「ただいまァ」
「おかえり。っていうか、久しぶり」
十九時。ようやく仕事を終え帰宅して、すぐのこと。着替えようと時計を外していたら玄関が開く音が聞こえ、二週間ぶりに登吾が帰ってきた。いつも急に消えて、今から帰るなどの一言も無しに、いきなりこうやって戻ってくる。全く意味がわからないが、それでもなんとか恋人という関係を続けている。ときどき私って都合のいい女なのでは……? と思ってしまう日が無きにしも非ずだ。けれど彼から他の女の気配を感じたことは一度たりともないから、監視の目を光らせつつずっと泳がせている。
「あ~、疲れたァ。さすがの俺も限界やァ。メシ風呂寝るせな死んでまう」
「ご飯は買いに行かないとないし、風呂は今から沸かすし、寝るにも今日はシーツ洗ったからすぐには無理だよ」
「エーッ! じゃあ俺なんのために帰ってきたん⁉」
登吾のこういうところが「やっぱり私って……?」の思考にさせる原因だと思う。まあいろいろと大変な事情があるのは察するけれど、あまり滅茶苦茶なことはしないでほしい。心配もあるが、人様に迷惑をかけてくれるなという気持ちも大きい。独りで生きているんじゃないという自覚を持ってほしい。もういい大人なのだから。
まずは腹立たしい発言を是正せねばなるまい。ここは私が契約している家で、勝手に転がり込んでいるのは彼のほうである。その立場をわからせてから、メシ風呂寝るが円滑に行えるように段取りしよう。こういった日々の教育及び指導が大切だ。男にハマって尽くす女にだけはなりたくない。私だって働いているし、ついさきほど帰ってきたばかりでクタクタだ。生活の場を共有するならば、何事も分担もしくは一緒に取り組まなければ、よい恋人関係の継続は困難だろう。
「人の家を都合のいい休憩所みたいに言わないで」
「冗談やん。先にお風呂沸かしてきますゥ。メシは適当に頼んどいて。そのあいだ俺シーツ掛けとくし」
「じゃあ、お蕎麦でも頼もうかな」
日頃の教育指導の賜物か、ただ一言嫌味を言うだけでほとんど自分でやるというのだからまあ、可愛いものである。なんだかんだとこの男はマメな性格だ。食器を洗ったり片付けものをしたり、私が脱ぎ散らかした服も畳んでくれるなど、気が利く一面もある。これなら休みの日にグースカ昼まで寝ていても、許してやろうという気持ちになる。何日も帰ってこなくても、待っていてやろうとも思う。私は懐が広い、いい女だから。
「今日は何してたん?」
「申請のない帯刀者を取り締まる簡単なお仕事」
「なんやねんそれ」
蕎麦の出前を頼んだら、二人で協力して布団にシーツをかける。今日は久しぶりにすっきりと晴れる予報だったから、外干しして出かけた。けれど途中曇り空がしばらく続いていたし、取り込みもこんな時間になってしまったし、なんだか湿気ているような気がしてならない。疲れた恋人に気持ちよく眠って欲しいのに、少し残念だ。
「こういう地道な下働きでこの街の平和は保たれてるの。朝から晩まで時間に追われて、結構忙しいんだから」
「あっそ。おつかれさん」
「興味ないなら聞かないでよ」
登吾は「あ〜しんど〜」と言いながら、寝室の端っこにゴロンと転がった。綺麗に整えられた布団には入らない。風呂がまだなので遠慮しているのだろう。うとうとしながらも腹の虫は鳴いているので、寝ることは無いだろう。ここで掛物を掛ると絶対に寝入ってしまうだろうから、あえて放置しておく。健康のためにも、ご飯はきちんと食べてほしい。お互い、それなりに歳をとっている。
「お風呂沸いたよー……って、寝てるし」
「……まだ寝てへんもん」
男盛りと言えば聞こえはいいが、壮年男性の語尾にしては少々キツい。それでも彼が言うと可愛らしく感じるから不思議である。これが惚れた欲目というやつなのだろう。当の本人は畳の上でゴロゴロしながら大あくびをしている。全く、いつも遠慮なく人の家で盛大にくつろいで、いいご身分だなと思う。
「もうそのまま寝ててもいいよ。疲れてるんでしょ」
「どんなに疲れてても元気になる魔法の言葉があるん、知ってる?」
パジャマを取ってきてやろうと背を向けたら、悪だくみをしているときの声で登吾が言った。なるほど。どうやら、私を試そうという気らしい。乗ってやると決めて振り返ってみると、案の定にやりとほくそ笑んでいた。私はなんでもお見通しなのだ。
手枕で横になっている登吾の肩を少し押すと、いとも簡単にコロンと仰向けになった。降参するみたいに両手を上げ寝転がる彼に跨り、唇を重ねる。わざとらしく唇に噛みついてやっても、されるがままになっている。いつのまにか彼の手が腰の辺りを撫で擦りはじめ、このままでは揶揄うだけでは済まなさそうだ。悪戯をする手をピシリと打って、過去最高に甘ったるい声を出し、耳元で囁く。
「エッチしたいから、まだ寝ちゃダメ♡」
言ってから徐々に恥ずかしさが込み上げてきて、フフフと笑い声が漏れてしまう。私につられて登吾もくつくつ忍び笑いを漏らす。どんどん可笑しくなって、声をあげて笑ってしまった。涙をぬぐいつつ「わざとらしすぎたかな」と聞いても返事はなく、彼は肩を震わせて笑いを堪えようとしていた。こんなに笑っている姿を久しぶりに見た気がする。いつもどこか張りつめているように見えたから、少しでも楽しい気持ちになってくれたら嬉しく思う。
「登吾くん大好き♡ で良かってんけど」
「え、ごめん。元気無くなった?」
「いや、めっちゃ元気なった」
反対に登吾に組み敷かれてしまった。私がお手上げのポーズを取って、これから始まるみたいな雰囲気になったとき、二人同時におなかが鳴った。私たちがまた笑い転げていたら、ちょうどよくドアチャイムが鳴る。ざる蕎麦大盛りにしといたから、一杯食べて元気になってね。