「邪魔してるでえ」
「ほんまに邪魔やし帰って」
玄関を開けたら見慣れない男物の靴が視界に入った。そのあとすぐ、聞き覚えのある男の声が聞こえた。何年ぶりだろう。いつもいきなり現れて、好き勝手して、知らぬ間に去っていく。この世の誰よりも気ままなくせに、私に触れるその手はいつも温かく慈愛に満ちている。
「相変わらずつれへんなあ」
「当たりまえやろ」
この男、柴登吾が私の前から完全に姿を消してから三年。月日が経つのは早い。どこでほっつき歩いているのかは知らないが、しばらく姿を見せないなと思ってもいつもならそのうちふらっと現れていたのに、あの日の「また来るわ」を最後に三年も声さえ聞いていなかった。もうアンタのことなんて忘れてたわ、なんてことは全然ない。未練たらしくいつ登吾が来てもいいように食べ物はいつも備蓄してあるし、ライターだって捨ててない。灰皿なんて使わないのに、いつもテーブルの真ん中で場所を取っている。自分でも阿呆だなと思う。
「柴登吾のフリして私から情報引き出そう思てるんやったら大間違いやで」
「何言うてんの本人やで」
玄関で靴を片付けるふりをしながら時間を潰すのも限界だった。そもそもここは私の家だ。今日こそ合鍵を返してもらおう。そう意気込んでリビングへと続く扉を開けると、三年前に見たときと何一つ変わっていない柴登吾が穏やかな表情で佇んでいた。あまりにも変わって無さすぎて過去の柴登吾がタイムスリップしてきたみたいだ。それに比べて私のなんとくたびれたことか。見られたくない。恥ずかしい。目を逸らしそうになってしまうけれど、勝気な性格が功を奏して登吾を睨みつけることができた。我ながら本当に可愛くないと思う。
「どのツラ下げて勝手に人んち入ってんの」
「どのツラって、君がよぉ~知ってる男前の顔やん」
卓上のライターも灰皿も使われた形跡は無い。一体いつからそこにいて、何のために来ているのか。声も、表情も、選びがちな服も、何もかも紛れもなく柴登吾だとわかる。声を聞いて、姿を見てしまうと、会いたかった、寂しかったと胸の奥底に押し殺していた私が叫ぶ。このまま彼の元に飛び込んで抱き着いてしまいそうな衝動をなんとか押さえつけて、 なんでもないふうを装わなくては。三年ぶりの元恋人なんて不吉以外のなにものでもない。きっとろくでもない用事のために来たに決まっているから。
「今更何よ」
「お別れ言いに来た」
「そんなん三年前に言うて欲しかったわ。登吾のせいで婚期逃してんのに」
「悪かったって」
一ミリも悪いと思ってない顔で言われても、許してやろうなんて思うはずない。テーブルにはケーキと思われる箱が申し訳程度に置かれている。それ本家のやつじゃない。例のおじさんの亜種やん。絶対にその箱に触れてやるものかと決意して、登吾の顔をじっと見つめた。なんでそっちがそんな悲しそうにしているんだと思った。ここぞとばかりに責任取れと迫ってやろうかと思ったのに、いつになく寂しそうな顔をするからその言葉は飲み込んでおく。
結局、ふわふわチーズケーキはパチもんのくせにまあまあ美味しかった。三年ぶりに重ねた身体からわかるものがあるかと期待したのに、何もわからず仕舞いだし。相変わらず私の肉体だけはよく理解しているようで、ヤツに翻弄され何度も縋ってしまった。最中に変なことを口走っていないといいけれど。まあ何かあったとしても、登吾が私の元から去ろうとしていることはもう、避けられないのはわかっている。
「もう行かなあかん」
「気いつけて」
広い胸に抱きしめられて名残惜しさが募る。この温もりも、息遣いも、全部忘れたくないのに。もっと酷く振ってくれたほうがよかった。詰めが甘いよ柴登吾。弱みは全部、潰しておかないと。
***
「邪魔してるでえ」
「もう二度と会えへんみたいなアレなんやったん」「よお考えたらバレんかったらいいねん」
「誰に何をとか聞きたくもないわ」
あれから登吾は結局、最低でも週一回は私の家に来て以前と同じく好き勝手している。人の家のキッチンでおかずの作り置きをしていたり、巷で話題だとかいうお菓子を持ってきたり、昼寝でもしたのかベッドの具合が朝と全然違うこともある。だけど私物は全然置いて行かないから、今もなお良からぬことをやっているのだろうとは思う。彼がそれを言わない以上、こちらから聞くつもりもない。今日もまるで自分の家みたいにくつろぐ登吾と共に食事をとっている。「急にウナギ食べたなってん」という理由で高そうなうな重を三つもってやってきた。一個多いというツッコミ待ちかと思ったのであえて放置していたら、ドアチャイムが鳴り大きな買い物袋を下げた若者が訪れたからさすがに驚いた。
「チヒロくん、紹介しとくわ。俺の嫁さん」
「こんなん言うてるけどこいつ、家に一円も入れてへんから」
チヒロくんと呼ばれた青年は突然現れた柴登吾の妻と言われた人物にさして驚いた顔はせず、ぺこりと頭を下げて「柴さんにはいつもお世話になってます」と社会人の鏡のような挨拶をした。こんな子どもにいったい何をさせているのかは知らないし聞きたくもない。妖術師なんて懲り懲りなのに、またこうやって関りを持ってしまったことを後悔している。うな重なんて食べなければよかった。あの日三年ぶりに姿を見せた登吾を突き返せばよかった。
珍しく真面目な表情で柴登吾が私を見つめている。秘密を知った私が断れないとわかっているこの男から、これ以上何も聞いてはいけない。