ここは新大阪駅。
何が新しいのかは知らないが、新幹線がバンバン乗り入れる大阪陸の玄関口である。七海は京都校にどうしても立ち寄らなければならない用があり、この度関西方面へ出張となった。そのついでといってはなんだが、ここ大阪で古い友人に会うことにしたのである。
「うぉーーーーい! ななみーーーー! めっちゃ久しぶりやーーーん‼」
金髪に奇抜なサングラスの妙に目立つ人物がキャリーケースを引いて改札を出ると、この世のものとは思えない大声が自身を呼ぶ声が聞こえ、大阪に立ち寄ったことを早くも後悔した。七海と呼ばれたその男は心底嫌そうな顔をして声が聞こえるほうに背を向け、大きく手を振る女を無視して乗り換え口へ向かおうとした。行き交う人々は七海と女を一瞥して「なんか言うてるわ」とかなんとか一言二言呟いたものの、その後は何もなかったかのように自分の世界に戻っていった。大声。金髪。変なメガネ。これがこの世界の日常であるとでもいうのだろうか。まるでコントのような光景に見向きもしない大阪人たちの正気を疑いながら、七海は足早に次のホームへと向かう。
「おいおーい! 無視かい!」
存在を無いものとして扱われた女が、切符売り場付近でズッコケている。当の七海は完全に他人のふりをして御堂筋線の乗り換え口へと歩みを進めており女のほうを全く見ていないにも関わらず、見事なオーバーリアクションだ。足早に立ち去ろうとしたがドタバタとめげずに追いかけてくるので、七海は関西最大級のため息をついてピタリと立ち止まった。次の瞬間、七海の背部に柔らかいものが勢いよく当たり、「ぐえっ」と蛙の鳴き声のような音が聞こえてきた。まるでギャグ漫画のように七海の背中に女がぶつかっている。前を見ていなかったのだろうか。
「もう! 急に止まらんといて!」
女はジタバタ手足を動かしながら斜めにずれたサングラスを直し、七海の背中に文句を言った。それからニヤっと口角を上げてぐるりと前に回り、小ぶりな手で七海の手首を掴み、薄いブルーのレンズをわざとらしくずらして、上目遣いでこう言った。
「久しぶり! めっちゃ男前になってるやん!」
弾ける笑顔でニカッと白い歯を出し笑った。一連の流れはまるで台本に書いてあるかのような動作で、相変わらずだなと七海は思った。得意そうな顔で七海の反応をうかがっているのが妙に腹立たしく、驚いた反応なんかをすると更にうるさくなりそうなのでやめておく。ここは冷静に、ビジネスモードで返事をすべきだ。女の思い描いている旧友感動の再会をしてやってもいいが、思い通りになりたくないという捻くれた気持ちが存在している。昔からこの勢いに振り回されてきた七海は大人になった今こそ、もう二度と女のペースにのせられてたまるかと反骨精神をメラメラと燃やしているのである。
「お久しぶりです。元気そうですね」
「元気も元気! 十年ぶりちゃう?」
七海の塩対応にもめげず、女はにこにこと機嫌良さそうにしている。いつの間にか二人で横並びに歩き、乗り換え駅のホームへと降りた。背が高くなったとか、いい身体になったとか、まるで七海のご機嫌取りでもするかのように外見をペラペラと褒めちぎりながら、アッチ、コッチと自然にエスコートした。都内の駅もダンジョンさながらだが、ここ大阪も同様らしい。女は嬉しそうにしているし、七海も懐かしさで気恥ずかしいながらも居心地が悪いわけではなく、土地勘もないので黙ってついて行くことにした。
元気はつらつとしたこの女は、かつて七海の同期だった。高専二年になったばかりの春に京都校へと転校して以降、風の噂で名前を聞くことはあれど二人が再び会うことは無かった。女の言う通り、実に十年ぶりの再開だ。それなのに、この落ち着きの無さである。成人してそれなりに仕事もこなし少しは落ち着いたものかと思っていたが、いまだにあのころと変わらぬエネルギー量で生きているようだ。人間の活力を測るスカウターのようなものがあれば、計測器は振り切れるだろう。これで後方支援型の術式であるのだから不思議なものだ。
「……なみ! 七海! ななみーーー! 聞いてる?」
はたと気付くと、女は七海の顔を覗き込み訝しげな表情をしていた。昔のことを思い出していたら、しばらくぼんやりしていたようだ。ああすみません、と気の無い返事をすると、女は顔中にハテナを浮かべて口元に手を添え、コテンと首をかしげてみせた。それからウンウン唸ったと思えば、次の瞬間には目を見開いてハッとしたような顔にかわり、そして、わざとらしくゴクリと息を飲む。それからもったいぶったようにたっぷりと間をおいて、静かに口を開いた。
「わかる。久しぶりに会う同期がこんな美女になってたら動揺するよな」
真剣な眼差しで七海を見つめる女が腕を組みながらウンウン頷いている。一体全体、何がわかるというのか。七海は日本最大級のため息をついた。これ以上付き合っていられない。やめさしてもらうわ。おっと危ない。早くも関西パワーにのまれそうになっている自分を戒めるかの如く、七海は静かに吸って吐いて深呼吸を繰り返した。落ち着。もう昔のように振り回されるのはごめんだ。
「失礼。話の続きを」
抑揚のない声で返ってきた返事を聞いた女は、毎度おなじみズッコケるリアクションをした。既に見慣れてしまったような気になるその動きについて、いちいちツッコんでいては相手のペースにのまれてしまう。七海は眉一つ動かさずじっと女を見つめた。そんな七海の不自然な態度を気に留めることもなく、促されるままに続きを話し始める。
「七海は大阪来んの初めてやろ? 大阪と言えば粉もん文化。もうわかりましたね。そう、今日はお好み焼きの有名店をご案内したいと思います!」
ジャジャーン! と派手な効果音を口にしたと思えばパチパチと手を叩き嬉しそうに笑いながら、七海の反応を期待している。しばらく拍手を続けるも七海は微動だにしない。能面のような表情で女より頭一つ以上高い位置から見下ろされ、さすがに心配になってきた。お好み焼きではいけなかったのだろうか。たこ焼き。イカ焼き。焼きそば。串カツ。それかネギ焼き。いやいやここは、かすうどん。女の頭の中に大阪名物が浮かんでは消えた。
「……あれ? 期待はずれやった?」
唇を尖らせて拗ねたように言う女を七海は変わらぬ表情でじっと見つめる。十年前とは違う化粧と服装。黒の上下に渦巻きのボタンだったあの頃とは違う、大人の女性になった女を見るのは新鮮だった。外見こそ変わったものの、ほんの数十分でわかるあの頃のままの女を見て、七海はなぜかほっとした気持ちを抱いていることに気づく。実は七海は一年の頃、この女にほんのりと心を寄せていた。同級生に女一人だから、そこにしか目がいかなかっただけかもしれない。しかしまあ、なんともくすぐったい思い出である。その想いは女の転校で亡きものになったのだが、大人になってこのように再会できるとは思っていなかった。青春時代の懐かしい気持ちがよみがえり、少々おさまりが悪い。女子が、というより生徒自体が少なく、身近にいる同じ境遇で同じ釜の飯を食べる異性に意識が向くのは仕方がない。誰に言うでもなく、言い訳がましい思考が七海の脳に浮かんでは消える。
「あのォ、七海サン?」
七海の返事を催促するように女は覗き込む。少し眉を下げて不安げな表情をしていた。それでもまだ、七海はじっと女を凝視して何も言わない。舌が肥えた東京人の七海には、天下の台所の粉もんグルメなど叶わないのかもしれない。パスタ。ビフテキ。ピッツァ。シュラスコ。パンケーキ。モコモコ白いタイヤメーカーのアイツの顔が浮かんでくる。女はついに、バツが悪そうに一歩下がっ高架下のお好み焼きた。負けたのか、東京に─。
一方七海は、女のくるくる変わる表情を楽しんでいた。ドヤ顔をしていたと思ったら、漫画のように冷や汗を垂らし焦り始める様子を見て、吹き出しそうになるのを必死に堪えているのだ。顔には出ない出さない己の特技が生きたと七海は思った。昔こそ振り回されて散々な目にあってきたが、こうしていま自分が女を翻弄しているという事実には、得も言われぬ満足感がある。しかし露骨に動揺している女が少し不憫になってはきていた。もうそろそろ我慢の限界だと、七海はふっと声を漏らして笑う。
「いえ、楽しみです」
仏頂面で睨みつけてきたと思えば急に笑い出す七海を見る女の顔には、クエスチョンマークが大量に浮かんでいるように見えた。
「前から思っててんけど、七海ってホンマ、よーわからん!」
何が何だかわからないが、七海のゴキゲンは悪くなさそうだ。大きな口をあけてケラケラと笑う女を見て、七海はわからなくて結構、と思った。
ビルとビルの間の狭い路地を歩きながら思い出話をしていると、いつの間にか地下から地上に出てきていた。新梅田食道街。新しいと言う割には随分と古めかしい佇まいの店が多い。やけに天井が低く感じて少々圧迫感がある。しかしどこも活気に満ちて、老若男女問わず大勢の客で賑わっていた。そこかしこから聞こえてくる爆笑の嵐。まだ日も暮れていないというのに、既に出来上がっている人間が山ほどいるらしい。七海がちらちらとどんな店があるのか伺いながら歩いていると、白い暖簾がかかった店の前にやってきた。突然立ち止まった女はくるりと七海へ向き直り、スマートフォンを印籠のように掲げてみせた。その画面には某有名グルメ口コミ共有サイトが表示されていた。女が胸を張って得意げに言う。
「じゃーん! ここでーす! ネットでランキング上位!」
「ネット……。アナタ食べたことないんですか、ここ」
女はさっと目を逸らし、俯き「実は……」と言うと、また下からじりじりと七海を覗き込みながら左手を腰に当て、右手の人差し指をピンと立てる。
「真の関西人はお好み焼きは家でやるもんやから、あんまり店には食べに行けへんねん」
さも当たり前であるという態度で主張されると、なるほどこれが関西の常識かとさえ思ってしまう。二人はしばらく真剣な表情で見つめ合った。そしてまた長いタメのあと、女はわざとらしくキリリとした表情で言う。
「知らんけど!」
「……、っ!」
七海は思わず奥歯を噛み締め小さく唸った。一連の流れから、どうもこの女にからかわれているらしい。両手をぐっと握りしめ肩に力が入る。何か言い返してやろうかと考えていると、女は「もう我慢の限界や」と言いながら、突然笑い転げ始めた。何がおかしいのか知らないが、涙をためながらヒーヒー半泣きで笑っている。ここで何か反応を示せば相手の思う壺だと溜息の一つでもついてやりたいが、七海は耐えた。そしてなんとか耐え抜いた。
「ゴメン、ゴメン。久しぶりに同期に会えたから嬉しくてはしゃいじゃって。七海変わってないなホンマに。クールすぎ」
ムスッと棒立ちをする男をよそに、女は瞳に溜まった涙を手で拭い、反対の肘で七海の腰をツンツンと小突いて店に入るように促した。くすぐったいのに、悪くない。思わず緩みそうになる口角へ動くなと必死に命令して堪え、突かれた分だけ一歩、また一歩と七海は進んだ。その反応に気を良くしたのか、エイエイこのこのと言いながら嬉しそうに、女は七海の脇腹を突き回す。この女のペースにのまれるのは癪だが、七海もまた、久しぶりに同期と会えることに浮かれていた。
女にされるがまま店の暖簾をくぐり店内に入ると、鉄板から放たれる熱気とすこし焦げたソースの匂いが充満している。途端に二人は空腹であったことを思い出した。腰が低く丁寧な接客の年配女性にカウンター席を案内され、横並びに腰掛ける。カウンターごしから活気に満ちた声で「なにしましょ!」と注文を聞かれ、二人は迷いなく答えた。
「豚玉と、ハイボール!」
「モダン大と生ビールで」
女は元気よく挙手をして注文をしてから様子を伺うように七海のほうを向き、口を尖らせてこう言った。
「……ちょっと味見させてな?」
「嫌です」
「がくゥっ!」
着席しても相変わらず女は肩からズッコケたリアクションをとった。気を抜いていた七海がふっと笑い声を漏らすと、女は満面の笑みでガッツポーズをした。関西ではこのリアクションは標準装備なのか、隣に座るサラリーマンも談笑しながら同様に相方がコケていた。七海はほんの少しだけ浮いた感じを覚えたが、周囲を見渡しても誰も二人の様子を気にすることなく、それぞれが食事を楽しんでいる。女は隣の観光客らしい女性二人組にオススメメニューを聞かれ、得意げに教えていた。初めて来たような反応だったくせに、もしかして常連なのかもしれない。このあと海遊館に行きたいと言う二人に「バスやったら大阪駅からイッポンで行ける」と答え、更には世間話まで始める始末だ。二人で食事に来たというのに、七海は一人お冷グラスを傾けながら手際よく焼かれるお好み焼きを眺めていた。すると女が「お好み焼きが怖がるからそんな顔やめえや」と言い、女性たちは「アラごめんなさいねえウフフ」と謝り、お店の大将は「こんなぺっぴんさんらに食べてもろたらお好み焼きも喜びますわ」とほがらかな表情でほほ笑んでいた。隣のサラリーマンまで一緒になって「ハッハッハ!」と笑っている。異国の地の異空間で、いつの間にか女のペースにのまれていることに気づく。まあ、悪くはない。
「郷に入っては郷に従え」
七海が唐突に言うので、隣に座る女はきょとんとして目を丸くした。
「〝メッチャ〟楽しみです」
七海がドヤ顔かつおかしな抑揚でエセ関西弁を話すものだから、女は「イントネーションがちゃう!」と声をあげて笑った。つられて七海も少年のように笑ったので、女は高専一年の夏に川遊びをしてびしょ濡れになった日のことを思い出した。みんなで過ごした楽しい思い出の一つだ。 二人の目の前で大将が慣れた手つきで何枚ものお好み焼きをひくっり返し、次々に焼き上げてそれぞれの客の元へと運ばれていく。カウンター席でライブパフォーマンスが見られてラッキーだと二人は思った。香ばしい匂いが二人の期待を最大限までふくらませる。七海の怖い顔を見てしまったお好み焼きたちも美味しくきれいに焼かれたようで、そこかしこで「うまい!」やら「やっぱりこれやわ」と聞こえてきて、七海はほっと胸を撫でおろした。
とりあえずお冷で茶を濁しつつ焼き上がりを待つ。まずは豚玉から。豚肉が並べられ、その上に手際よく混ぜられた生地を鉄板に流すと、ジュワーっと耳当たりのいい音が聞こえてきた。これでもかとキャベツやネギを乗せ、更に上から生地がかけられていく。次はモダン。この店のモダン焼きは少し特別なようで、先に焼きそばが作られ、そこに卵を絡めて焼き上げるらしい。そうこうしているうちに豚玉が手早くくるりと返された。またしてもジュウジュウとにぎやかな音を立てる。しばらくして焼き上がり目前のお好み焼き達は上からギュっと押さえられ、ジュッっと美味しそうな音をたてる。そして芸術的にソースとマヨネーズがかけられ、七海と女の目の前にやってきた。
「おいしそー! ヨダレが……」
「えっ。本当に涎が出てる」
リアルな世界で涎を垂らす人物を初めて見た七海は、思わずツッコミを入れてしまった。しまったまた女が調子にのると危惧していると、ハイボールとビールがやってきて事なきを得た。ちょっと遠慮がちな乾杯をしたら、焦らされ続けた二人は早速コテを使ってお好み焼きたちを切り分けはじめる。先ほどは嫌だと言っていた七海だが、モダンを切り分けてやった。女は瞳をうるうるとさせて七海に向かって手を合わせ拝んだ。
「七海……ありがとう……」
「いちいち泣かないでください」
お好み焼きも少し切り分けてやり、二人は手を合わせ『いただきます』とハモる。大きな口をあけて一口食べれば、出来たて熱々で最高に美味しかった。豚玉は豚肉がカリカリで香ばしい。特製ソースが鉄板で少し焦げたところも美味い。中はフワフワの生地にしっかりと味がついている。ひっそりと乗せられた大葉がアクセントになって、ソースやマヨネーズと見事に調和している。モダンはというと、ふわりと出汁の香りがたち、スパイシーなソースにも負けていない。卵と焼きそばが絡み、いくらでも食べられそうだった。そしてビールとハイボールが最高に合う。お腹がペコペコだったこともあり、二人は一言も発することなく夢中で食べ終えた。
大満足で店を後にした二人は夜空を見上げた。すっかり外は暗くなり、そこかしこでネオンが輝いている。
「最高やったな……」
「東京にも店があるようです」
「帰っても安心やん」
何が安心なのかはわからないが、女はそう言いながら歩道橋を進む。七海は若者やサラリーマンが行き交う様子を見て、みんなこれからどこに向かうのだろうと考えた。まだまだ整備中だという大阪の街を眺めてみる。東京と同じようなビルばかりが立ち並んでいるはずなのに、不思議と温かみがあるように思えた。
「さて、お腹いっぱいになったし、よい子は帰る時間になってまいりました」
七海の滞在するホテルが近づき、女が悪戯っぽく笑いながら言う。七海もにやりと口角を上げ、腕を組みながら女を見る。
「悪い大人なので、一杯付き合ってください」
それを受けて女はくるりと踵を返し、得意げな笑みを浮かべた。
「しゃーないなあ。私が夜の大阪を案内したるわ!」
女は「コッチ!」とホテルとは反対方向へ向き直り、ついて来いと言わんばかりに歩き出す。七海はうつむいて笑いながら、女の指し示した方向へ歩みを進める。
二人とも久しぶりの再開に心踊っていた。大阪の夜はまだまだこれからだ。