ディナーの後は二人きり





 彼女が七海に愛の告白を受けた後、手をひかれるままに百貨店の高そうな服を扱うフロアに行った。いくつかの店舗を見回った七海が勝手に決めたとある店に彼女は恐る恐る足を踏み入れ、中で店員と彼が話し込む姿を静かに見ていた。ホテルディナーのドレスコードはカジュアルエレガンスというものらしく、それに相応しいワンピースを店員が数点持ってきたと思ったら試着室へ押し込まれた。店員と七海が一番似合うと言う総レースのワンピースに強引に決められ、それに合うコート、靴、バッグ、ネックレス、イヤリングまで次々と提案された。二人に言われるまま「それで」を繰り返し、長い着せ替えが終わると全身の力が抜けぐったりと脱力した。いつの間にかいなくなった七海を探すと、クレジットカードで一括払いをしようしているところを発見し、無理矢理彼を押しのけて彼女は自分の財布からカードを出す。威勢よく出したものの、それは某大手インターネットショッピングモールのカードでショッピング枠に不足はないか冷や汗をかきながら決算完了を待った。結局予想よりかは遥かに安かったが、店員にカードを返却されるまで生きた心地がしなかった。ひきつった笑顔のまま百貨店を出てすぐ、満足そうな顔をして大きな袋を抱える七海に詰め寄って壁際に追い詰める。ずいずい迫る彼女を見て目を丸くしながら後ずさりし、壁にぶつかる七海はなぜか微かに笑っているように見えた。

「七海ってバカなんじゃない!?」
「なんですかいきなり。アナタもそれでいいと言っていたのに」

 七海は困ったような顔を作ると、そんな自分が可笑しかったのか口元を押えて笑いを堪え始める。

「二人の圧に勝てないよ。もうああいうのやめて。お金も自分で払えるし、私は黒の方が良かった」
「それは失礼しました。でもよく似合ってましたよ。二月十四日が楽しみです」

 彼女は大きな溜息を吐き、いつもの自分たちと立場が入れ替わったようだと思い苦虫を嚙み潰したような顔をした。あまりにも荷物が多く今日はもう帰ると彼女が言うと七海は少し寂しそうな顔をしたので少し申し訳ない気持ちになってしまい、どこか行きたいところでもあるのかと聞いてやる。

「とてつもなく腹が減ったので何か食べてから帰りましょう」
「まあ、そうだね、朝も早かったし」

 二人は昼食に蕎麦を食べその日は解散した。

 彼女は家に帰って朝からの怒涛の展開を思い出し呆然としたが、せっかく買ったワンピースが皺になるとハンガーにかけてクローゼットに仕舞う。それからスマートフォンを取り出し脱毛サロンの予約を早め、十二日に手足のネイルを、十三日に全身エステを、当日に美容院の予約を入れた。仕事終わりギリギリになるがヘアメイクをしてもらうためだ。間に合うだろうか。いや、なんとしても仕事を終わらせ間に合わせると誓う。それから試着室での自分の姿を思い出し、顔周りのむくみが気になったので顔痩せ動画を探しこれから毎日取り組むことに決めた。

 七海はというと自宅の扉がしっかり閉まったことを確認した後、彼女に貰った誰よりも早いバレンタインチョコレートの箱を取り出しテーブルの上で早速開けた。食べるのが勿体ないと思い今日は眺めるだけに止めて戸棚の中に仕舞う。昨年までと同様既製品でこれと同じチョコレートは他の誰かも食べているのだろうが、今年は特別な気がした。一生食べられそうにない。額に入れて飾るべきかもしれないとさえ思う。それからもう一度家を出て、自分の服も新調するために再度電車に乗った。電車に揺られながら前日に美容院へカットの予約を入れる。そして今日から仕事終わりに最近サボりがちになっていた自宅トレーニングを真面目にすることを決意した。

 日々に忙殺された二人はバレンタイン当日まで会うことなく過ごした。無事にその日を迎えるため、早めに片付けられる仕事のすべてを前倒してこなす。そして迎えた二月十四日。七海と彼女はそれぞれ別々の現場でドロドロネチャネチャの呪霊を祓いまくり、予定よりも随分と早く仕事を終え一旦帰宅することができた。

 彼女は返り血や粘液を落とすため丁寧にシャワーを浴び、ディナーデートを夢想する。不安と緊張で心が波立ちじっとしていられず、少し予定より早いが家を出た。

(七海は今頃何してるんだろう……)

 その頃七海もシャワーを終え、家を出るにはまだ早い時間だったが行き場を失ったかのように自宅内をうろうろした。本を開いてみても文字が頭に入ってこない。文章を読むことが出来ず諦めて閉じた。胸いっぱいに空気を吸い込んで、気持ちを落ち着かせようと細く長く息を吐く。

(彼女は今頃何をしてるんだろうか)

 待ち合わせ時間の十分前。結局自宅でモタモタしていた七海はなぜか一本電車に乗り遅れ、到着した時にはドレスアップした彼女が時計を見ながら少し緊張した面持ちでロビーのソファに座っていた。いつもと違う美しい姿に七海は息を呑む。あの日七海が選んだワンピースを着て、髪は綺麗にセットされ、華やかなメイクをしている。彼女の周りだけ世界が色づいて見えた。何か言わなくてはと思うが、すぐに言葉が出てこず口をもごもごさせてしまい咄嗟に口元を押えてしまう。

「あの、すみません。待たせてしまった」

 七海の姿を見た彼女はぱっと立って困ったように笑いながら言う。

「違う違う。仕事が早く終わり過ぎて、早く着いちゃっただけ。だから、全然待ってない! ホントに、今来たとこ!」

 立ち上がった彼女と思ったよりも距離が近く、七海の顔に熱が集まっていく。口を開くといつもの彼女だったので少し安心した七海は、ふふっと声を漏らして笑った。

「今日の、アナタは……、その……、とても、綺麗だ。本当に」
「そう? ありがとう。なんか、照れる……から、ジロジロみないで」

 彼女は気恥ずかしさを誤魔化すためにそこそこの力で七海の顔を押しのけた。けっこう、いや、かなり痛い。頬骨が折れるかもしれないと思った七海は久しぶりに触れる彼女の手を恐る恐るとってバッグの持ち手へと戻した。爪の先には控えめなネイルが施されていて今日の為にしてれくれたのだと思うと背中からむずむずと何かが湧きあがり、つま先まで侵食していく。これが歓喜だとわかるのに少し時間がかかった。こんな感情は初めてだったからだ。

「七海はいつもかっこいいから、なんか普段通りだね。余裕なんだ」

 どうやら彼女の眼には七海が余裕そうに見えるらしい。内実待たせたことでかなり焦っているし、いつもと違う姿を見て心臓はドキドキとうるさいし、もっとスマートな誉め言葉を考えていたのに、彼女を目の前にすると上手くいかない。感情が顔に出にくいタイプで助かったと七海は思った。

「いつも格好良いと思っていてくれたんですね。嬉しい」

 七海が彼女へ手を差し伸べる。しかし手は取られず、彼女は七海の腕にそっと抱きつくと二人の身体はぴたりと密着した。予想外のことに七海は反応できず一瞬動けなかった。彼女は積極的なタイプなのだろうか。一気に詰められた距離に戸惑いながらも、彼女と腕を組めたことが嬉しくて飛び上がりたい気持ちを抑えるのに必死だった。

「こうやってくっついてても、いいかな」

 照れながら見上げる彼女の頬がぽっと赤く染まり。七海の脳内でファンファーレが鳴り響く。あの日一歩踏み込んでよかった。彼女が最高に可愛い。通行人一人一人に自慢したいくらいだ。

(見てください私の彼女を! 最高に可愛いんです! 今日は初めてのデートでとても楽しみだ!)

「もちろんです。今日のためにお洒落をしてくれてありがとう。さあ、行きましょう」

 腰を落として彼女のこめかみにキスをすると驚いて顔を上げた。更に赤くなって「まだ外だよ!」と小さな声で七海をいさめた。それを聞いた七海は、外でなければいいと言われている気がしてディナーの後も誘って問題ないと安心すると同時に、展開の速さに少々戸惑い、もしや彼女はかなり男慣れしているのではなかろうかと在らぬ妄想を巡らせる。

「金髪に生まれてよかった。いつでもどこでもアナタにキスできる」
「そういうのも武器にしちゃうんだ。ズルイ」

 クスクス笑いながら腕に身体を更にくっつけて嬉しそうに彼女は笑った。二人は歩き出すと予約した最上階のレストランへと向かう。これから始まる一夜に期待を込めエレベーターに乗ると、大きくとられた窓からささやかなイルミネーションが見えた。

「きれいだね」

 彼女に「アナタの方が綺麗だ」と言いたかったが恥ずかしくて口を閉じてしまい、「そうですね」とだけ答えて下唇の端を噛んだ。勢いに任せてしまえば外でもキスできたのに、彼女を喜ばせたいと思うとどうにもうまくいかない。七海がモジモジしていると彼女が唇を少し尖らせ顔を覗き込んだ。

「私、今日が楽しみすぎてみんなに言っちゃった。からかわれなかった?」
「いえ。……でも、そういえば今日は無茶振りが無かったですね」

 彼女は大きな口を開けてアハハと笑った後、ハッとして辺りを見回し口元を手で覆った。同乗者の上品そうなシニアカップルが彼女を見てほほ笑む。彼女が二人に会釈したとき、エレベーターの扉が開いてレストランに到着した。先に降りたシニアカップルの女性が振り返り「楽しんでね」と彼女に言うと、得意科目の授業で指名された生徒のごとく元気よく「はい!」と答えると、想像よりもずっと大人のムード満載で落ち着いたレストランフロアに彼女の声が良く通った。慌てふためく彼女を見て、あまりの可愛さと愛しさで七海はその場で爆発してしまいそうだった。

「誰も気にしていませんよ。私も楽しみにしていました。それにあの後ずっと会えなかったので寂しかった。本当は今すぐここで抱きしめたい」
「そう……。私は今すぐここへ埋めて欲しい……。恥ずかしすぎる」
「埋まるのは食事の後にしてください」
「ありがとう……これで安らかに眠れるわ」

 アナタが埋まるのはベッドのことだし、今夜寝かせるつもりは無いという言葉を今は飲み込み、スタッフに案内されていくと半個室へ通された。落ち着いた照明、煌めく夜景、それから彼女の席に飾られた一輪の赤いバラのプリザーブドフラワー。なんとロマンチックなんだろうと彼女はうっとりと辺りを見回した。

「それは今夜の記念に、アナタへのプレゼントです」
「ありがとう。嬉しい。ドキドキする」

 夢でも見ているかのようにうっとりと濡れた瞳で見つめられると七海の胸も高鳴った。目の前がふわふわと揺れ頭を痺れさせるような感覚は紛れもない恋なのだと二人は自覚する。ずっと夢見ていた人が目の前にいる。今まで引かれていたラインを超えて、今日、初めて恋人として二人だけの夜を過ごすのだと思うと、あの日のチョコレートのように甘い気持ちがふつふつと沸き上がってきて溶けてしまいそうだ。

 それから二人はフルコースをゆっくりと楽しんだ。見た目も素晴らしいが味も最高だった。それに緊張しながらも料理を口に運ぶ彼女の姿は愛おしく、何時間でも眺めていられそうだ。いよいよカフェ・ブティフールが運ばれてきて小さなカップへ彼女が口をつけた時、七海のマナーモードのスマートフォンが無遠慮に震える。

「……失礼」

 七海が画面を確認すると外れて欲しい予想が当たってしまう。一瞬眉をひそめると彼女はその電話がどこからかかってきたか察したようで、「出なよ」と言った。七海が渋々出ようとするとプツリと着信は途絶える。すると次に彼女の方へと着信が入り、二人は顔を見合わせて苦笑いをした。

「貸してください」

 悪あがきだと思ったが、七海は彼女の電話に出た。すると予想外の事に慌てた声の補助監督がこんな日にすみませんと何度も平謝りをしながら予想通りの内容を告げる。そう、お決まりのヤツだった。淡々と返事をする七海を見ながら彼女は少しわくわくしていた。

「アナタ、場所まで言ってたんですね……。内容はお察しの通りです。もう行くしかない」

 七海はそういうと小さな焼き菓子を口に放り込みデミタスカップの中身を飲み干すとナプキンで口元を拭った。それから彼女へスマートフォンを返却して席を立つ。

「クリスマス同様、こんな夜だからこそ奴らは湧くんだよね、きっと。私も行く」
「二人一緒に、という指示です。誰の差し金でしょう。最悪だ」

 彼女の椅子を引いてやると元気よく立ち上がり「さっさと片付けちゃおう」と言って腕まくりをした。今日のドレッシーな彼女とあまりに似合わないその姿を見て七海は大きなため息を吐いた。

「ハァー……。この後部屋のキーを出して今夜は帰さないと言う予定だったのに」

 七海はエレベーターの中でジャケットの内ポケットからクラシカルなデザインのキーを取り出し彼女に見せた。彼女は七海の肩に手を置いて慰めるように言う。

「キャンセル料持つよ」
「キャンセルしません。さっさと終わらせて絶対に戻ります。それから費用は高専に請求する」

 うんざりした様子でキーをポケットに仕舞うと、いつもの癖なのかジャケットの背に手を入れ鉈の柄を探してしまう。

「え、今日持ってきてたの?」

 その仕草を見て彼女が訝し気に七海を見ると、もう一度大きな溜息を吐いた。

「そんなもの持ってるわけないでしょう。職業病です。殴るしかない」
「じゃあ私は蹴ろうっと。上がちょっとタイトだから下半身の方が自由利くんだよね」

 二人は足早にホテルの外に出ると地下へと降り、既に現場に到着していた補助監督と合流した後、今回の任務の詳細を確認する。既に人払いされたうす暗い地下街を駆け足で進むと、ある地点を超えた時に急激に淀んだ空気が充満した。肌にねっとりと纏わりつくような感覚には幾度となく触れてきたが、もともとあった呪いに色欲や情念が絡みついたような不気味さを伴っている。

「想定より数が多い上にタチが悪そうです。気張っていきましょう」

 彼女は足を開いてスカートがどこまで広がるか確認した後、羽織っていたコートを脱いで古くからそこにある定食屋の看板へひっかけた。バッグを通路の端へと放り投げると、七海が「乱暴すぎる」と注意する。それから彼女同様に七海もジャケットを脱いで看板へかけ、側に鞄をそっと置いて上品なデザインのハンカチを拳に巻き付ける。彼女はヒールを鳴らし位置につくと、姿勢を低くした後に七海を見上げなぜか楽しそうに笑った。

「なんか映画みたい! 背伸びしてロマンス求めるよりこっちの方が向いてるのかな」
「概ね同感です。今日までずっと緊張し続けて疲れました。戦闘後に優しくできる保証はないので覚悟しておいてください」

 欲望に濡れた瞳がぎらぎらと光り、七海の足元から呪力が立ちのぼる。

「私も、昂っちゃって大人しくできないかも」

 彼女も同様、潤んだ瞳の奥にある生々しい愛欲を隠すことなく露わにすると、湧きあがる呪力にスカートがふわふわと舞った。

「……言いましたね。楽しみにしておきます」
「今夜私達の前に現れたことを後悔させてやる。私が足元崩すから、仕留めてね。行くよ七海!」
「一撃で終わらせる」

 その後彼女は見事な蹴りで多数の呪霊を転がした。言葉通り七海は一撃で葬りまくり、帳の外へ出てきた二人を目にした補助監督は鬼神の如き気迫に圧倒されたという。アドレナリンを大量放出した七海と彼女はホテルに戻るとそれはそれは大層盛り上がり、翌日はレイトチェックアウトをしたそうだ。