夕立





「なんか急に雲行きが怪しいね」

 雨が降る前の湿った匂いが漂い始めたと思ったら、台風みたいに強い風が吹き荒れる。今まで快晴で暑いくらいだったというのに、みるみるうちに太陽は雲に覆われて見えなくなってしまった。ここ最近は急な大雨が頻発しているらしいから、神様の機嫌でも悪いのだろう。

「ひと雨きそうやな。どっかで雨宿りするか?」
「いや、もうちょい待とう。せっかくここまで粘ったんだし」

 とある事件の被疑者の潜伏先がこの辺りにあるという情報が入り、早朝から張っている。それらしき人物が雑居ビルに出入りしているが、肝心のホシは未だ姿を見せていなかった。張り込みを始めてから既に十時間は経過していて、今更諦めたくない。

 柴が買ってきてくれたあんぱんを口に押し込み、牛乳で流し込む。ビルの上には日差しを遮るものが無いから、今日で日焼けしたと思う。このまま曇りのままでいて欲しい。そう願った途端、遠くのほうで雷鳴が轟く。あまり得意ではない音を聞いて、ビクリと肩が震えた。そんな私を柴がからかう。

「怖いん? カワイイとこあるやん」
「うるさい。雷なんて――」

 怖くない。そう言い返そうとしたとき、大きな雨粒が私の頬を叩く。あっという間に辺り一面真っ黒い雨雲に覆われていったと思ったら、間髪入れずにボタボタと雨が降り始めた。ここで一旦引くべきかと悩ましい。でも、あと少しで手掛かりを掴めそうな気もする。落ち着かない私の気持ちを映したように、一分も経たず土砂降りとなった。

「うおっ。急に雨脚強なったな」

 隣の男はさして驚きもせず、呑気な声を出す。私の肩に手を置いたから、きっとどこかへ飛ぶつもりなのだろう。でもこのまま適当な場所へ行こうものなら、今までの苦労が水の泡だ。それに私は柴の妖術と相性が悪いらしく、他の人より飛んだあとの不快感が強い。本人のことは憎からず想っているのに、皮肉な話だ。バケツをひっくり返したような雨の中、辺りを見渡す。雨宿りしながら監視できそうな場所は――。

「柴、あそこ! 走って!」

 数件隣の雑居ビル上にある神社を目指して駆ける。真っ赤な鳥居が豪雨でも目立ってわかりやすい。私と柴を急かすように、大粒の雨が次々と降り注ぐ。

「カー。パンツの中までビッチャビチャや」
「はあ。運が悪かったね」

 なんとか辿り着き、息を整える。小さな社の屋根を奪い合うみたいに、柴とくっついて雨をしのぐ。濡れて冷たいかと思った柴の身体は、驚くほど温かくて心地よかった。すっかりびしょ濡れになったシャツの裾を絞ると、嘘みたいに雨水が滴って、もうここまでくると笑うしかない。

 隣の男を横目で見ると、濡れた髪をかきあげながらニヤついていた。

「いや、そうでもないで。ツイてるわ」
「ハァ? アンタ何言って――」

 視線は、私の首から下――胸元に注がれている。俯くと白いシャツが濡れて透け、下着が浮いてしまっていた。機能性重視のスポーツタイプで、さらに色はベージュという色気も何も無いブラジャーが恥ずかしすぎる。

「ちょッ! ジロジロ見るな!」
「そっと上着でも掛けたろかな思たけど、俺もシャツ一枚やし残念やなァ」

 ケラケラ笑いながらも、視線は外さず固定している。見られて減るものでもないし、モジモジしたところで可愛いと思われる歳でもない。それに、すけべな視線を送ってくる柴だって、同じような格好だ。

「っていうか、柴も大概なんだけど」
「ジロジロ見やんといて~。すけべ」

 濡れた白いシャツがピタリと身体に張り付いて、隆々と盛り上がった筋肉をくっきりと浮き上がらせている。なんなら乳首も薄ら透けていて、見てはいけないと思えば思うほど、そこばかりを見てしまう。当然、柴は私の目線がどこを刺しているかなんて気づいている。張るな、胸を。取るな、ポーズ。

「びしょ濡れになっちゃったし、ここらで仕切り直そうか。ちょっと休憩」
「おっ。丁度ええとこに、休憩一時間二〇〇〇円て書いてるわ」
「ホントだ。行こう」

 目の前のいかがわしいホテルを指差しながらヘラヘラする男の手を取って、引っ張っていく。振りほどこうと思えば振りほどけるくせに、いとも容易くついてくる。

「……ほんまにええの?」
「柴は絶対に不誠実なことしないって信用してるから、ね!」

 自分から言い出したくせに戸惑う柴が可笑しくて、思わず吹き出してしまった。からかってるわけじゃない。別に、柴となら、いいよって思ってる。なぜいいかってことはなんとなく悔しいから、心の中でさえも言いたくない。だから、柴から言ってよ。

「え~……。なんやねん、これ。俺、試されてる?」
「正しい順序を踏んでくれるなら、許可します」

 したり顔で言い終わり余裕たっぷりでいたつもりだったのに――。柴の顔に本気が見えて、一気に胸が高鳴るのがわかった。美しい色の髪から滴る雫が彼の頬をすべり、繋がれた私の手の甲をなぞる。ぽたり、ぽたりと垂れる水滴が私の鼓動を更に速めていく。

 理性が溶けかけた視線を送る男は、私の動揺を楽しんでいるのだろうか。

 都合よく雨は止み、雨雲の隙間から晴れ間さえ射しはじめた。

 この先に起こる変化を期待してしまうような空模様に、身を任せてしまってもいいかもしれない。