっと座ったまま動かないでいてやろうか。七海はどんな反応をするだろう。そんないじわるな気持ちが湧かないでも無かったが、素直に付いていって暖簾をくぐる。私がごちそうさまでしたと言えば、七海はポテトサラダが美味い店だったと答えた。いつもは次は貴女の番だと言うのに。一度も払えと言われたことはないけれど。
「近くに来たら、また寄ります」
「後輩くんのプレッシャーになるんじゃない?」
普段通りに笑って、適当な返事をして、また奢ってよと言って別れようと思う。時刻は二十時半をまわったところ。男女の飲みにしては健全な時間に七海はいつも自宅まで送り届けてくれる。大都会からは少し離れてはいるものの、まだまだ繁華街は賑やかな時間だ。雑踏のなかで七海の革靴の音がやけに大きく聞こえた。人が集まるところに呪いは集まるというのならば、今ここに呪いが現れてもいいじゃないか。オバケでもなんでもいいから、この時間を少しでも長引かせて欲しいと思っているのは私だけではないはずだ。いつも口数は少ないけれど、今日は一段と静かだ。隣を歩く七海の表情を見るのが怖い。やっぱりまだ、帰りたくない。
「もう一軒付き合ってよ。今日が最後になるかもなんでしょ」
「行きたいのは山々ですが、面倒な先輩に呼び出されてる」
先輩が誰だかなんとなくわかったし、それが嘘だということもわかった。招集される可能性が少しでもある場合、七海は一滴も飲まない。
「そっか。残念。次は私が奢ります!」
返事は無い。おかしなくらい穏やかな表情で私をじっと見つめただけだ。自宅に戻ると、どう考えても寂しくて少し涙が出た。まあでも、窓として活動している以上、お互い生きていれば、また会えるだろう。
――二〇一八年十月三十一日
渋谷で異変が起きている。次から次へと急病人がやってきて追いつかない。外来の待合にストレッチャーやマットレスを片っ端から引っ張り出し、トリアージタッグを付けていく先輩の傍ら、搬送依頼を応需する。渋谷から当院はかなり離れているにも関わらずPHSにはひっきりなしに救急搬送の依頼が入り、とてもじゃないがすべてを受け入れることはできない。呪術界に何か大変なことが起こっているのだとわかったが、私が向かったところで何の役にも立たないだろう。ここで一人でも多くの患者を救う。それが私の使命なんだと思う。さきほど断ったばかりなのに、またすぐにホットラインが鳴る。
『渋谷第二救急隊、搬送連絡です。国籍および身元不明の二十から三十代男性。左上半身の広範囲に三度熱傷。頭部熱傷著しく左眼球は欠損。右半身にも咬傷や刺傷、打撲痕を多数認めます。受傷原因はわかりません。バイタル申し上げます。JCSⅢ―200。血圧189/101、脈137回、体温37.4、SpO2 99%。受け入れ可能でしょうか』
国籍不明。二十~三十代男性。渋谷から。もしかして、と不吉な考えがよぎる。だって、きっと、渋谷には今、大勢の呪術師たちがいるはずだ。
「何分後ですか」
外傷患者に緑のトリアージタッグを付けている先輩がぎょっとして私を睨みつけた。後ろから救急医が断れと叫んでいる。でも、彼らのうち誰かだったら。もしも、七海だったら。
『十分くらいです。ありがとうございます』
「はい。気を付けて来てください」
結局七海とは、あれっきり会っていない。彼の後に来た後輩術師は大変よくやってくれ、この仕事は七海でなくてもよかったんだと思うと、また悲しかった。後輩に七海のことを聞けばよかったのかもしれないが、なんとなく気まずいような気がして何も聞けなかった。あのとき最後になるかもしれないと思ったのに、もう少しまともな挨拶をしていればよかったとずっと後悔していた。これから搬送されてくる誰かが七海ではないことを祈りながら、黄色のトリアージタッグを付けている患者を初療室へと搬送する。開け放たれたERの扉の向こうから、救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえてきた。
どうか違っていて欲しい。
悪い予想が外れますように。