二月末。先週末の暖かさが嘘のように、今日はみぞれがちらついている。道中の電光掲示板に示された気温はマイナス二度。木々には薄っすら雪が積もり、美しい。山間にある静かな墓地。六平国重が眠っているそこで、珍しい人物と会った。今日は月命日でもなんでもない、ただの平日だ。先客は私を見るなり眉を顰めて身震いした。
「寒そうやな」
「もうすぐ三月なのに、今日は一段と冷えるね」
ぽたりぽたりと重みのある雪がちらつくなか、柴は線香にジッポライターで火をつけた。白檀の香りが風に乗って流されてゆく。彼が亡くなって、もう何年経つだろう。何年経とうがこの傷が癒えることはなく、日々生前の彼を思い出しては悲しみに暮れている。長く患った片恋のせいなのだが、自分でも不毛だとわかっているのに止められない。
美しく手入れされた墓を見る限り、私以外にもここを定期的に訪れている人物がいることは知っていた。それが誰かまではわからなかったけれど、今日その謎がついに解けた。この反応から察するに、柴は私がいることに対して特に驚いていないようだ。墓前で静かに手を合わせ、目を瞑っている。柴は黙っていると男前だと思う、と、心の中で国重に言っておく。きっと笑ってくれているだろう。
「ついこないだ、あけましておめでとうございますゥ、言うてたのになあ」
「年々一日が短くなっていく感じしない? 昔おばあちゃんたちが言ってたの本当だったんだ! って」
目を開けた柴は、大きな溜息を吐いた。強まる雪風が白い息をさらう。都心とは違って厳しい寒さの冬山を舐めていた。もうすぐ温かくなるからと久しぶりに出した薄手の羽織だけでは心もとない。もう少しここで国重に近況報告でもしたかったが、今日は少し早めに帰ろうと思う。
強い風を避けるためライターを両手で囲い、煙草に火をつける柴を横目に見やる。煙を吸い込むと先端がちりちりと赤く燃えていて、さらなる冷え込みに震える今、その火にさえあたりたくなる。寒さのせいなのか、古い友人に会ったせいなのか、今日はどうも人肌恋しい。
「これ着とき」
「柴が寒いでしょ」
ぶるりと震えて身を縮めていると、肩に温もりのある掛物が掛かった。煙草の匂いが鼻腔をかすめる。柴のこういう優しさをありがたいと思う反面、キザったらしいとも思う。昔から散々からかわれたり、意地悪なことを言われたりしてきたせいで、素直に受け止められない自分がいる。尤も彼は、昔のことなんか忘れているかもしれない。
私に上着を貸したせいで寒いはずなのに、平然と煙草をくゆらせ、にやりと笑う。
「俺は鍛えてるから大丈夫や」
「私だって皮下脂肪蓄えてるから大丈夫」
「……確かに」
何やら物思いに耽っているようにも見えたのに、軽口は相変わらずだ。私の顔を覗き込んだと思えば、片手で頬を掴んでムニムニと揉んでくる。こういう戯れは高校生くらいまでにしておくべきだ。いい歳をした大人同士だと、可愛くもなんともない。首を振り、手を払いのけて抵抗すると、柴の冷たい手は呆気なく離れていった。
「一応お世辞でもそんなことないって、普通は言うよね」
「そおかァ? アイツもそんなこと言わんやろ」
「ハァ……。アンタたちに期待した私が馬鹿だったわ」
物言わぬ墓に向かって「なあ?」と答えを求める柴は、なんだか寂しそうに見える。彼の無念を思うと、胸が痛む。私が思うより、ずっと深い悲しみを背負って生きているのだろう。昔馴染みの仲間としてその苦悩を少しは分けて欲しいと願うが、その一端さえ見せてくれることは無い。こうして今日出会わなければ、このまま何年も音信不通だったかもしれない。連絡先は昔から変わっていないのだからいつだって会おうと思えば会える。しかしそうしてこなかったのは、彼と対峙しても成す術がないと思ってしまっているからだと思う。
「君はいつまでもそのままでおってや」
何かを隠すみたいにただニコリとほほ笑んで、柴が言う。そんな悲しい顔をして、一人で背負おうとしなくてもいいよ。それにいつまでも変わらないなんて、都合のいい幻想でしかない。
「無理ィ。皴だらけのお婆さんになって、柴のことなんて忘れちゃうかもね~」
「忘れられへんように、今から脳みそに刻み付けとかなあかん」
「どうやって?」
「まずはこれから飯でも行って、思い出話に花咲かせるか」
それは名案だと答えると、柴は「せやろ」と言って口角を上げた。
年月が彼を丸くしたのかな。それとも私が大人になったのかな。年を取るって昔ほど嫌なことじゃないね。優しい言葉で包み隠すのは簡単だけど、痛みも辛さも分け合って、あなたと共に前を向いていきたいと願う。