クリスマスを無視するなんて信じられない





  十二月に入ってすぐだというのに街はすっかり様変わりしていた。煌びやかなネオンと毎年耳にするクリスマスソングがその季節を嫌でも意識させる。赤と緑と白と金だけがこの世界を彩っているようだった。七海建人という男はイベントに拘る質ではないが、街にあふれる色彩と音楽がどうにも楽しげな雰囲気を作り上げており、珍しく彼をほんの少しだけ浮つかせていた。それからこれは彼に近しい人物にも知られていないのだが、二人が想いを通い合わせて初めて過ごす聖夜は特別なものにしたいという、ロマンチストな一面も実はあるのだ。七海が呪術師に復帰して交際を始めた彼女と初めて迎えるクリスマス。ホテルのレストランで食事をするのもいいかと思ったが、普段一緒に過ごせる時間が少ない分、二人きりでゆっくりしたいと考えている。問題は、どうやって誘うか。素直にクリスマスの予定を空けておいてくれと言えばいいのだろうが、どうも普段の彼女を見ていると、記念日やイベント事に対して特段思い入れが無いように見える。

 先日久しぶりに彼女が七海の自宅を訪れた日の、それとなく十二月の予定を聞いてみた時のこと。

「今月の予定はどうなってますか」

  七海の心臓は普段より鼓動を早めている。それを悟られまいと何事もないかのように食後のコーヒーを淹れながら、ダイニングテーブルに頬ずえをついている彼女の横顔をちらりと見て七海は言った。すると彼女は不機嫌そうに口をへの字にしてバッグへと手を伸ばし、端末を操作し始めた。

「年末年始はびっちり埋まってる。見てこれ。酷いよね。人使いが荒すぎる」

  そう言うと彼女は七海の方を向いてスマートフォンのカレンダーを見せつける。ぽつぽつと空欄の日はあるが、当然のように二十四日と二十五日にはブルーの文字で何やら予定が書いてあった。地名が入っているので青が仕事なのだろう。ふと今日の日付を見るとピンクのバーの中に赤い文字で『家に行く』と書いてあるのを見つけ、七海はふっと声を漏らして笑った。桃色は七海との予定らしい。わかりやすく可愛らしい彼女の予定表へ七海はもう一度視線を送り、今日の日付と書かれている内容を再確認したら満足そうに口角を上げた。

 「この仕事してたら仕方ないのかなあ。毎年おなじみ、人が集まれば呪霊も湧くよねえ」
「本当にどこも空いてないんですか? 一日も? 休みの日もあるでしょう」
「年末年始はいつも呼び出されるもん。予定立てたってどうせって思っちゃう」
「……ですよね」

 そう、彼女はクリスマスも正月も端から諦めているとうわけだ。学生の頃も時折唐突な呼び出しはあったが、やはりそれなりに守られていたのか年末年始は比較的ゆっくりできていたと七海は思い返す。その裏ではこのように先輩達が問答無用でこき使われていたのだろう。七海は卒業してからこの世界を一度離れたので、初めて年の瀬の事情を知った。彼女の卒後数年間、年末年始をゆっくり過ごせたことはないのだろうと思うと少し胸が痛む。証券会社に勤めていた七海とてそれは同じだったが、命を賭して呪いと対峙する方がはるかに危険度は高いし疲労する。そんなことをぼんやりと考えていると、彼女が少し照れくさそうにこちらを見て何か言いたげにしている。

「お正月の波を超えたら、ちょっと二人でゆっくりしたいな」
「……何か考えておきます」

 そんな彼女のいじらしい姿と年末年始の業界事情を知り、七海はそれ以上何も言うことが出来ず、その日はクリスマスのクの字も出さずに終わった。

 数日後、高専へ立ち寄っていた七海が休憩室の前を通ると、ソファで目を閉じて横たわる彼女を見つけた。嬉しくて堪らない気持ちが勝り、思わずその頬に手を伸ばす。すると彼女は鬱陶しそうに七海の手を払いのけ、ソファの背に顔を向けて寝返りを打った。それから「うーん」と眉間にしわを寄せて唸り、そのままうたた寝を続けた。拒否的な態度に少々ショックを受けた七海だったが、恋人とはいえ断りもなく女性の身体に触れたので自業自得であると溜息を吐き、向かいにある椅子に腰をかけてしばらく彼女の眠っている姿を眺めていると、すやすやと規則的な寝息が聞こえてくる。まだ残ってやる事があるのだろう。側にある机の上にはパソコンとコピー用紙が散乱していた。起こすつもりは無かったのだが、時計を見ると十九時を回っている。さっさと片付けて今日のところは早く帰宅する方がいいだろうと思い、彼女に声をかけた。するとすぐにパチリを目を開けて身体をこちらに向け、驚いた表情を見せる。

「あれ、いたんだ」
「さっき寝ているアナタの頬を撫でたら手を叩かれました」
「え、ごめんね。全然気づかなかった」
「いえ、いいんです。いきなり勝手に触ったので。それによく考えると迎撃された方が良かった。他の誰かに勝手に触られても抵抗しないことを考えるとブチ切れそうです」
「普通、そんな勝手に触らないでしょ」
「……すみません」
「いやいや、七海は触っていいんだよ。それより起こしてくれてありがとう。残りの仕事終わらせないと」

 そう言いながら彼女は体制を立て直しソファに腰掛けた。それから散り散りになった書類をかき集めてとんとんと整えると、大きく伸びをする。

「手伝いますから早く帰りましょう」
「明日から短期の出張だから準備しないといけないし、今日はこのまま帰るよ」
「それ、本気で言ってますか。明日は休みだったはず」
「ごめんね。年末ってやっぱり色んなことが立て込んじゃうなあ」
「街はお祭り騒ぎでみんな浮かれているというのに、アナタは根を詰めすぎです」
「因果な仕事だよ、全く」
「少し息抜きしないと、ここところ全く休みがないようですが」
「七海もだし、みんなそうだし、仕事は山積み……仕方ないよ、こればっかりは」

 といった具合に、取り付く島もなく彼女は七海を放置して仕事を再開する。彼女にとって恋人や休日は二の次で、最優先すべきことは仕事だろうか。そうではない、そんなことはないと解ってるのに子どもじみた独占欲と嫉妬が七海の脳内を支配する。

 七海は彼女の仕事が終わるまでその場で待ち、自宅まで送ってやった。本当は一緒に食事をとりたかったし、一つのベッドに二人で眠りたかったが。それでも、七海は彼女が今日は家に帰るのだと言うのでその意思を尊重した。一人の時間も大切だ。忙しい時、疲れている時、他人に気を使える余裕がないのだろう。例えそれが親しい仲であったとしても、相手の感情を無視して引き止めてはいけない。

 彼女は車を降りる時少しだけ名残惜しそうに助手席に留まり、それから七海の肩に頬を寄せると「ごめんね七海。落ち着いたら二人きりでゆっくりしよう。おやすみ」と言って降りて行った。七海はこみ上げる愛おしさに息をするのも忘れ、赤くなった顔をハンドルに突っ伏して悩ましい溜息を吐いた。

 それからまた数日。二人は束の間の逢瀬の時を楽しんでいた。仕事と仕事の合間、お互いが近くにいることがわかり昼食を共にする。

「年末に出張は無いんですか」
「ある。中頃くらいに東北の心霊スポット巡り。あっちは結構雪が積もってるだろうね」
「いつからいつまで?」
「十四日から青森スタートで南下して東京まで戻るっていうツアーだよ。一緒に来る? ちょっとは観光できるかも」
「……いつ頃帰れそうなんですか」
「去年は十二日くらいかかったかな。途中で二回も大雪で立ち往生しちゃって大変だったなあ」
「じゃあトラブルなく進めば十日くらいで終わるということですね」
「それが終わってもまたすぐに別のところに行かされるのがこの仕事じゃない……?」
「その通りですが、時間は自分で作るものです。なんとしても早く終わらせて十日以内に帰ってきてください」
「うん、頑張ってみる」

 十四日から十日後は、二十四日。この意味を彼女は理解しただろうか。

 今日は十二月二十三日。出張中の彼女から連絡はほとんどない。まあこれはいつもの事であるし、高校生カップルでもあるまいし、お互い仕事もしているし、四六時中連絡をとるのもおかしいとは思うが、七海はどうも納得がいかった。一言、無事を知らせる連絡があってもいいだろう。今日はどこに行ってきたとか、どんなことがあったとか、そういう些細な事を教えてくれてもいいのではないか。電話もなければメッセージさえ無い。まるで無視されているようだ。痺れを切らした七海は、メッセージを送る。するとすぐに既読がついて返信があったので端末の側にいるのだとわかった。

『どうですか』
『まだ数日帰れそうにない』
『約束と違う』
『ちょっと押してるけど、二十五日には帰れると思う』
『あと一日早まりませんか』
『どうだろう。なんとかできるように頑張ります』
『わかりました。帰る前に必ず連絡を』

 七海はあっさり引いたが、内心は戸惑っていた。やはり彼女にとって二十四日も二十五日も単なる平日にしか過ぎないのだろうか。

 クリスマスイブがもう終わろうかという時刻に、七海の端末は着信音を鳴らした。ディスプレイに映る名前を確認してすぐに出ると、久しぶりに聞く彼女の声が聞こえてきた。風の音が囂々と響く。七海は屋外にいるようだと思い、怪我はしていないか、温かい恰好をしているだろうかと心配した。声の主はやれやれといったような口調で話し始める。

「あ、七海。遅くにごめんね。やっと今、最後のところが終わった。そっちに着く頃には多分日付変わっちゃうと思う」

『日付が変わってもいいからうちへ来てください』
「明日じゃ駄目? 今日はヘトヘトで、格好もボロボロだし……」
『迎えに行きますから場所を教えてもらえますか』

 七海の切羽詰まった声色に彼女は不安を煽られる。仕事で何かあったのだろうか。怪我や病気、何かよくないことばかりが浮かんでくる。

「どうしたの? 何かあった?」
『どうしたも何も、今すぐにアナタに会いたい。これじゃ駄目ですか』
「……いえ」
『絶対うちに来てもらいますから』
「わ、かっ、た」

  七海の必死さに面食らう。普段こういったことは余り言わないから余計に驚いた。何があっても平然と構えているものだと思っていたが、七海の新たな一面を発見したようで彼女は嬉しくて仕方が無かった。

 彼女が教えた場所には宣言通り既に七海の迎えが着いていて、そのまま彼の家に行くと室内はぽかぽかと暖かかった。それから、とてもいい匂いがする。そうこれは、御馳走の匂い。

「ご飯作って待っててくれたんだ。すごく嬉しい」

 彼女が話しながら玄関でコートを脱ぎ七海の方を振り返ると、恥ずかしそうに手を口元に当てていた。照れているようだ。

「今日絶対に帰ってきてほしかったんです。二人にとって特別な夜にしたかった」
「あの、ごめんね、本当に」
「いいんです。一応聞いておきますが、今日が何の日か知らないわけじゃないですよね」
「知ってるよ。クリスマスでしょ」
「良かった。アナタ全然そんな素振りを見せないから。クリスマスを無視するなんて信じられないと思ってました」

「だって約束してても間に合わなかったらがっかりするかと思って」
「何としてでも間に合わせるんですよ。今日だって、こうやって会えたじゃないですか」

 彼女は小さな声で「そうだね」と言うと、七海について家の中へと入ってゆく。リビングの扉を開けると、ぱっと灯りが点いて部屋の隅にある控えめなクリスマスツリーが目に入った。テーブルの上にはクリスマスカラーのフラワーアレンジメントが置いてある。

「凄い! 全部七海がやったの?」
「少々、浮かれ過ぎました」
「そんなことないよ。嬉しい。すごくロマンチックだね。こんなの初めて」

 そう言いながら彼女はキッチンへと進み手を洗う。何か手伝うと申し出ると、冷蔵庫からシャンパンとリースを模したサラダが出てきたのでテーブルに並べた。星形に抜かれた黄色のパプリカが飾られている。その間七海は余熱が済んだグリルに二つのグラタンを並べて焼き始め、コンロの火を点けビーフシチューを温めた。

 料理が揃うと二人でテーブルのキャンドルに火を灯す。照明を少し落とした室内に炎が美しく揺らめいた。まるでおとぎ話のワンシーンのようだ。グラスに注がれたシャンパンは小さな泡を浮かべ、食卓に並べられた料理からは湯気が立つ。彼女は目を輝かせながら蠟燭の明かりを見つめている。

「今日の事は一生忘れられないよ。七海、ありがとう」
「喜んでくれて嬉しい。プレゼントは後で開けましょう」
「あのね、私、何も持ってきてないんだけど」
「もう貰いました。私がサンタクロースにお願いしたのはアナタですから」

深夜のディナーを終えた二人は、今日だけは誰にも邪魔されず朝まで共に過ごすだろう。