モテるかモテないか戦争





 なんてことは無いいつもの仕事帰り。無口な補助監督は静かに車を走らせている。車内に音楽は無い。車が風を切る音がわずかに響くだけ。いつもは移動の間に少し寝てしまうけれど、今日はどうしても眠れない。前日に少々深酒をしすぎてガンガン痛む頭を抱え、いつもより過剰に水分を摂っているところだから。私の隣に座る仏頂面の男は支給品のタブレット端末を開きながら、骨太い指を画面に這わせて何やら調べものをしている。今、揺れる車内で画面を見たくない。そう思って七海に向けた視線を窓へと戻す。スモークフィルムの貼られた車の窓を眺めても、風景は山を切り開いて作られた高速道路が延々と続くだけで気分はちっとも晴れやしない。ふと大きなため息を吐いてしまい、慌てて口を真一文字に結んだ。無口な補助監督が一瞬ピリッとした空気を纏う。ごめんごめん。君のせいじゃない。二日酔いでしんどいだけ。心の中で言い訳をしていると、七海も小さく息を吐いた。それから端末の画面を切って私の方を向き、何か言いたげな目でじっとり眺めている。この男の、こういうところがムカつく。私から何か言わせようとするところ。きっとこれは挑発だと思う。七海は昔から私を目の敵にして小言ばかりだ。

「なに? さっきからジロジロ見ないでよ」
「疲れているなら着くまで目を閉じていればいいのにと思っただけです」
「今日は眠れないの。ほっといてよ」
「どうせ遅くまで飲んでたんでしょう」
「えっ、なんでわかるの?」
「酒臭い」
「うそ!?」
「冗談です。しかし図星だったようで。顔色が悪すぎる。さっさと寝て」

 そう言うと七海はジャケットを私に向かって放り投げた。被って寝ていろという事だとわかるが、大好きな人の媚薬みたいな香りがする衣類に包まれてすやすや眠れる人間なんているわけがない。この男、本当に私の事を何もわかってない。そんな無神経な七海にいつも勝手に腹を立てて、私はまた今日も、好かれる要素皆無の返事をしてしまうのだ。そう、こんな風に。

「汗臭くて無理」

 そう言ってジャケットを投げ返すと、七海は不機嫌そうに眉を顰めて再びタブレットの世界へと戻っていった。いつものムカつく溜息混じりでもいいから返事を期待していたのに、無言の時間が流れる。何か言ってよ。文句でもいいからさ。そうじゃないと、私たちの間に会話らしい会話なんて無いじゃない。しばらく横目で見ながら待ってみても七海は何も言わないしこちらを向くことさえ無いから、私は諦めて目を閉じた。そうしたらすぐに眠ってしまったみたいで、気づいたら自分の家が目の前にあった。七海は相変わらず私を睨みつけている。そんな視線、怖くない。だって私は、視界に入れてもらえるだけで嬉しいと思ってしまう七海建人の末期だから。

 車内に残る二人へ挨拶をして車を降りると足元が少々ふらついてしまった。まだ身体が寝ているのかも。それとも昨日の酒が残ってる? まさか。そんなはずはない。だってあれからもう十二時間以上経っている。アルコール代謝は完全に終了しているはずだ。そんな私の情けない姿を見て七海は眉間にぐっと皺を寄せた。ああ。また七海をイラつかせてる。本当、好かれる要素皆無な私。いつだって彼を不愉快にしてばかり。

「寝ぼけてるんですか」
「起きてるし」
「玄関先まで送る」
「か弱い女子じゃないから大丈夫。さっきもワンパンで呪霊シバいてきたでしょ」
「そのまま帰した後に転んで死なれでもしたら夢見が悪い」

 肺に残っている空気が全部なくなるくらいの大きな溜息を見せ付けるように吐いて、七海は車内から私を見上げている。言っていることはイヤミったらしいが、行動は紳士的だ。ふらつく女性を自宅へ送り届ける。さすが七海さん、お見事です。でも無理矢理私の腕を掴んで引っ張っていくのでやっぱり紳士的とは言えない。ホント、なんなのこの男。並んで歩くのもおかしいと思って、引きずられるまま七海についていく。一歩が大きすぎるからなかなか追いつけない。足がもつれてまたつまづいたら、七海は私の手首をいきなり離した。そうしたら七海に頼り切りの身体は当たり前のようによろめいて、前の男の背中にぶつかってしまう。ああ、七海の匂いがする。大好き。あんなに動き回ったくせに、汗ひとつかかないのかな。七海の背中に刺さったまま動きたくない。ここで抱きついて好きだって言ったら、七海はきっと驚くよね。言おうかな。ずっと、ずっと、ずーっと、貴方のことが好きだよ、って。

 うそうそ、冗談。言えるわけありません。

「七海って絶対モテない。優しさが圧倒的に不足してる」
「残念。案外モテる」
「えっ、ほんと?」

 無視してやろうと思ったのに、動揺して私の口から出たのは真偽を確認するかのような言葉だった。なぜか得意げに、にやつきながら私を見下ろすその態度がムカつく。あっそう。モテるんだ。だから何って感じですけど。どうせ発展することなんてない関係なんだから、七海がどれだけモテようが、どこで誰と何をやってようが私には関係ない。このまま無視してやろうと歩きだすと、私の背中に向かって七海が言う。

「さあ。どうでしょうね」
「だーかーらー、そういうのがモテないんだってば」

 絶対にこのまま振り向いてやらない。私をいちいちからかって面白がる七海を払いのけて一人でマンションのエントランスへと進む。遅い時間だから誰もいない。私の足音よりワンテンポ遅く七海の革靴の音が鳴る。追い越そうと思えば簡単に追い越せる長い足を持っているくせに、私の後ろをのろのろと歩く七海にまた腹が立つ。一体どこまで着いてくるつもりなんだろう。言われっぱなしでやられっぱなしなのも嫌だった。これまで、一回も七海に勝てたことなんてない。いつも私が、もういいって、全部うやむやにして終わりにするから。いつだって七海は聞きたくないことばかり言う。この間は、新任の補助監督にバレンタインを貰ったって話だった。お返しは何が良いと思いますか、だなんて聞いてくるから、紅茶が好きって言ってたよって答えた。ざんねーん。嘘でーす。あの子はコーヒー派で、紅茶は飲みませーん。七海なんか、苦手な紅茶ホワイトデーにあげて、そのまま嫌われてたらいい。紅茶は私が好きなの。知らないでしょ。別に知られたからどうってわけでもないし、バレンタインもあげてないけど。誰があげるか! 七海にチョコレートなんて似合わない。誕生日も祝わない。卒業のサヨナラだってしなかったのに、なんで勝手に戻ってくるかな。今日だって七海がモテてるだなんてこと知りたくなかった。七海のことが好きな人全員に教えてあげたい。七海って本当はすっごく意地悪で、口は悪いし、母親みたいに小言が多いよ。力任せにひっぱったり、突然突き放したりするよ。都合が悪くなったら黙り込むし、ベラベラ喋るときはお説教。なのにこうやっていつも送ってくれて、おやすみなさいって優しい声で言うから、そりゃあ、好きにもなるよ。諦められないの。これがもしもわざとだったら、歌舞伎町ナンバーワンホストになれるだろうね。そのムカつくくらい整った顔で甘い言葉でも吐けばいい。誰だって、七海のこと好きになる。私だけじゃない。こんなに腹が立ってるのに、七海の意地悪もお小言も全部聞き逃したくない。私に向けられた言葉を全部とっておきたい。七海のせいで私の人生狂わされてる。七海が出戻らなきゃ、今ごろイケメンと結婚して呪術師なんか辞めてたはずなのに。七海のばかやろう。

 オートロックを開けて、ここでいいって言ったのに七海はまだ着いてくる。私の五歩くらい後ろを歩いてるから、七海の方が不審者に見えると思うけどな。

 玄関の鍵を開けたとき、今日は言い返してやろうと決めた。言うぞ。

「私だってモテるもん」
「誰に?」
「誰にって……、そこら中の男がそりゃあもうひっきりなしに――」
「不特定多数の相手がいるんですか」

 頭の上から七海の声が降ってきた。ここ最近でも一番の刺々しさだから、グサグサ刺さる。怒ってるなととわかったけど、私がいま、七海に怒られることってある?

「……いたら何か問題?」
「大アリです。風紀を乱すな」
「はぁ!? 中学生じゃあるまいし」
「性病になる」
「なるわけないじゃん!」
「とにかく、そんなつまらないことはやめたほうがいい。自分を大切にしてください」

 何がジブンをタイセツにしてください、だっての。教科書か。道徳の時間はじめるつもり? こんな仕事してて出会いなんて無いし男なんているわけない。七海しか見てないのに七海は私なんか見てない。

「あのね、私をなんだと思ってるの?」
「馬鹿だなと思ってる」
「ほっといてよ。七海に関係ある?」
「ある。大ありです。ふざけるな」
「そんなことしてるわけないでしょ! ヒマじゃないから」
「こっちも同じく暇じゃない。それなりに時間を割くには理由がある」
「忙しい、なら……、早く帰れば」
「アナタの無事を確認する仕事が残ってる」
「あっそ。もう入るから。じゃあね。送ってくれてありがと」

 七海の返事は待たない。バタンとドアが閉まったら、七海の足音が遠ざかっていった。コツコツ。いい音だな。バイバイ、おやすみ、七海。大好きだよ。また今日も、かわいくなかった私だけど嫌いにはならないでよね。

 家に上がる気も起きなくて玄関でしんみり泣いてたら、ドアノブガチャガチャ、扉がドンドン叩かれた。怖くて固まっていると帰ったはずの男の声がした。

「開けてください。帰りの足に逃げられた」
「えっ、置いてかれたの?」
「そのようです。いいからさっさと開けて」

 ドアスコープから覗くと七海が鬼のような形相で扉を睨みつけていた。怖いな。犯罪者じゃん。わたし何かした? なんで置いていかれたの? どうしていつも怒ってるの? どうしたら七海を諦められる?

 答えを聞きたいような、ずっと聞きたくないような。頭の中がめちゃくちゃで自分がひどい顔をしているのを忘れて扉を開けたら、私を見た七海が珍しく目を丸くして驚いていた。それからぐっと眉間のシワが深くなったから怖くて扉を閉めようとしたら、咄嗟に七海が扉を掴んで足を隙間に突っ込んできた。余計怖いよ。ヤのつく職業の人みたい。ぬるりと七海が入ってきたら、扉は閉まり二人きりの空間になってしまった。私の情けない顔を見て七海が言う。

「……なんで泣いてる」
「さっき、七海に泣かされた。毎日、七海に泣かされてる」

 入ってすぐ始まる七海の尋問。泣いてる理由なんて七海以外に無い。七海のせいで、私は泣いてる。

「当事者として事情を聞く必要がある。上がります」
「女子の部屋に、こんな夜に押しかけて、勝手に上がるって最低なんだけど」

 家主の私を押しのけて勝手に入ろうとするから手を広げて阻止した。中途半端に優しくしないで。早くお説教して、さっさと帰って。これ以上七海の近くにいたら、あらぬ期待を抱いてしまう。これから何か、起こるんじゃないか。私たちの関係が、変わるんじゃないか。そんなわけはないのに。

 七海は所在なさげにシューズボックスの飾り棚にあるキーケースを眺めていた。その横には高専のころの集合写真が飾ってある。ニコニコ笑っている灰原と、自信なさげな私と、むっつり機嫌の悪そうな七海のクラス写真だ。灰原の写真はいくつかあるけど、七海の写真はこれしかない。毎日、二人に行ってきますとただいまを言ってるんだよ。貴方がいなかった間も、ずっとそうしてきたんだよ。

「……いつも、うまく言えないが、アナタのことを、心底心配してる。もう泣かないで。お願いですから」

 しばらく黙ってうつむいていた七海が、床に向かってボソボソ小さな声で言った。なんだかいつもの七海らしくなくて調子が狂う。

「泣いてたら、七海が来てくれるなら、毎日泣いてるから、毎日来てよ」

 しまったな、と思った。口に出しちゃうと、寂しい女みたいで情けなさがさらに増す。また馬鹿だなと思われただろう。七海に慰めて欲しいわけじゃない。七海の特別になりたい。けど、わかってる。

「泣いていなくても毎日来ることはできる」

 また怒られるって覚悟したのに、七海の返事はイエスだった。やけに早口で、声は小さいし、今度は壁に向かって言ったからすごく聞き取りにくかったけど。毎日来てくれるって、本当に言ったよね。

「……そのサービスに申し込みたい」
「それはその、そういうことで、いいんですね」

 仕事用のサングラスを押し上げて、遠くに視線をやっている。さっきからこの男、私の顔を全然見ない。いつも睨みつけてくるくせに、ここぞという時こそこっちを見てよ。七海の首筋をつたう汗を見てたら、七海って案外女慣れしてないのかもしれないと思ってきた。そうしたらなんだか可笑しくて、ちょっとニヤついてしまった。

「ごめん。やっぱ七海ってモテないでしょ」
「うるさいな」

 図星らしい。さっきは余裕でモテますけど? みたいな顔してたくせに、七海はイライラした声を出しながらさらにそっぽを向いてしまった。なるほど七海建人は、どうやら照れ屋なようです。

「モテる男はこういうとき、そっと抱きしめて愛してるって言うんだよ」
「漫画やテレビの見すぎでは。しかし愛してることには変わりないのでとりあえず愛してるとは言っておきます」
「あーっ、真っ赤になってるゥ!」

 壁と一体化しそうなほど私から顔を逸らしまくっている七海を覗き込むと、またサングラスを押し上げるフリをして手で顔を覆った。それからくるりと玄関の方へ向いてドアノブに手をかけた。

「心配して損した。元気なら帰る」
「……やだ。かえらないで」

 七海の変な色のジャケットの裾を掴んで私史上最高に甘えた声を出してみる。七海が喉を鳴らして生唾を飲んだのがわかった。いつも怖かったおこりんぼ七海だけど、けっこうかわいいところがあるんだね。今日から"そういうこと"だから、あんなことや、こんなことも、七海と一緒にやりたいなあ。ね、七海。