紅と桃の対比





 三月の始めから桜を見たいと言っていた。その度に七海は自分も見たいと言った。いつがいいかな。天気予報を見て、桜の開花情報をチェックして、最高のタイミングで一緒に夜桜を楽しみたかった。まあ確かに、桜を見たからなんなんだ、とは思う。別に腹が満たされるわけでも無ければ、お金になる訳でもない。でも人々は桜を求めて右往左往している。そんな普通の人達と同じ事をしてみたかっただけなのかもしれない。

 結局、満開の時に約束していたけれど七海は来ることができなかった。急に仕事が入るのは私たちの業界では珍しくない。私も私で、場所取りまでしてたのに呼び出されてキャンセルしたこともあった。そうこうしているうちに桜はどんどん散って、昨日の雨でもうほとんど残っていない。若々しい緑の葉が生い茂り、ほんの少しだけ残った桜さえももう、終わりを迎えようとしている。

『いまどこ』

 短文にも程がある七海のメッセージを見て私はくすりと笑った。いつもメッセージは素っ気ないけれど、ここまで飾りがないと子どもが送ったみたいだからだ。公園の名前はわからない。任務が終わって散りかけた桜を目にして突発的に誘ったら、こちらに来てくれることになった。位置情報を送ると既読だけは付いて、そこから三十分音沙汰無し。諦めて贅沢な缶ビールを開けようとしたら着信が入る。七海だろうと思いつつも、今日呼び出されたらさすがにキレるぞと心の中で予防線を張る。

『着いた』

 画面を見ずに通話ボタンを押したら、電話口の相手はなぜか不機嫌そうな声を出していた。走ってきたのか息が荒いのを必死で隠そうとしているらしく、フンフンと鼻息が聞こえてきて笑ってしまいそうになる。ここで茶化すとしばらく口を聞いてもらえなくなるから、してはいけない。七海は意外と子どもっぽい。

「一番奥のすみっこの、桜の木の下のベンチにいるよ」
『だから、それはどこかと』
「狭いからすぐわかると思うけど」
『初めての場所で、そう簡単に――』

 そこで電話はブツリと切れた。同時に砂を蹴る早足の音が聞こえて、七海がこっちに向かってくることがわかる。電話ではなんだかご機嫌ナナメかな、なんて思ったのに、足音は跳ねていて、七海がすごく喜んでいるのが伝わってくる。

「こんな街灯も無い真っ暗なところに女一人でいるなんて、どうかしてる」
「七海が来るから大丈夫かなって」
「すぐ行くとは言ったけど、店に入ってろとも言った」
「だって、桜が見たかったんだもん」
「もういい。飯は」

 どかっと私の隣に腰掛けて、コンビニの袋を覗き込む。開口一番お小言を言ってプンとそっぽを向くふりをしているけど、七海の目はキラキラしていて、何ひとつ誤魔化せていない。でもきっと私も七海と同じだ。七海が視界に入ったとき、頬が緩んだし涙が零れそうになった。嬉しい。会いたかった。言葉にすれば泣いてしまう気がして、強がるしか選択肢がない。

「もうほとんど散っちゃった」
「……何度も、何度も約束を破って、すみません」
「いいえ。私も同じだから。おあいこってことで」
「私のほうが回数が多い」
「私は毎回五分前だったし」
「まあでも、一番悪いのは」
「「五条さん」」

 二人でハモった後、「ほんとそれ」と言って笑うと七海は眉間の皺をかつてないくらい深くしてお得意の舌打ちをした。それから私が買ってきたビールを勝手に取り出して、かっこつけて片手で開けて、ごくごくと喉を鳴らして飲む。上下する七海の喉仏を眺めているとなんだかイケナイ気持ちになってきてしまう。ぷはっと大息を吐いたあと、七海の為に選んだ特盛牛丼を取り出してがつがつと食べ始める。無言でかきこむ姿をこっそり盗み見ながら、七海にちょっとでも可愛い女だと思われたくて買ったパスタサラダをもそもそ食べた。全然ビールに合わないし味も薄いし食べた気がしない。大丈夫。三色団子がある。

「昼を食べる時間が無かった」
「私は、遅れてお昼だったからあんまりお腹空いてない」
「じゃあその団子は貰います」
「……一本もくれない?」
「一個ならどうぞ」

 そう言うと七海は乱暴に団子のパックを開けて一本取り出して、私の口に突っ込んだ。それ私が買ったんだけど、と言いそうになる。淡いピンクは何味だろう。きっと、どこを食べても同じだと思う。

「ケチ」
「腹が減って死にそうな男を哀れだと思いませんか」

 あっという間に団子は全部七海のお腹の中に消えていった。ビールももちろん既に空。しまったな。七海は飲み足りないかも。まあいいか。今日は、桜を見ることが目的なのだから。未だに桃色団子が口の中にある。もちもち噛んでいたら、七海に白い目で見られた。早く食べろと言いたいらしく、その圧に負けて私は咀嚼をやめて飲み込んだ。食べ物も飲み物も失ってしまったら、何もやることが無くなる。久しぶりに会う七海を直視できないのに間を持たせるアイテムが無い。

「葉桜も悪くない」
「まあね。花吹雪がきれい」
「久しぶりに会えた」
「唐突。七海ってそんなこと言うんだ」

 こちらを向いた七海は耳まで赤い。大人になった七海ってこんなふうに笑うんだ。貴重な姿を写真に収めたいけれど、あまりの熱烈さにそれどころじゃない。七海が強引に私の肩を抱き寄せるから、ちょっと強めにぶつかった。痛いなあ、と文句を言ったのに聞き入れられず、ぎゅうぎゅう抱きしめられるだけだ。耳元でスンスン鼻を鳴らしているから匂いを嗅がれている気がする。七海はちょっと、変態だと思う。

「言いますよ。悪いですか。君はなんでもないみたいにしてる」
「そんなこと、ない。私も、嬉しい」

 フフフと可愛く笑いたかったのに、出た声はヒヒヒでまるで可愛げが無い。七海の返事も無い。

「桜をさあ、見ようよ」

 気まずいような気がして、ついつまらないことを言ってしまう。気づかいも無い。

「見てる」
「見てない」
「頭に乗っかってる桜を見てる」
「取ってよ」
「可愛い。だから取らない」

 今日の七海はリップサービスがすごい。いつもあんまり喋らないくせに、ここぞとばかりに攻めてくる。ずるい男だ。顔もいい。匂いもいい。身体もいい。悪いのは口だけ。でもそれはあまり知られていない。まあでも、そこもイイんだけど。わかってやってるのかと思うけど、多分無自覚なところが恐ろしい。七海の胸元を見てみると、いつもより早く膨らんだり縮んだりしている。七海もドキドキしてるのかな、なんて考えてながら表情を見るために顔をあげてみる。あ、と思ったらもう七海の顔が目の前だった。それからチュ、とわざとらしく音を立ててキスを一回。びっくりして辺りを見回した。よかった。誰もいない。

「七海ってこんなことするんだ」
「しますよ。どうせ誰も見てない」

 ここでどう返せば可愛いかな、とちょっと作戦を練ってみたけど、経験不足の私にそんなもの浮かぶはずは無い。だからもう、本能のままにいくしかないよねってことで、七海の太ももに乗っかって、両頬を挟んで口づけた。一度始まると止められない。ずっと触れたかった人が目の前にいる。堰を切ったように邪な感情が溢れてきて、もうこのまま突っ走ってしまおう。七海はちょっと抵抗してるけど本気じゃない。だって嫌だったらもっと強く止めるはず。それどころか、七海の手は私のお尻に伸びてきた。大きくて熱いてのひらが私を焚きつける。するするとスカートの上から撫でまわされて、その気にならないわけなんかない。七海の口の中を探るように舌を入れると、歓迎されたのか七海の舌が伸びてきた。絡めて、舐って、差し込んで、こんなの止められるわけない。

 夜の公園は静かだ。今日は風が少し強いから、木々が少々ざわめいているだけでそれ以外は何にも聞こえない。誰もいないし、外灯さえない。辺りは真っ暗で月明りも届かないこの場所で、もういいかって思って、七海の股間にそっと触れたら、生真面目な男に手を止められた。

「こんなところで盛ってたら通報される」
「いいもん」
「いいわけない」
「じっとしてるから」
「既にじっとしてない。腰を動かすな」

 そう言って私を退かそうとする七海の力はとても本気とは思えなかった。ほら。いいってことじゃん。調子に乗った私は七海のベルトのバックルに手を伸ばした。すると一応手が伸びてきて、「いけません」などと口では言う。もっとしっかり注意してくれなきゃ。そんなくらいじゃもう、制止できないことはわかってるくせに。

「ほんとに動かない。誓う」
「我慢できるわけない」
「じゃあゆっくり動く」
「動いたら、バレる」
「さっき、どうせ誰も見てないって、七海が言った」

 くっついた額が汗でじっとり濡れてきた。お互いの吐息がかかって余計に興奮してしまう。それに七海の言葉には説得力が全くない。やめろと言ってる割には抵抗力はゼロに等しい。ほらもうベルトが外せた。ボタンも、ジッパーも邪魔。スラックスをずらそうとしたら腰を浮かせて協力的だし、七海のおちんちんは完全にその気だし、今日のパンツは前開きだからすぐ出てくるし。ショーツをずらして先端を当てたところで、七海は上着を脱いで私の腰にかけた。いやそれ逆に怪しいのでは、と思ったけど言葉にならなかった。今はそれどころじゃない。早く。早く!

「ぅう……、や、やばい」

 ギチギチと私の中をこじ開けながら侵入してくる質量に負けそうになる。いけないことをしているという自覚が更に頭の中を真っ白にした。誰か来たら確実におかしいと思われる。夜の公園で、男と女がベンチでもぞもぞしてたら、それはもう、ソレしかない。でも、全部、入れなきゃ。奥まで。もっと。

「ほら、言った通り」
「は、ァ……、も、いい?」
「いいって、何が。どうせ、ろくでもない、ことで、しょうけど!」
「うごきたい」
「じっとしてるって、さっき――」
「も、むり」

 七海だってぐりぐり押し付けてくるくせに、私だけが悪いみたいに言う。だからこれは仕返しで、悪いのは七海で、私は何にも悪くない。くっついてきたのも、キスだって七海からだった。ザアザア聞こえるのは葉っぱが擦れる音で、ジイジイ鳴るのはきっと春の夜に鳴く虫。ぐちぐちって音は七海のせいで、ハアハア荒い息も七海のせいだ。桜が咲き始めたころはまだ冷えた夜も、今はぬめっと生温い。だから私のこめかみから流れる汗もこの暑さのせいでしかない。

「あぅ……ッ、キちゃ……ッた」
「変態。イくのが早すぎる」
「ふゥ……、ン……。ななみが、わるい!」

 もう七海は口うるさいから黙ってて。口同士をくっつけたら喋れないから、口を塞いでやった。それなのに七海が舌を食べてくるから、ぴちゃぴちゃ音が出るし息も苦しい。

「もう止まって。これ以上は駄目です」
「もう一回、だけ、イかせて、ください」
「自分ばかりいい思いをして」

 いつものところに当たるように角度を調整していると、七海が苦しそうな声を出して私の首筋に歯を立てた。痛みはない。本当はもっと強く噛みたいんだろうけど、そうしない七海は優しい。私に傷がつくのを怖がっているのを知っている。七海から流れる汗をじっと見ながらお腹に集中していると、一回だけと約束したのに三回も波がきた。その度に七海の身体には力が入るから、すごく我慢しているんだなとわかって愛おしさがこみ上げてくる。本当はまだまだこのままでいたい。でも七海の頭につかまって次の波を逃して、もうお終い。これ以上は駄目だって、さっき七海が言ったでしょ。私は約束を守るからね。ずるりと七海のおちんちんが抜けていったら、私の中からまだまだ足りないと文句を言う声が聞こえた。この続きはあるのかな。仕事帰りの知らない土地の来たことのない公園。ここから七海の家はどれくらいだろう。私の家より近いといいな。ぼんやり息を整えていると不満そうな視線に気づく。

「久しぶりに会えて、嬉しいな」
「今それを言うな」

 七海に睨みつけられるけど全然怖くなかった。真っ赤になった首筋に桜の花びらがくっついていたけど、可愛いから取らないでおく。

 あの日も今日みたいな葉桜だった。灰原がいて、夏油先輩がいて、みんなで花吹雪を見ながら笑ってた。七海はベンチに座って相変わらずの仏頂面だったけど、楽しくないわけじゃないっていうのは出会ってそんなに経たないけれどなんとなくわかった。懐かしいな。もう戻れないことはわかってる。私は今を生きている。だから未来に希望を持つのはおかしくないでしょ。

 ねえ、七海。これからどうしようか。