もう良い子は寝る時間だというのに、携帯に着信が入る。今からすぐだなんて最低だけれど、これは仕事なんだから仕方がないと自分に言い聞かせる。おやすみを言ったばかりのチヒロに行ってきますと言うのは心苦しいと思いながら、早々に支度を始める。そんな私を恨めしそうな目で見つめる視線に気づかないふりをしている。そのうち痺れを切らして文句を言いだすだろう。
「行くんですか」
「お呼びがかかったら、行かないとねえ」
ポンポンと頭を撫でてやると、ムッと唇を歪めて手を振り払われてしまった。子ども扱いするな、と訴えてくる視線が可愛くて仕方がない。彼の率直な好意を知っているけれど、はっきりと応えることをずっと避けている。君と交わるつもりは無いよ、といくら態度で示しても六平千鉱には全く効果無し。毎日のように食い下がってくるのだから、最近ではもう、若さってすごいなあと感心している。
「俺も連れて行ってください」
「ダメ。チヒロくんは知らなくていいことだから」
彼に背を向けて着替えようと思ったけれど、年頃の男子にはあまりに酷だと思って寝室の扉へと向かう。力尽くで私を従わせることもできるだろうに、決してそんなことをしない彼は忍耐強い。私が同じ立場だったら、襲い掛かっていると思う。
「二つしか違わない」
「二つも、だよ。十代の二年は貴重でしょ」
彼を弄んでいる自覚はある。慕って好いてくれるのは、純粋に嬉しい。でも、駄目だよ。君の実直さは、誠実な人に向けなさい。全部終わったら君は幸せになるべき人だから、その気持ちは取っておいたほうがいい。私なんかで消耗してはいけない。
「俺の気持ち知ってるんですよね」
「ハタチになって、まだ同じ気持ちだったらそのとき聞かせて」
本心を吐露しようとする彼の言葉にそっと耳を塞ぎ、聞かないふりをしてやり過ごす。行くなとは言わないところが彼らしい。私も二年前まで、こんなに青かったのだろうか。彼を見ていると不思議な気持ちになる。境遇のせいか同じ年代の子よりも肝が据わっていて、妙な落ち着きがある。そうかと思えば危険な橋を渡りたがるのか危なっかしくて、目が離せない。冷静沈着に見えて、内に秘める想いは熱く燃え滾っていて、気を緩めると惹かれてしまう。
部屋を出ようとする私の手を、熱い手のひらが阻む。じっとりと汗で湿った、大きな手。
「駄目だ待てない。今すぐに貴女を止めなきゃ、そうじゃないと――」
「大丈夫。何も悪いことは起こらないから」
二度と会えないわけじゃないのに、逼迫ひっぱくした表情で縋るさまをみて、揺さぶられないほうがおかしいと思う。彼にはこのまま手を放さないでいることもできるはずだ。それなのに聞き分けよく私を行かせるのだから、本当にできた子だ。
「絶対、帰ってきてください」
「明け方までには帰るつもり」
約束ですよ、と言って、彼は布団に入っていった。約束すると答えて、私は部屋を出た。
「待ってます」
「良い子でねんねしててね」
閉じた扉の向こうから聞こえた声は、とても淋しそうだった。彼には本当に、酷いことをしていると思う。
チヒロくん。これは、悪い夢なんだよ。私みたいなのに構ってないで、もっといい子見つけなさい。いつも聞き分けがよくいい子なのに、これだけは聞いてくれないんだから困ったものだ。
いつかわかってくれる日が来るだろうけれど、そのときは私が泣いてしまうかもしれないね。