君の好きな人になりたい





 幼馴染というほどしょっちゅう会っていたわけではないけれど、私と六平千鉱の付き合いは長い。彼の境遇は断片的にしか知らないし、あまり多くは語らないから私も聞かないようにしていた。けれど、顔に大きな傷ができて以降、彼の人生に影が差したように思う。そんなチヒロが少しでも笑えたらいいなと思って、こうして会えたら楽しい話を提供できるように努力している。思い出話ばかりじゃあ、前を向けない気がしたから。

 久しぶりに会ったチヒロはまた背が伸びていて、並んで立ったらもう見上げるくらいに大きくなっていた。お土産のお菓子はあまり食べないけれど、いつもありがとうと言って微笑んでくれる。彼が甘いものを好まないことは知っていた。手ぶらじゃ悪いというのもあるし、私が食べたいというのもある。なんでも受け入れてくれるチヒロに甘えているんだと思う。そんな気安い関係が心地よかった。

「チヒロはさあ、好きな人とか気になる子いないの」
「あまり考えたこと無かったな」
「大変だもんね、色々。恋愛どころじゃないか」

 机の上に広げたお菓子を一人でつまみながらなんとなく恋愛の話題を振ったあとに、悪いことをしたな、と思った。彼の現状を考えるとそれどころじゃないなんてこと、わかっていたはずなのに。勝手に気まずくなるのも申し訳ないと思いながら、隣に座るチヒロの顔を見ることができず、もそもそと豆菓子を咀嚼した。甘じょっぱ系ならチヒロも食べるかな、と思ったのに、やはり彼は手を付けない。どこまでいっても裏目に出る己の行動全てが不甲斐なく、勝手に恥ずかしくなって俯いた。今、彼は、どんな顔をしているのだろう。

「いつか落ち着けたとき、いいなって思う人がいたら、考えていいんじゃない」
「そう思えたらな」

 言い訳をするように次の言葉を紡ぐ。今は大変でも、いつかきっと、終わりがくるはず。全部落ち着いたら自由になれるだろう。そんな何の根拠もない希望的観測を口に出しても彼が癒されるわけなんてないのに、今日の私は失敗ばかりだ。

「私もいいなって思える人に出会ったら、愛とか恋とかしてみたいな」

 ここで謝ったら彼の人生を否定してしまう気がして、もう少しこの話題を続けることにした。私は六平千鉱のことが知りたくて仕方がない。彼の考えにもっと触れたくなって、また試すようなことを言ってみる。彼はいつだって公平で、偏りがない。私の配慮に欠けた発言でさえも拾ってくれるから、許されたのだと勘違いしてしまう。

「……」
「変なこと言った。ごめん」

 珍しく黙り込んで俯いている横顔から感情は読み取れず、沈黙の時が流れる。結局謝ったことで、彼の人生における恋愛史を否定した形になってしまった。チヒロを傷つけたかったわけじゃない。理解したい。それはもう純然たるエゴでしかなく、やはり止めておけばよかったと後悔の念に駆られたけれど、もう遅い。口から出た言葉は取り消せない。既に届いてしまっている。

「これは恋愛じゃないのか」
「え?」
「俺は君のこと、大切に思ってる。俺の好きな人だ」

 チヒロは一人で何かに納得したらしく、ウン、と大きく頷いて私のほうを向いた。いつもみたいな真っ直ぐな目で見つめられると、動けなくなってしまう。困惑と同時に、ふつふつと湧き上がる、とある感情に気付く。炭酸みたいにぷつぷつ弾け始めたそれは、自覚すると途端に胸が騒ぎだす。これ以上はいけない。

「そういう〝好き〟じゃなくって、私たちはホラ、付き合い長いから――」
「言葉にするとわかる。これはそういう〝好き〟だよ」

 身体ごとこちらを向いたチヒロがぐっと近づいてきて、一点の曇りもない眼差しから彼の真意を理解した。彼の枷になりたくない。わかっているのに、愚かな私は彼の優しさにしがみついてしまいたくなる。

「……チヒロ、近い」
「近づいてるからな」

 いつだって真っ直ぐで、何もかもそのまま受け止めてくれる彼は、本当に懐の深いいい男だと思う。

「……チヒロ、どうしたの」
「俺も君の好きな人になりたい」

 私が頷くと、チヒロがもっと近くなった。首筋に埋まる彼の頭を撫でるべきか、背中に手を回して抱きしめるべきか迷っていると、肌に唇が触れたのがわかった。チクリと痛んだかと思えば、頬を赤く染めたチヒロがそそくさと離れていった。もう少しこのままでも良かったかもしれないが、心臓があまりにもうるさいから、お互いに今日はこれくらいにしておいたほうがいいのだろう。
 この印マーキングはシャツの襟に隠れて見えないけれど、チヒロの明らかな意図を感じて嬉しく思う。
 離れろって言ったって、もう遅いからね。私も巻き込んで、連れて行ってよ。この先がいばらの道でも地獄でも、貴方と共に逝く覚悟はあるのだから。