深夜三時。生理三日目。廃工場の張り込みは三週目に突入。三が並んで縁起がいいってか。はあ、やってられない。限界に近い眠気をなんとか誤魔化そうと手の甲を思いっきり抓ってみる。痛いなとは思うけど、目は覚めない。寝たら死ぬぞと雪山でよく聞く台詞ナンバーワンを何度も反芻しながら、私はなんとか意識を保っていた。
目の前には大口を開けた気持ち悪い呪霊がいる。力は大したことないくせに呪力操作を乱す術式でもあるのか、いつもみたいにうまくできない。寝不足もあるし、ホルモンバランスも乱れまくり。それに寒いし疲れてる。そもそもこういう体力勝負の任務は向いていないと言っているのに、日下部さんが無理矢理私に押し付けるからこんなことになる。駄目だ。もう死にます。南無阿弥陀仏。今までありがとう。辞世の句でも詠みたいけど、そう都合よくパッと浮かんでくるものでは無いのね。ああ、お腹すいた。
いよいよ諦めて目を閉じたとき、ふっと身体が軽くなった。ここは天国ですか、それとも地獄ですか。そんな馬鹿なことを考えながら目を開けると、めちゃくちゃ怒っている日下部さんに胸倉をつかまれて険しい山道を運搬されているところだった。
「お前何やってんだ死にたいのか!」
「正直、眠すぎてもうどうでもいいって思っちゃいました」
何かが垂れてきて視界が悪くなった。多分、これは血液。生温いどろっとした液体が眉毛の上あたりからじわじわと流れ落ちるのを感じる。頭打ってたら多分もう私は終わり。だって呪力と脳みそってなんか繋がってる感じなんでしょ。でも目に入ると痛いななんて考えていられるのなら、脳はやられてないのかな。そうこうしているうちに血が目に入りそうになって咄嗟に瞼を閉じると、一気に何も見えなくなって暗闇の中。でもね、耳はよく聞こえてるんですよ。だから日下部さんがバカだとかアホだとか小学生みたいに私を罵っているのも聞こえていて、さすがにちょっと腹が立つ。心配しているっていうのは、痛いくらいにわかっている。そうじゃなきゃ助けになんて来ない。この人はいつもこうだ。適当にしてるみたいな態度で冷たいふりして、結局いつも来てくれる。私だって戦える一人前の術師なのに、いつまでも学生扱いしてくる。そりゃあ貴方が教員一年目の受け持ちだから思い入れもあるんだと思いますよ。可愛い生徒のうち、一、二を争う出来の悪さですし私に格別の思いがあるんでしょうねえ。でももう、先生と生徒じゃない。先輩と後輩なんだから、いつまでも子ども扱いしないでよ。
「呪霊は眠たくならないんですかねェ」
「知るか。ちゃんと立て。戻って手当すんぞ」
立てるわけないよと思いながら日下部さんの身体の一部を掴んでみる。なんだろこれ腕かな。目を閉じているからわからないけれど、けっこうがっしり逞しい腕だ。意外に立てたわ、なんて呑気に考えていたけれど、肩を貸してもらっているから足が地についているってだけで、一歩も前に進めやしない。やっぱり頭やられたから、麻痺が出てるのかも。
死ぬんだ私。
ここで。アーメン。
「手当って、日下部先生がやるんじゃないのに、なんでそんなにエラソーなんですか?」
「うるせえな黙ってろ。貴重な血流すな」
口はしっかり動くんだな、と思ってしゃべっていると、ゴボっと喉から血が噴き出した。気管に入ったのか咳き込んでいると、この世の終わりじゃないかと思うくらい息苦しい。吸って吐くたびにヒュウヒュウ鳴る。胸もやられたのかな。それとも血の味がするから口の中が切れてるのかな。もう何もわからない。痛いのは、あんまり無い。コート越しの日下部さんが温かく感じるってことは、自分が相当冷えているんだと思う。そういえば、あの呪霊はどうなったんだろう。私を担いで退避してるってことは、誰かがやっつけたんだろうな。その誰かは多分今私を担いでいる日下部さんで、やっぱり術師としての力量の差を感じてしまう。私だってやれるんだって言いたかったのに、結局助けられて、迷惑かけて、何一つ力になれたためしがない。いつだってこうだ。出来の悪い教え子でごめんなさい。貴方にちょっとでも近づけたらと思って今日まで踏ん張ってきたけど、どうあがいても無理。だから日下部さんへのただならぬ気持ちを今日まで押し殺している。
「もうちょっとだからな。諦めんなよ」
「センセー、まだ死にたくないよお」
「なら仕事中にぼーっとしてんな。何回言ったらわかんだよお前は、ったく」
いつもの呆れた口調から窮地を脱したんだとわかって、どっと力が抜けてしまう。やっぱりまだ死にたくないって気持ちがある。このまま生きてて何をするんだって聞かれてもこれといって目標なんて無い。けれど、もう日下部さんに会えないのは悲しい。死んだらもう、二度と会えないってことは知っている。
湿った冷たい空気が皮膚に纏わりつくように漂う雨上がり。土の匂いが地面から立ちのぼり、ただでさえ陰気臭い夜の森が更に陰鬱さを増す。日下部さんに抱っこされるならもっとロマンチックな場所がよかった。例えば超高級ホテルの最上階とか、夕暮れのビーチとか。想像してみるけど、全然似合って無くて思わず吹き出してしまった。日下部さんには赤ちょうちんのせんべろ系居酒屋がお似合いだと思う。焼酎の水割りとイカの塩辛つつきながら、ムードもへったくれもないプロポーズされたい。まあ、無理なんだけど。絶対に女として見られてない。
「いてっ。お腹に穴開いてません?」
「開いてねえよ。何笑ってんだ気色悪い」
笑ってる場合じゃないのはわかっているけれど、ついププッとやったらお腹の奥がズキズキと傷む。内蔵がどうにかなっているかもしれない。打撲を放置していた後輩が後になって腎臓がパックリ二つに割れてたなんてことがあったから、見た目だけじゃなく最近は中身の心配ができるようになった。成長してエライでしょ。褒めてよ日下部先生。
さすが一級呪術師の日下部さん、手負いの私を担いだままでもヒョイヒョイ歩いている。もう少ししたら道幅の狭い県道に出るはず。そこらに補助監督さんが待機してくれているから、車に乗ればなんとかなりそうだと思う。
「……まだですかね。そろそろヤバイかも。すごく眠くなってきました」
「バカ。寝たら死ぬぞ」
「あーっ。遭難したときよく聞くやつだぁ」
「元気そうで何よりだよ。頼むからちょっと黙ってろ、な」
呆れた声で子供に言い聞かせるみたいな言いかたって、かなり傷つく。やっぱりどこまでいっても日下部さんと私は男と女では無く、教え子と先生なんだなって思い知らされるみたいだ。
日下部さんを好きになったのはいつからだろう。強いのにひけらかすことなく、努力で登り詰めた人。軽口ばかり言うけれど、ピンチのときには今日みたいに助けに来てくれる優しさ。口は悪いけど失敗ばかりの私をいつも励ましてくれたし、泣きついたらいつだって助けてくれた。
保険証他身分証明書はいつだって用意されている。なぜって、身元不明遺体として引き上げられたときや今日みたいな日に必要だから。
「えーんお腹痛いよ。日下部先生撫でてください」
「この傷じゃあ、かなり縫うだろうな」
「嫁入り前にキズモノになっちゃった。責任取ってください」
「成人してんだから自分でケツ拭くんだよ」
ハイハイっていう適当な返事さえ愛おしい。
「これからもよろしくお願いします。日下部センセー」
「だから先生やめろっつーの」
愛は重いくらいがいいらしい。
一度許したんだから、最後まで責任取ってもらいますからね。
※わやかさま発行の日下部さんペロペロ夢アンソロ「日下部さん、私のことなめてます?」寄稿